Opinion : 平時のリーダーと戦時のリーダー (2001/1/8)
 

ビジネス書の定番テーマのひとつに「リーダーシップ」というものがある。

ビジネスに限らず、二人以上の人間が集まって何かをしようと思ったら、リーダーシップというのは避けて通れないテーマで、企業でも役所でも、もちろん政治や軍事の世界でも、優れたリーダーがいなければ話にならない。

無論、リーダーだけ優れていても、部下が使えなければ駄目だが、逆に、部下の能力をフルに発揮させることのできないリーダーでも駄目だ。

特に日本の場合はそうだが、組織のトップに座る人間は、強力な意思を発揮して全体をぐいぐい引っ張るタイプというよりも、各自の異なる意見を調整する「調整型」であったり、あるいはすべてを下僚に頼る、単なる「お飾り」であることが多い。

それでも、平時は特に問題が出ないことが多い。だが、今の日本が置かれている状況というのは、戦争にこそ巻き込まれていないが、どちらかというと戦時に近いものがあると思う。なかなか改善の兆しが見えない経済や、増えつづける国と地方の借金などを見るにつけ、その感が強い。

こういうときに、「調整型」だの「部下任せ」だのという「平時向き」のリーダーがトップに座っていると、ますます状況を悪くしてしまうのではないかと思う。こういっては悪いが、故・小渕総理というのは「平時のリーダー」の典型で、戦時にトップに座るべき人材とは思えない。談合のタナボタで総理大臣になった森総理など、論外である。

だいたい、進学も就職も裏口に近いルートを通ってきた森総理。自分の意思と力だけで自分の人生を切り開いてきた局面が、どれだけあったのだろう ?

では、「戦時向き」のリーダー像とは、どういうものだろう。


太平洋戦争のときの、日米両国の政府や軍のトップを比較してみると、面白い対照が見て取れる。

日本の場合、「人柄」だの「事務処理能力」だのが幅を利かせる平時の基準でトップに座った人間が、そのまま戦時の国家指導を行っていたという印象がある。東條首相など、官僚軍人の典型というものだ。それに対し、アメリカの場合、「戦時向き」のリーダーがあちこちで活躍していたという印象が強い。

その典型が、合衆国艦隊司令長官と海軍作戦総長を兼任していたアーネスト・キング提督であろう。ニミッツやハルゼーと比べると日本におけるキングの知名度は低いが、第二次世界大戦中の米海軍を取り仕切っていたのはキングであり、米海軍の戦争指導はすなわち、キングの考えで動かされていたといえる。

このキングという人、性格は酷薄無情、失敗した部下や気に入らない部下はバンバン切り捨ててしまった上に、酒と女はつきものという、いささか人柄に問題がありすぎた人のようだ。だが、戦争指導については確固たる信念の元で見事に結果を出したのだから、立派なものである。

ただし、戦時中の激務がたたったのか、戦後は脳出血で寝たきりの状態になってしまい、ベセスダ海軍病院で 10 年あまりを過ごした挙句に他界した。おまけに、押しが強すぎて戦時中に周囲とさんざん摩擦を引き起こしたこともあり、戦争末期には、トルーマン大統領からも、ノックスやフォレスタルといった海軍長官からも、かなり冷遇されていたのだそうだ。
イギリスのチャーチル首相やアーサー・ハリス大将もそうだが、「戦時のリーダー」は、平時にはあまり恵まれないものらしい。(そういえば、ブル・ハルゼーの戦後も不遇である)

もちろん、太平洋戦争の結末は本質的に国力の差によるものなのだが、ここぞというときの押しの強さ、あるいは弱さといったものに、あるいは戦争の進め方に関する見識に、日米のリーダーの違いがそのまま投影されていると見るのは間違いではないと思う。

だから、アメリカでは「戦時向き」の人材と見れば、平時の成績や出身系列などお構いなしに、どんどん取り立てて昇進させ、上位のポストにつけている。ウェストポインターでもないのに空軍の最上位にまで登りつめた、カーティス・ルメイがいい例だ。かのスプルーアンスだって、最初は巡洋艦戦隊の指揮官でくすぶっていたのが、あれよあれよというまに大艦隊の指揮官になってしまった。

それに対し、たとえば日本海軍では、とうとう最後まで「ハンモック・ナンバー (兵学校卒業時の序列)」のしがらみから抜け出すことができなかったし、兵学校、あるいは士官学校以外の出身で上位に取り立てられた人の話もロクに聞かない。こういったところにも、敗戦の一因があったと見るのは、あながち、間違いではないと思う。

もっとも、アメリカの場合は平時でも、出身にこだわらない人材登用があるようだ。コリン・パウエルがウェストポインターではなく、ニューヨーク市立大学の ROTC (予備士官訓練隊) を経て陸軍入りしたのだということを知っている人が、どれだけいるだろう?


昨今の政界で、もっとも「戦時向き」のキャラクターを発揮しているのが石原都知事であるのは、論を待たないだろう。個人的には、あの人とは思想面で相容れないものがいくらかあるし、氏の政策のすべてが正しいかというと疑問符が残らなくもないのだが、少なくともこれまでとは違ったことをやって、結果を出しつつある。戦時のリーダーは、こうでなくてはいけない。

少なくとも、記者の前でエラそーに文句をいっているだけの誰かさんとは違う。ちゃんと行動し、結果を出している点は立派である。

平時の、物事すべてが順調に進んでいるときにああいう人がトップに座ったのでは、それこそトラブルが続発して軋轢が絶えないだろう。だが、戦時のリーダーを務めるには、ああいうキャラクターが必要なのだ。うまく危機を乗り切ることができたら、その時点で選挙で落とすなどして、平時のリーダーに引き継げばよいのだ。

危機突破に際して必要なのは、「安全・無難に、"前例" の枠から外れず、上司の機嫌を損ねずに職務をこなす官僚型」ではない。官僚のすべてが「安全第一」と断言するのは危険だが、一般的な傾向として、官僚出身者は「戦時のリーダー」に向かない傾向が強いと思う。

とにかく、危機に際しては、多少の摩擦も恐れずに、思い切った行動ができる人材が必要なのだ。危機を乗り切ろうとして思い切った政策を打ち出そうとすると、えてして既得権益を守ろうとする勢力がいちゃもんをつけるものだが、それを乗り切るには、"安全第一" の人ではやっていられない。

もちろん、ヒトラーのような独裁者が出てきては困るが、民主的手続きの中からでも、そういう「危機のリーダー」を輩出することは不可能ではないと信じる。過去の成功例に乗っかることが将来を保証しているわけではない不確かな時代だからこそ、いまの日本にとって、あるべきリーダー像が何かを考えてみることが必要ではないだろうか。

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