Opinion : "IT 革命" の虚実 [2] (2001/2/5)
 

先週は、「IT はあくまで手段に過ぎないのだから、IT 化しただけでどんな問題でも解決できると考えるべきではない」ということを書いた。

今週は、その辺のところをもう少し掘り下げてみたい。


去年の春頃の話だが、「夕刊フジ」に取材されたときに「ビットバレー」が話題になったことがある。そのとき、私は「何でも広告頼みで、ネットでビジネスしてるというだけでもてはやされるような状況が続くわけがなく、いずれ淘汰・選別のフェーズに入るだろう」と話した。

その頃はまだ、「ビットバレー」といえばブイブイいわせている御時世だったので、こういう発言をすると半信半疑で受け止められたのも無理はないが、実際どういうことになったのかについては、説明の必要はあるまい。

たとえば、モノを売るのに現実店舗ではなくネットで商売しているというだけで話題になるのは、それが珍しいからだ。それが普通の光景になってしまえばニュースにならず、結果として新聞・TV にも取り上げられなくなる。

だが、普通の光景になるにしても、どんな商品でもネットで販売するだけで売上が伸びるというものではなかろう。ネットに向いた商品・向かない商品というものがあるはずで、たとえば現物を見ないと買うかどうか決められないような商品は、ネットには不向きである。
だから私は「夕刊フジ」の人に、「主婦がダイコンやニンジンをネットで注文するとは思えない」と話した。そういう市場もニッチとしては存在するだろうが、メインストリームにはなり得ないだろう。

ただ、市場規模が小さな商品でも、商品そのものの認知度を上げて販路を拡大するという場合は、ネットの利用が効果的だ。一部地域の特産品というのはこのケースに当たるだろう。

しばしば見落とされがちだが、ネットで販売する商品は宅配便などで顧客の元に届けられるわけだから、在庫管理や物流管理が大変なものになる。それを完璧にやってのけられるのは、よほど資本体力のある一部の企業ぐらいのものだろう。アマゾンの苦境を見れば一目瞭然だ。
それに、あらゆる商品がこういう販売形態になったら、物流網がパンクしてしまう。それを考えただけでも、「あらゆる商品をネットで」という考えに無理があるのは間違いない。

こうした事情を考えると、ネットに向いている商品というのは、基本的には「形のない商品」ではないかと思う。宿泊施設の予約なんていうのは典型例だ。
また、保険や金融商品もネット向きではあるが、事前の説明が十分に必要という点では面倒が残るかもしれない。

「形のない商品」なら在庫管理や物流網のことなど考えなくてよいし、「情報」そのものが商品になるという点で、IT との親和性がよろしい。

こういう点を考えずに、とにかく何でも「ネットで販売するのがナウい (おっと、死語だ)」といってもてはやすのは、いささか軽率すぎるのではないかと思う。


もうひとつ、「夕刊フジ」取材時の話題で私が取り上げたのが「広告頼みのビジネスモデル」だ。

不幸なことに、インターネットでは「何でも無料で手に入るべきだ」という妙な常識がある。これは、草創期のインターネットが学術関係者によるボランティアで運営されていたために商用利用が禁止されており、結果として情報もソフトウェアも、みんな無料で出回ったことの名残である。

インターネットをフィーチャーする人の多くは、昔からインターネットに関わっていたことのある人だから、そういう昔からの「常識」を吹聴したくなるのも無理はない。

調子に乗って、「ソフトウェアは無料で提供し、コンテンツを売ることでコストを回収すればよい」という人がよくいるが、どんなカテゴリーのソフトウェアでも「コンテンツを売れる」というわけではなかろう。

だいたい、ソフトウェアの開発には人手と時間が大量にかかるのに、それをまかなえるほど利益の出る「コンテンツ」が、いったいどれだけあるだろう?
しかも、インターネット界では「何でも無料」と思われている以上、そのコンテンツすら「無料化しろ」といわれかねないのだ。これは結局、「ソフトウェアを無料にするべきと主張するための言い訳」に過ぎないと思う。

