Opinion : 「責任者出て来い」という名の「無責任」 (2001/5/21)
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日本では (いや、日本に限ったことではないかもしれないが)、何か事件や事故があると、世論もマスコミも一緒になって、「責任者出て来い」といって騒ぐのが通例だ。そして、「責任者」が記者会見に引きずり出されて、「謝罪」をして見せないことには、誰も収まらない。
たとえば、この前、三重県上空で空中衝突事故を起こした中日本航空も、まだ事故の調査が始まる前から、社長が記者会見に出てきて、とりあえず「謝罪」をした。そのせいか、中日本航空を叩く論調はまだ出てきていないようだ。
これが、<えひめ丸> 事故のときのように外国相手でも同じ調子でやってくれるから始末が悪い。
アメリカ人がなかなか「頭を下げる」ということをしないのは、後で裁判になったときに、それが「自分の非を認めた」ということで「不利な証拠」として扱われないためではないかという見方もある。(だから、わざわざ「ソーリー法」なんてものが必要になる)
そういう事情を知らずに、自国の価値観をそのまま持ち込んで、一方的に「謝罪しない」と非難してみても始まらない。
日本国内と同じノリで「責任者出て来い」といって、朝野を挙げて艦長を吊るし上げたところで、何の解決にもなりはしない。だが、マスコミも遺族も、とりあえず「責任者出て来い」「責任者は謝罪しろ」と連呼するだけで、事故の本質的原因に迫る気配がなかったのは、まったくもって恥ずべきことだ。
そもそも、「責任者出て来い」と主張するということは、「自分には責任はない」といっているということでもある。
<えひめ丸> 事故のように、確かに責任がないケースもあるが、必ずしもすべてがそうとはいえない。
たとえば、いきなりだが太平洋戦争。
多くの一般国民の見方としては、あの戦争は「軍閥が強引に国民に侵略戦争を強制したもので、我々は飢えたり空襲で家を焼かれたりした被害者なのだ」というあたりに収斂すると思う。
だが、シンガポールが陥落したときに提灯行列をやったのも、軍閥がのさばってきたときにブレーキをかけようとしなかったのも、同じ日本の国民だ。勝ち戦のときはそれを支持して一緒になって喜んでいたくせに、負け戦になった途端に「私は悪くありません。悪いのは軍人で、国民は被害者です」というのは、いくらなんでも虫が良すぎる。
太平洋戦争は、私個人の見方としては「アジア各国から資源を収奪するのが目的の侵略戦争」であったと思うが、それは何も、軍人や政府首脳だけが独走して、そういう戦争に持っていったとはいい切れない。調子がよかったときにはそれを支持していた国民のことを、果たして無視していいものだろうか。
つまり、太平洋戦争の責任は、当時の政府や軍の首脳だけでなく (もちろん、政府や軍の無定見があったのも事実だが)、それを支持した国民にも責任があるにもかかわらず、国民の大半は、そのことに目をつぶっているのではないか、ということをいいたいのだ。
森政権が末期症状を呈していたときに、自民党の亀井静香氏が (ああ、先週に引き続き、また槍玉に挙げてしまった) テレ東の「ワールドビジネスサテライト」に出演し、確か株価低迷の原因か何かを「IT バブルが崩壊したからで、森政権の政策に間違いがあったわけではない」というような主張をしていた。
だが、「IT 革命」を連呼し「IT 戦略会議」だの「IT 基本法」だのまで持ち出して「IT バブル」を煽ったのも同じ森政権であり、その森政権の政調会長を務めていた亀井氏なのだ。そういうことはきれいさっぱり忘れて (?)、「IT バブルの崩壊が悪い」とは、無責任極まりない発言だ。
また、豊田商事のような事件が起きる度に、「こういう悪徳業者は、政府がちゃんと取り締まってくれないと」という被害者の声が出るのは毎度恒例のイベントだが、その一方で「規制緩和」に拍手し、政府の規制強化に文句をいうのも、同じ日本の国民だ。
