Opinion : 機密費問題で思ったこと (2001/3/12)
|
外務省大臣官房の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長が逮捕された。理由は「4,200 万円を騙し取った詐欺容疑」なのだそうだ。
マンションに競走馬にと、派手なカネの使いっぷりを見れば、とてもとても、着服した機密費の総額が 4,200 万円ごときとは思えないのだが、立件できる証拠固めができたのがこの金額、ということなのだろう。
この事件に乗じて、野党から「機密費の減額」という要求が出たが、これは少し違うのではないかと思う。
そもそも、われわれ一般の納税者は何でも領収書を残しておかないと税務署にイチャモンをつけられるというのに、外務省や内閣官房だと「領収書の要らない公金」が使えるというので、不公平感を持つ人も少なくないのではないかと思う。
また、特に外務省についていえば、在外公館などでの公費の使い方に関して、不透明感があるという話はいろいろ伝えられる。それをちゃんと暴き出してこそマスコミは仕事をしているといえるのだが、さて、どこまでできるかどうか。
確かに、納税者としての視点で考えれば、税金として支払ったものは、適切に使ってもらいたいと思う。お役人の飲食費や、今回のような一件のために税金が使われたとあっては、腹立たしい思いが生じるのも当然だ。私だって腹が立つ。
さらに腹が立ったのは、<えひめ丸> 事故を奇貨として、アメリカ側に強硬に食いつくことでイメージ回復を図ろうとしたことだ。
もっとも、この事故のおかげで森総理に引導を渡すことができたという副次的メリットもあったといえるかもしれない。
|
正直な話、今回のように国家公務員が贅沢をするために国民から税金を取り立てているのだとしたら、国税庁は「国贅庁」(国家公務員が贅沢をするための資金を提供する役所の意) に看板を架け替えた方がよろしい。
とはいうものの、情報収集や外交活動に関して、使い道を明らかにできない支出が存在するであろうことも、理解できるのだ。だから、「機密費」そのものを減額、あるいは廃止すれば問題が解決するわけではないし、こういう予算を組むこと自体を否定するつもりはない。
たとえば、太平洋戦争末期に、海軍の機密費が終戦工作費に転用されたという故事がある。もし、カネの用途をいちいち誰かに報告しなければならなかったとしたら、極秘の終戦工作がバレてしまい、大騒ぎになっていただろう。こういうのが、正しい機密費の使い方の一例だ。
|
とはいうものの、それはあくまで、機密費が本来の目的通りに、クリーンに使用されているという前提での話だ。
領収書が要らないのをいいことに、本来の目的外の用途に転用するような機密費の使い方は、断じてあってはならないと思う。
では、どうすれば今回のような問題の再発を防止できるのだろう。
外務省では、事件の発覚後に要人外国訪問支援室を廃止したが、それは根本的な問題の解決になっていない。そもそもの問題点は、松尾容疑者があまりにも長期にわたり、同じポストに就いていたことにあるのではないか。
もし、機密費を扱う立場にいる人物が横領などを企てたとしても、1 年程度でそのポストの首をどんどんすげ替えていれば、被害は最低限で食い止めることができる。
企業における横領事件などでも、同じ仕事を長期にわたって務めていたベテランが起こすことが少なくないわけで、お役所とて、例外ではなかろう。
ただ、いくら首をどんどんすげ替えても、組織ぐるみで公金にたかる体質ができていたのでは、お話にならない。それを考えると、役人の仕事のあり方そのものにメスを入れる必要が生じると思う。
つまり、企業と同じように「勤め上げる」という体制にするのではなくて、役所の仕事をすべて何年かの「任期制」にして、任期を勤め上げたら民間に戻るというようにするのだ。新しい人材は、定期的に民間から志願者を募って登用すればよい。もちろん「再任」は禁止だ。
民間が「年功序列社会」のままでは、こういう制度を導入しても人材が出てこないだろうが、民間の方でも人材の流動化が進んでいるから、今ならそれなりに現実味があるのではないかと思う。
だいたい、競争社会とは縁遠いところにあるお役人の世界で、ひとつの組織にずっと勤め上げて組織の階段を登っていくという世界にいれば、本来の目的を逸脱して組織防衛に走らない方が、どうかしている。
国の役所でもそうだし、地方でも、長野県のように県庁出身者が順送りで知事になり、組織をあげてそれを応援するというのでは、一種の澱みが生じるのも当然だ。これも、一種の組織防衛行動だと思う。
また、一度始めた公共事業を止められないというのも、その事業に関わる役所の予算獲得などが絡んだ、一種の組織防衛の表れといえるのではないか。
あと、特に日本の場合、さまざまな分野における許認可権を役所が握って放さないために、いろいろ弊害が起きている。その最たるものが、「お役所出身者の天下り」という奴だ。
どうして天下りが起きるかといえば、それを受け入れる側に、お役所とのパイプを作って許認可に関する優位を得たいという動機があるからで、双方の利害が一致して、排他的な非関税障壁を作る元になっているのだ。お役所にとっても組織防衛の役に立つから、許認可権を手放す理由など存在しない。
しかも、その「天下り」が、最初からお役人の人生設計に入っているというのだから、呆れてしまう。仕事を確保するために必死になっている民間の人間の立場からすれば、言語道断というものだ。
「天下り禁止」は特別なことではない。「天下り」というのは、なくて当然、ある方が不思議な慣行であるハズだ。
以前に「不定期日記」でも書いたが、こういうことをいうと、役所の側からは「人がくるくる代わったら、行政の一貫性が保てない」という反論が出るであろうことは、容易に想像できる。だが、暴走族じゃあるまいし「始めた事業は止められない」のが「行政の一貫性」だとしたら、あまりにも柔軟性を欠き過ぎている。
また、日本の行政府が本当に一貫性を保っているかというと、そんなことがないのは周知の事実で、その場の都合と裁量で適当に変節している事例だって少なくない。要するに、一貫性が必要な場面で一貫性を欠き、一貫性が不要な場面で一貫性を発揮しているということだ。それなら、今のやり方を続ける理由など存在しない。
自衛隊のように、ある程度経験がないと仕事に支障をきたすようなケースはともかく、一般のお役所については、もっと人材の流動化ということを真剣に考えた方がよいのではないだろうか。
そうすれば、定期的に新しい人材が入ってくることで、発想の硬直化の防止にも役立つだろうし、今回のような汚職事件を防ぐ一助にもなると思うのだが。
| |