Opinion : 「有事思考」のすすめ (2001/5/28)
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「不定期日記」を御覧になっている方なら御存知かと思うが、私は先日、新大久保付近で動けなくなってしまった埼京線の車内に、30 分ほど雪隠詰めになった。
原因は、例の「山手線への自転車投げ込み」だ。車内放送によると、線路に人が入り込んだために列車を動かせなくなり、先行列車がつかえてしまったため、私が乗っていた列車も動けなくなったということらしい。
山手線が止まっているという情報は新宿駅で聞いていて、それではということで代替案として埼京線に乗り換えたのだが、これが後で考えたら、そもそも迂闊だったのだ。
なぜかというと、埼京線は池袋まで、山手貨物線の線路を使っている。山手貨物線は池袋から先も山手線と並行して走っており、自転車が投げ込まれた現場はその付近である。
ということは、山手線が止まるような事態になれば、平行している山手貨物線も影響を受けないハズがない。にもかかわらず、その山手貨物線の線路を使っている埼京線に乗ってしまったのは、完全な私のミステークだった。
この日、最終的には京浜東北線に乗るのが目的だったのだから、何も埼京線を使わずとも、中央総武緩行線で秋葉原に出ればよかったのだ。
そもそも、日本の場合、鉄道というのはもっとも信頼が置ける交通機関である。自動車交通は渋滞頻発の首都圏ではアテにならないことおびただしいし、飛行機や船は、天候の影響を受けやすい。そういう事情があるから、東京では電車で移動するのが、もっとも間違いがない選択肢だ。
ところが最近、電車が止まったりダイヤが乱れたりする騒ぎが、以前よりも増加しているような気がする。最近では「非常停止ボタンが押される悪戯」なんてものまで起きているのだ。
統計を取ったわけではないが、過去には最近ほどには、騒ぎが起きなかったのではないか。中央線のような一部の例外を別にすれば。
これまで、あちこち列車で旅行しているが、個人的には、ダイヤの乱れに巻き込まれて頭を抱えたケースは意外と少ない。パッと思い出してリストアップできるぐらいだから、実に少ないといえる。
北海道を訪れた際に地震が発生し、線路の点検のために列車がストップして乗り継ぎがパーになりかけた (94/2)
常磐線が強風で止まり、東北新幹線に乗り換えを余儀なくされた (94/2)
この 2 件が双璧で、実はいずれも、同じ旅行の行程で発生したトラブルだった。この後も列車を使って北海道を 2 度ほど旅行したが、それはみんなノートラブルだったし、その他の鉄道旅行や飛行機旅行にしても、スケジュールの変更を余儀なくされるような騒動に巻き込まれた記憶は、ほとんどない。
とはいえ、東京都心部で電車で移動する際には、トラブルが発生したときの代替手段を常に用意しておかなければならないのではないか、という気が、最近している。先に書いたように、ここのところの首都圏では、電車がらみのトラブルが多いからだ。(北海道のような場所では、代替手段といっても、どうしようもないけれど)
私は「鉄」だから、どこの線路がどことどう繋がっているかということは、おおむね頭に入っている。だから、先のような失敗を別にすれば、もしどこかでトラブルが発生したら、それがどこに波及する可能性があるかということは判断しやすい。
それを利用して、電車で移動する際に、トラブル発生時に備えた代替案を常に用意するのだ。そして、トラブルが発生したら迅速に代替ルートに自主的に振り替えられるようにしよう、と考えている。実際に、どれだけうまくいくかどうか分からないけれど。
こういう「有事に備えた思考」の必要性は、何も電車での移動に限ったことではないと思う。日常生活の上でも、いろいろ応用できることだ。
たとえば、地震があろうがなかろうが、拙宅には常に非常食のストックがある。
非常食というと誰でも考えるのは乾パンだが、これは日常の食い物としては具合が悪い。一度は買い込んだものの、そのまま乾パンがほったらかしになっている家庭は少なくないのではなかろうか。これでは災害という有事の役に立たない。
だから拙宅では、レトルト食品や缶詰を主体にしている。電気・ガス・水道の中で、もっとも復旧しやすいのは電気だろうから、電気さえ使えれば食えるものが多い。
水は PET ボトルで 2 リッター×2 本というのが標準だが、これはもう少し増強した方が良いかもしれない。
こうしておけば、賞味期限が切れないうちに古いものを新しいものと入れ替えて、古いものは自分で食べて処分できる。自衛隊の「缶飯」と同じ理屈だ。
究極の非常食ということなら、米軍の MRE をストックするという手も考えられる。だが、この方法は、まとまった量の入手が難しそうだ (苦笑)
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商売柄、どうしても必要になる本の山を格納するための本棚も、できるだけ耐震ラッチ付きにしている。これなら、地震で本棚の扉が開き、本が部屋に散乱するという事態は回避できるからだ。仕事部屋に耐震ラッチ付きの本棚を作り付けにしたのも、実は地震対策なのだ。えらく高くついたが。
どうも日本の場合、災害でも戦乱でも事故でも、実際に我が身に降りかかってくるまでは「他人事」で、「自分だけは大丈夫」と思っている人が多いような気がする。「こっちは地震がないから」といっていたら阪神淡路大震災に見舞われた関西地区が、いい例だ。
私の場合、災害や戦乱には縁がないが、交通事故は経験した。そして、衝突安全ボディに命を救われた。「まさかとは思うけど…」といいつつ、アルテッツァを選んだ理由の一つに最新規格 GOA を挙げていたけれど、まさかそれに命を救われようとは。
多分、個人のレベルにとどまらず、たとえば国家安全保障でも、事情は同じだと思う。しばらく前に大騒動になった「2000 年問題」だってそうだ。何事も、日頃から有事に備えて準備を整えていて、それでいて何も起こらないのが、一番いいのだ。
過去にも同じことを書いたような気がするが、準備をしていなくて、結果として何も起こらなかったので助かったというのは、ただの僥倖に過ぎない。
何の根拠もなく「そんなこと起こりっこないよ」といって能天気に構えている人ほど、実際に災難に見舞われたときには「国が何とかしてくれなければ」とか何とかいって、自分の準備不足は棚に上げて他人に責任転嫁する、例の「責任者出て来い」という名の「無責任」に走るのではないか。
「起きて欲しくないことについては考えない」というのは、単なる思考停止に過ぎない。個人のレベルでも国家のレベルでも、万一の事態を常に想定して行動する、「有事思考」ということが必要ではないのだろうか。
止まった満員電車の中で身動きできない状態に置かれながら、そんなことを考えたのであった。
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