あたりまえのことだが、「規制緩和」と「政府による取締り」は両立しない。規制緩和をすれば、競争が激しくなり、中には潰れる会社や悪事に走る会社も出てくるだろう。だが、そういう事件に巻き込まれるのは、ある意味、そういう会社に運命を預けることを選んだ、個々の被害者本人の責任でもあるのだ。
「自分で選んだことの結果として生じたことは、すべて自分の責任として受け入れる」という基本的なことができない限り、「規制緩和」に拍手する資格はない。それは、一般国民も、「規制緩和」を煽るマスコミも、等しく変わりはないハズだ。
これは、国家安全保障の面でも同じことがいえる。
「非武装中立」を掲げるなら、あるいはそれを支持するなら、それは一つの立派な主張だ。ただ、そういう路線を選ぶなら、もし、それが破綻して日本が他国に国土を蹂躙されるようなことがあっても、そういう路線を選んだ本人の責任だ。
個人的な印象だが、「平和運動」だの「非武装中立」だのを主張する向きに限って、戦争で何か被害を受けたり、自分の家にミサイルが降ってきたりしたら、いきなり主張をひっくり返して「国が国民をちゃんと守ってくれない」と文句をいうのではないか。そんな気がしてならないのである。
「非武装を選択する」というのもひとつの立派な主張だが、それならそれで、戦争で家が焼かれても文句をいうべきではない。なぜなら、戦争に対抗する手段を持つことを放棄するのが「非武装」なのだから。
戦争で家が焼かれるというのは極端なケースだが、たとえば、金融機関の破綻なんていうのは、今後も発生が予想されるイベントだ。
もちろん、自分の資産を預けていた金融機関が破綻したために無一文になってしまっては大変だが、見方を変えれば、自分でリスクを分散する策を講じておかなかったという無策のツケでもある。
たとえば、複数の、それも系列の異なる金融機関に資産を分散しておけば、いずれかの金融機関が破綻しても、スッカラカンになるということはない。ペイオフ解禁後も、1,000 万円までは保証されるのだから。
こういう風に、個人でも対処できる方法というのは、意外とあったりするものだ。
それを、自分のリスクヘッジ策は何も講じないでおいて、一方で「ペイオフ実施反対、預金は全額保証せよ」というのは、いささか調子が良すぎると思う。また、それに便乗してペイオフ実施延期をぶち上げる自民党も、これまた無責任というものだ。
もちろん、金融機関の側にも、いい情報も悪い情報も、すべてを公開するという姿勢が必要なことは、これまた当然のことといえる。お間違いのなきよう。
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個人的なリスクヘッジについて書けば、拙宅には「仕事用」のパソコンが 2 台あり、それぞれに同じソフトをインストールし、毎日数回ずつ、データをミラーリングしている。だから、メインの仕事用 PC が使えなくなっても、直ちに「予備機」で仕事を再開できるし、少なくとも前日のデータまでは保証される。
これは、仕事を止めないためのリスクヘッジ策だ。自由業の宿命で、誰か他の人にバックアップを頼むということはできないから、十分な設備投資をして体制を整えている。カネはかかるが。
何か事件が起きる度に思うのだが、特にこの国では、「責任者出て来い」といって誰かを吊るし上げるだけで、本当の責任の所在を不明確なままで放っておくという傾向が強いように思える。
そういう国の政府や外交当局が、「国際社会の中で責任を果たして云々」などと偉そうなことをいっても、果たして他国がそれを信用するだろうか。こんな調子だから、北朝鮮や中国に対して、太平洋戦争の問題を蒸し返して「ゆすりたかり外交」を展開する隙を与えてしまうのだ。
安直に「責任者出て来い」という前に、まず「自分で選んだことは、自分で責任を取る」ということを、誰もが等しく、考えてみるべきではないのだろうか。
国民が安易に「国が、国が」といって政府に頼る姿勢を見せるから、行政府の側も調子に乗って、いろいろと要らぬ規制をやって既得権益の保護に邁進してみたり、国税当局のように納税者をなめたことをしたりするのだ。そのことを、もう一度考えるべきだろう。
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