だが、そういう前提を維持したままで、サービスでも情報でもソフトウェアでもハードウェアでも、とにかく何かを無料で提供しようとしたら、どこか別の場所から資金を獲得するしかない。そして目をつけられたのが「広告」というわけだ。

だが、テレビや新聞のようにあまねく行き渡って評価が固まっているメディアならいざ知らず、インターネットが広告媒体としてテレビや新聞と同等に認められているかといえば、まだそこまでは至っていないと思う。つまり、広告媒体としてのパイは限られているわけだ。

そこにさまざまな企業が「無料化」の代償として「広告取り」に励めば、行き着く先は見えている。広告料の値下げ競争か、広告を取れずに脱落する企業が出るか、といったところだろう。となれば、広告以外の収入源が確保できない企業にとって厳しいことになるのは確かだ。

「広告を取るには広告を見る人の数を増やせばいい」とばかりに、無限連鎖式の組織構築によるコミッションを餌にした「ALL ADVANTAGE」なるネットワークビジネス (注 : ネットビジネスに非ず) があったが、これも先日、ついに崩壊した。
「多くの人を組織に引きずり込めばコミッションが増える」というのはすべてのネットワークビジネスの共通点だが、地球上の人口が有限である以上、後から参加した人ほどババを引くのは間違いない。だから、この手のビジネスモデルが長期にわたって成功する可能性は、もともと存在しないのである。

これは極端な例かもしれない。だが、そもそも広告によってビジネスを成立させるというのは、一見「無料」に見えるが、実は広告料はちゃんと商品の原価に上乗せされ、それを消費者が支払っているわけで、「無料」というのが言葉の遊びなのは明白なのだ。
今はまだ「ネット」あるいは「無料」というキーワードがちりばめられていれば話題性でビジネスを維持できるかもしれないが、そういうバブル的状況が今後、長期にわたって続くというのは虫が良すぎるのではないか。

そういう事情を考えると、広告だけに頼らずにビジネスする方法を見つけ出さないと、恒久的に「ドットコム企業」として生き残るのは難しいだろう。さまざまな「無料サービス」の撤退が続いている昨今のインターネット界の状況を見ていると、去年の春に私が予想したことが、図らずも的中しているという感を強くする。
ただ単に「ネットで何か媒体を見つけて広告を載せるだけのビジネス」では、先に書いた商品の販売と同じことで、「ネットでやっている」ということの話題性や新鮮味が薄れれば「もはやこれまで」である。

だが不幸なことに、いったん「無料」に味をしめてしまったユーザーを「有料」に移行させるのは、最初から有料サービスを立ち上げるよりも大変だ。「YAHOO! オークション」が有料化でもめているのを見れば、それがよく分かる。
最初に「インターネットで無料」という言葉を使いすぎたことのツケは、大変高いものにつきそうだ。こういう環境で有料ビジネスを成立させるのは、はなはだ大変なことだろう。


というわけで、IT 化 (インターネット化か) が効果的な分野とそうでない分野があるという話や、ネットで商売する際の問題点の具体例をいくつか挙げてみた。

こうした事情を考えずに「IT 社会の実現」だけに血道を上げるのは、発想としては「土建国家」と何も変わるところがないと思うのである。ただ単に、外面を化粧直ししただけだ。そういう底の薄い「IT 革命」をフィーチャーして人気稼ぎになると思い込んでいる政治家諸氏には、とっととお引取り願いたいものだ。

ついでに書けば、何でも携帯電話に詰め込むという考えも、そろそろ再考する方がよいのではないか。「i アプリ」がいい例だが、調子に乗っていろいろなアプリケーションをダウンロードしまくってパケット通信料が高騰し、その携帯電話代を捻出するために他の支出を切り詰めるという馬鹿な話が、さらに増えそうな気がするのだ。

なにしろ、今度はダウンロードさせるのが Java のアプレットだ。小さいとはいえ、それでもテキスト・データと比べれば桁違いにサイズが大きい。その分だけパケット通信料もかさむのだ。

この調子だと、"携帯貧乏" で不景気が加速し、「国滅びてドコモあり」なんていうことになりはしないかと、本気で心配になってきたのである。「亡国の IT 革命」なんて話があるものか。冗談じゃない。

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