Opinion : 続々々・事故報道は「チンドン屋」 (2001/2/19)
 

実習船と原潜の衝突事故から、一週間あまりが経過した。

この間の報道を見ていて、呆れることがいろいろあったが、なにも米海軍に対してだけ呆れたわけではない。今週は、そこのところを考えてみたい。


まず、誤解のないようにはっきりさせておきたいが、今回の事故が、一義的には原潜側の過失であるのは間違いないだろう。緊急浮上は一度始めたら止められないのだから、周囲の状況を念には念を入れて確認してから実行するのは、常識以前の話だ。

今回の事故でも、浮上前にいったん潜望鏡深度で確認はしたらしいが、結果的にぶつかってしまったという事実は残る。だから、同じような事態が二度と起きないように、米海軍には厳正な対処を求めたい。日米の同盟関係が重要なものだと思うからこそ、あえてここでは苦言を呈したいのだ。艦長が軍法会議にかけられるのも、艦の総責任者なのだから、至極当然である。

もっとも、NTSB がいうように、アクティブ・ソナーでサーチすれば海面のフネを探知できたのかというと、少々疑問がある。
多分、海面に向けて音波を発振すれば、それは海面で反射して帰ってくるだろうから、海面に浮いているフネからの反射波と海面からの反射波を区別できるかどうか。

どんなに吃水が深いフネでも、せいぜい 10m 程度だ。つまり、10m 程度の距離の差しかない 2 つの反射波を区別しなければならないわけで、海面が荒れていると特に、ソナーにとっては厳しい仕事だと思う。

そもそも、改ロサンゼルス級が装備している AN/BSY-1 統合ソナー・システムがそういうシチュエーションを想定してプログラムされているのか、そこのところを明らかにしなければ、アクティブ・ソナー使用の是非を問うことはできない。
そもそも AN/BSY-1 は海中で静かな潜水艦を探すのが主目的のシステムなのだし、海面に向けてヤンキー・サーチをかけてもフネを探知する役に立たないのであれば、アクティブ・ソナーを使用する意味はないからだ。

また、パッシブ探知にしても、音が出ていないものはどんなに高性能のソナーでも探知できない。たとえば、ヨットが帆走していれば、ほとんどノイズを出さないだろう。だから、視覚で確認するのがもっとも確実なのであって、こういうシチュエーションでは、あまりソナーは当てにできないのではなかろうか。

となれば、視覚による確認が必須ということになるが、潜水艦にも (潜望鏡深度でも使える) 対水上レーダーの装備はあるのだから、視覚による確認とあわせて、対水上レーダーによる捜索を義務付ける必要があるのではなかろうか。

そうした事情を冷静に考えずに、「NTSB の勧告を無視していた米海軍」だけ非難しても、事故再発防止の役には立つまい。


あと、非難ごうごうの「民間人乗艦」の話だが、これはムードに流されて話をごっちゃにしているという印象がある。
そもそも、浮上訓練の際の不注意と民間人の乗艦は別の問題なのであって、たまたま今回は民間人相手にデモンストレーションを実施しているときにぶつかったから、結果として「民間人相手の過剰サービス」が叩かれているということではないのか。

根本的には、緊急浮上訓練の際の安全策に手抜かりがあったということなのであって、民間人が乗っていなくても、同じ事故が起きた可能性はある。「民間人云々」と今回の事故をリンクさせた論調は、そこのところを見落としている。

だから、マスコミがいうように「民間人を乗せていなければ事故は起きなかった」というのは筋違いもいいところで、民間人がいようがいまいが、緊急浮上の訓練をすることはあるのだから、それに対して安全対策を考えなければならない。そこのところを混同してはいけない。

したがって、浮上訓練時の安全対策という問題とは別に、民間人に対する過剰サービスの問題は論じられるべきだと思う。もちろん、軍の費用が税金から出ている以上、スポンサーである納税者に対する広報活動は必要であるが、モノには限度というものがある。なにも操縦までさせる必要はないハズだ。

