Opinion : 成功は失敗の元、失敗は成功の元 (2001/9/3)
 

最近、何かと評判がよくない日本の官僚だが、「官僚的なるもの」の一例として、「前例がないと動かない」「前例から外れることができない」というものがある。
多分、こうした行動を生むのは、前例にないこと、あるいは前例から外れたことをして失敗するのが怖いからではないかと思う。

もちろん、誰だって失敗したくない。だからこそ、「前例」という過去の成功法則に乗っかることで、失敗を回避しようとするのは無理からぬところではある。だが、世の中すべて右肩上がりの時代ならいざ知らず、今のように先が見えない時代に、過去の成功例がどれだけ役に立つものだろうか。

むしろ、過去の成功経験が、後で大失敗を生むことにならないだろうか。今週は、その辺について考えてみたい。


私は、マリアナ沖海戦において小沢部隊が取った「アウトレンジ戦法」に対して、極めて批判的な立場を取っている。搭乗員の技量やアメリカ側の出方を考えずに、相手の槍が届かないところから攻撃すれば勝てるというおめでたい作戦を取ったことが、もともと勝ち目のない負け戦の悲劇を、さらに悲惨なものにしたと思うからだ。

では、どうしてそんな作戦が取られることになったかということになるのだが、私は、太平洋戦争の緒戦における南雲機動部隊の活躍ぶりが、あまりにも華々しかったからではないかと考えている。そのときの成功体験が海軍関係者の多くに染み付いていたから、空母機動部隊で決戦するとなったときに、「夢よもう一度」ということで、ああいう無謀な作戦に走らせてしまったのではないかという推測だ。

過去 2 年間の航空戦の状況を直視して検討していれば、アメリカ側航空戦力の質量双方における向上ぶりと、それに対する日本側航空戦力の質量双方における凋落ぶりを知らなかったということはないはずで、それならあんな作戦は考え付かなかったハズだ。
つまり、成功談にばかり目を奪われて失敗談を直視しなかったのが、「マリアナの七面鳥撃ち」という大悲劇の一因ということになる。


ビジネスでも戦争でも、必ず成功するとは限らない。誰かが成功すれば、その影で誰かが失敗して苦汁をなめることになる。問題は、失敗したときのことを何も考えなかったり、失敗したときに失敗の原因を直視できないことではないだろうか。

卑近な例を挙げると、私は物書きだから、本や雑誌の記事をいろいろ書いている。中には、勢い込んで刊行したものの、全然売れなくて頭を抱えてしまった本もある。
そのときに、どうして失敗したのかを冷静に分析し、それをその後の仕事に生かすことができれば、後でリベンジできる可能性がある。だが、失敗したという事実に背を向けて、失敗の存在そのものを糊塗しようとしたのでは、失敗に学ぶことはできない。

日本軍が敗北への道を転がり落ちた理由のひとつに、成功話は喜ばれるが、失敗話は誰も聞きたがらなかったという体質があったのではないか、と私は推測している。いや、昔の軍隊に限らず、今の官僚や企業社会にも、同じようなことがいえるのではないだろうか。だからこそ、日本のお役人は失敗を極度に恐れる。(でも、いろいろと大失敗してしまうこともあるのだが)

失敗談を糊塗して「なかったこと」にしてしまえば、何をやって失敗したのか、どういう理由で失敗したのか、といったことを、他のメンバーが知ることはできない。それでは、また別の誰かが同じ失敗を繰り返す可能性がある。
それだからこそ、実は成功談よりも失敗談こそ、恥を忍んで公表した上で、関係者全員で情報を共有しなければならないのではないか。

成功談に比べると注目されないから知られていないことも多いが、世の中で「成功者」とみなされている人、あるいは企業の多くは、陰でいろいろと「大失敗」もしているものだ。今でこそ「帝国」などといわれているマイクロソフトだって、Bob あたりを筆頭に、実はいろいろと失敗をしている。

問題は、失敗したときにちゃんと原因を究明し、その教訓を次に生かすことができているかということと、失敗するという事態を想定し、被害を最小限度に食い止める対策ができているかということだ。「失敗経験に学べ」といっても、失敗して国や会社が潰れてしまってはどうしようもないのだから。

何か失敗して「これはマズい」となったときに、すかさず離脱して体勢を立て直すという点では、残念だが日本人よりもアメリカ人の方が上手だと思う。
日本人だと、えてして「これはお世話になった○○さんが始めたものだから、ここでやめるのは忍びない」とか何とかいって、傷口を広げてしまったりするものだ。

反面、成功談ばかりが幅を利かせる状態というのは、危険なものであるということがいえる。過去の成功談が華々しかったばかりに、後でさまざまな大失敗を引き起こしている、あるいは大失敗の芽が見えかけている例は枚挙にいとまがない。いくつか例を挙げてみよう。

地方自治体の博覧会好き
これの原因は大阪万博の成功体験にあると思う。だが、あまり日本人が海外に出かけることが多くなく、情報も少なかった時代と比べれば、「博覧会」の重みが相対的に下がっているのは自明の理だ。ましてインターネットが普及している当世には、いまさら博覧会でもないだろうと思う。そういう意味では、「インパク」というのは最大のお笑い種だ。

整備新幹線
東海道・山陽新幹線の成功体験が忘れられない各地の首長は、「うちの地域にも新幹線が来れば同じ成功を享受できる」と考える。だが、以前に書いたことがあるように、整備新幹線をただ造るだけでは、「地域振興」よりも「地域空洞化」をもたらしかねないのではないか。高速道路や空港だって同じだ。

次世代携帯電話
今の携帯電話やブラウザフォンが大当たりした成功体験が、同じメソッドで次世代携帯電話をも普及させられるというシナリオを生んでいるように見受けられる。だが、今の調子でいったら、次世代携帯電話がずっこける確率も低くないのではないかと個人的には見ている。そろそろ、「ケータイ・バブル」も終わりではないか ?

パッと思いつくものを挙げただけでこの調子だ。時間をかければ、もっといろいろ出てくるだろう。


かつて、エルウィン・ロンメル将軍は、「それがリスクであれば、うまくいかないときに、立ち直る手段がある。それが賭けであれば、失敗したら立ち直る手段がない」といっていたそうだ。
戦争でも企業経営でも、いや個人の人生でも、大小さまざまな「リスク」はつきものだが、それを「賭け」にしてしまうのは、国家や企業や自分の人生を危険にさらすことになる。

そこで、失敗した場合を想定したり、あるいは「失敗したときに立ち直る手段」を用意したりするには、過去の失敗経験がモノをいう。失敗したことがない、あるいは失敗した話を聞いたことがない人に対して「失敗した場合を想定しろ」といっても、それは難しい話だ。
そう考えると、過去に失敗し、そこから立ち直った経験がある人の方が、何の失敗もしていない人よりも成功に近いところにいるのではないか… 私はそう考える。

今のように前途が不透明な時代には、個人も企業も国家も、(もちろんリカバリーを考えた上でだが) 失敗することを恐れず、前例のないことにも臆せずチャレンジする気概が必要ではないのだろうか。そして、失敗してしまった場合には、その原因を直視し、同じ失敗を繰り返さないようにすることだ。それが、失敗に対する最高の責任の取り方であり、最終的な成功に近づくための最善の方法でもあると思う。

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