Opinion : 「リーダーシップ」という言葉の正しい使い方 (2001/2/26)
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実習船と原潜の衝突事故のとき、呑気に (かどうか知らないが) ゴルフを続けていた森総理を野党やマスコミが追及したら、「私はちゃんとリーダーシップを発揮していた」という回答があった。
そこで疑問なのは、森総理がいうところの「リーダーシップ」とはなんなのか、という問題だ。
「リーダーシップ」という言葉をストレートに解釈するならば、リーダーが部下を引っ張るための資質、ということになるだろうか。
分かりやすい例では、太平洋戦争中に活躍した、米海軍のウィリアム・ハルゼー提督が挙げられる。この人、とにかくストレートな物言いで有名で、最前線で弾雨をかいくぐって部下を叱咤激励し、優勢な敵に立ち向かう、という局面では大いに力量を発揮してくれた。
だから、「ブル・ハルゼーが指揮を取る」というだけで、周囲は大いに力づけられたものらしい。
あいにくと、こういうタイプの指揮官がほとんどいなかったのは、日本軍の不幸だ。日本では、トップはどちらかというと「象徴」的存在で、実際の仕事は下僚が取り仕切ることが多いから、そもそもハルゼー型の「リーダーシップ」が育つ素地が少ない。
もっとも、ハルゼーのような指揮官は、どちらかというと、小部隊で優勢な敵に立ち向かうという局面に向いているので、大戦後半の、大部隊を切り回して戦争をするという局面に向いていたかというと、やや疑問がある。現に、ハルゼーが自分で陣頭指揮をしていたせいで騒動が起きた例はいろいろある。
そういう局面には、むしろスプルーアンスの方が適していたのではないか、ともいえる。
要は、1/8 付の本稿でも書いたように、その場その場の状況によって、相応しいリーダー像は変わるということだ。
というところで、森総理である。
まず、わかりやすい質問をひとつ。
「森氏が日本の総理大臣になると聞いて、あなたは電撃で撃たれたように勇気づけられたりしましたか ?」
多分、石川県の一部を除いて、大半の答えはノーだと思う。
故・小渕総理もそうだが、どちらもどだい、「戦時のリーダー」という柄には見えない。
たとえば、故・小渕総理についていえば、株価を上げたければ政策で上げるべきで、駄洒落で株価を上げようなどとは、不謹慎極まりない。それだけで、あの人の政治家としての評価は最低になる。
故・小渕総理の嫌らしいところは、平素は政治に無関心な若年層を、有名タレントやミュージシャンをダシに使うことで体制側の味方に取り込むというウルトラ C をやってのけたことだ。愚鈍そうに見えて、どうしてどうして、なかなか食えない狸オヤジである。
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では、森総理はどうか。こちらは、重大局面ではいつも「周りの人と相談して」というのが口癖だ。たとえば、去年の選挙のときにも、TBS の記者に進退について問われた森総理は「周りの人と相談して」の一点張りだった。
確かに、「周りの人と相談したら総理の椅子が回ってきた」人だから、自分を現在の地位につけてくれた「周りの人」に気を使うのも無理はないが、重大事項を決めるのに「周りの人と相談する」というのは、「リーダーシップを発揮している」という言葉とは裏腹だ。
今回の衝突事故のときも、ゴルフ場にいた件を追求されたら「秘書官がそうしろといったからだ」という責任回避発言をしている。事件に対する認識が低かったのかもしれないが、この件が「重大な事件」だと思って「リーダーシップを発揮している」のなら、秘書官の進言など蹴飛ばして、(賭け) ゴルフも放り出して、直ちに官邸に戻って見せれば、後で追及されずに済んだハズだ。
秘書官の判断ミスか、総理自身の判断ミスかはともかくとして、「秘書官の進言にしたがって」ゴルフ場にいたという判断と、しかもコースに出ていたという判断の二重ミスについては、言い逃れの余地はないと思う。せめて、クラブハウスにいて携帯電話を放さなかったというなら、まだ救われるのだが。
おまけに、その件について追求されたら「ブッシュ大統領もホワイトハウスに戻っていない」といって、他人を引き合いに出す始末。他人の行動を引き合いに出して自分の行動を正当化するというのは、まったくもって見苦しい。
だいたい、ブッシュ大統領の件を引き合いに出すなら、なおのこと、「直ちに官邸に戻って陣頭指揮を取る森総理」という映像を国民の前に見せる方が、イメージ・アップのためには効果的だったろうに。長いこと政治家をやっていて、そんなことも判断できなかったのだろうか。
かように、重大な判断を自分でできない人が、「リーダーシップを発揮していた」などと答弁するのは、史上最低のお笑い種である。
今回の事故が、「危機管理」に分類される重大事かどうかというのは、リーダーシップとは別の問題だ。まだ死者が発見されていない (あくまで現時点では "行方不明") からなのか、米軍の Web サイトを見ても、多くは "incident" と書いてある。
あれだけ感情論を煽っているくせに、このことを叩くマスコミがいないのは不思議だが、誰も PACOM の Web など見ていないのだろうか。
もちろん、行方不明者の家族にしてみれば、今回の一件は「重大事」であって、「それを "incident" とは怪しからん !!」と怒る人が出てくる可能性は高い。ただ、国家が危機に瀕するような事態かというと、それは別の問題である。
とはいえ、「一事が万事」という言葉もある。「その場でどう行動するのがベストか」の判断を誤り、自分のイメージ・ダウンを招いてしまったり、何かというと「周りの人と相談」というばかりで、自分のことを自分で決められなかったり、秘書官のいうなりに動いたりするような総理大臣が、果たして「リーダーシップを発揮している」といってのけられるのだろうか。
たとえば、北朝鮮が弾道ミサイルをぶっ放したとしても、それが日本国内に着弾せずにどこかの海上に落ちるハズレ弾になってしまえば、森総理は「大した事態ではない」といって (賭け) ゴルフを続けるのではないか、そんな気がしてならないのである。
これが、今の日本にふさわしいリーダー像なのだろうか。答えはいうまでもあるまい。
では、田中真紀子氏がいいのかというと、私はそれについても異論がある。
あの人は、自由な責任のない立場で好きなことをいっているから威勢よく見えるが、果たして、総理大臣の椅子に座らせたらどうだろう。同じ調子でいられるかというと、疑問に思える。氏は、どちらかというと自民党の中では「アウトサイダー」で、人気があるから放り出されずに済んでいるということではないかと思うのだが。
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