だから、「広報活動もほどほどに」という議論が出るのは結構なことだが、昨今の "報道" を見ていると、とにかく米海軍を悪者にできるネタなら何でも集めて流してしまえ、というムード作りが優先されているように見えてならないのだ。共産党の事故調査団あたりにしても、そういう報告書を書くだろう。


そして、ムード作りという点で極めつけなのが、「捜索打ち切り反対」の一件。

行方不明者の関係者に対しては酷ないい方だが、これだけ探して見つからないのだから、おそらくは沈没した船内に取り残されて、すでに亡くなっていると判断するのが妥当だと思う。

それを、「一縷の望み」にすがって「捜索続行」をいうのはともかくとして、政府やマスコミまでが一緒になって「捜索打ち切り反対」を叫ぶのは、ムードに流されるにも、いささか度が過ぎているのではないか。

この手の話について「どこかで聞いたような論旨だ」と思ったら、なんのことはない、「戦死した英霊に申し訳ない」といって中国相手の侵略戦争や太平洋戦争を泥沼化させた、かつての日本軍と同じだ。
まったく、国民性というものは、50 年やそこらでは変わらないものらしい。

他にも、「○○のことを悪くいうのは、偉大な先達に申し訳ない」あるいは「お世話になった人のことを悪くはいえない」「情において忍びないので云々」等々、この手の台詞はよく聞かれるものである。

「船体の引き揚げ」に方針転換というなら、まだ話は分かる。引き揚げても、その中で生存者がいる可能性はなかろうが、もし船内に取り残された人がいれば、少なくとも遺骨は帰ってくる。だから、引き揚げたいという心情は理解できる。

だが、国を挙げて捜索続行ムードを煽った挙句、何も出てこなかったら、いったいどうするのだろう。まさか未来永劫にわたって捜索を続けるわけにいかないのだから、どこかで打ち切りを決めなければならないのは自明の理。それなのに、それを冷静に判断できないというのは恐ろしいことだ。

今回は「行方不明者の捜索」という issue だから、まだ冷静な判断力を欠いても時間とリソースの無駄遣い程度で済むだろう。だが、国の進むべき道を判断すべき重大な局面で、同じようにムードに流されて冷静な判断ができなかったら、そのツケはたいへん高いものにつくのだ。特に政府やマスコミ関係者は、そこのところが分かっているのだろうか。

ついでに書けば、何も外務省のお役人までが、一緒になって国民世論の「ムード」に阿る必要はないのだ。政治家と違って、お役人は選挙で降ろされる心配もないのだから。
ついつい、「機密費事件」で評判が下がった外務省が、事故に便乗して評判回復を図っているのではないか、と疑ってしまう。


だいたい、報道関係者が当事者と一緒になって、喜んだり悲しんだりしてムードを煽るのが間違っているのではないか。ウケ狙いのワイドショーがそうするのは仕方ないし、一厘の期待もしていないが、看板に「報道」を掲げるニュース番組や新聞までもが同じ体質で、いったいどうする。
しかも、その一方で「総トン数」と「排水量トン」の区別もつかずに「500 トンのえひめ丸が 7,000 トンの原潜に…」などといっているのだから、なにをかいわんや。

報道関係者が当事者に感情移入してしまうから、「事実」と「感情」と「希望的観測」と「話題作り・ムード作り」と「担当者の個人的好み」がごっちゃ混ぜになった、報道の体をなしていない報道がまかり通ってしまうのだ。
そんな調子で、「不偏不党」だの「中立」だの「知る権利」だのと偉そうにいえるのだろうか。これだから、自民党が便乗してマスコミ規制をやりたがるのだ。

ムードを煽ったいい例が「潜水艦が救助活動をしなかった」という一件で、先週書いたように、潜水艦には救命ボートなんていう気の利いたものは積んでいないのだ。なのに、そういう物理的に不可能なことまで要求するような「ムード」を煽っても、百害あって一理なしというものである。

まったく、この業界には、もう少し冷静に物事を報じ、かつ判断するというロジックはないものだろうか。こういう調子だから、私はマスコミの事故報道のことを「チンドン屋」だというのである。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |