Opinion : テロに負けるな、business as usual (2001/9/13)
 

すでに、ニューヨークとワシントン DC で発生した惨事については、皆さんもよく御存知のことと思う。いまさら被害の状況に関して繰り返すことはしないが、まずは今回の無差別テロで犠牲になった数多の人々に対し、哀悼の意を表明したい。

呆れたことに、タリバンまでが「うちは関係ない」などといっているそうだが、この御時世に「うちがやりました」と宣言する馬鹿はいないだろう。地下鉄サリン事件だって、オウム真理教は「私はやってない」といっていたではないか。いかにも関わっていそうな連中の「やってない」宣言を真に受けるのは、お人好しが過ぎる。

ともあれ、我々にできることは「哀悼の意」だけではない。なによりもまず、日常の生活を元に戻し、顔を上げて元気に生きていかなければならない。
日本では、この種の惨事が起こるとつい「歌舞音曲の自粛」だの何だのという声が出やすいのだが、とんでもない話だ。(ナムコが「エースコンバット」の CM を自粛するくらいは致し方ないが)


テロリズムというものが人類の歴史に始めて登場したのが何時のことかは知らないが、かなり以前から存在するのではないかと思う。念のために、「テロリズム」という言葉について定義しておこう。

ここでは、「テロリズム」という言葉を、「自らの主張をごり押しするために、暴力的手段をもって一般市民を攻撃する行為」と定義したい。こうして実行される各種のテロは、過去の事例を見ると、2 種類に分類されると思う。

ひとつは、政治犯の釈放や身代金の獲得といった明確な目的があり、それを実現するためにテロ行為に及ぶケースだ。仮にここでは「戦術型テロ」と命名しよう。
こんな言葉は聞いたことがないし、いまさら「戦術」「戦略」なんて言葉を持ち出したらチャック・ホーナー将軍あたりに笑われそうだが、他に適当な言葉を思いつかなかったので、勘弁していただきたい。

「戦術型テロ」の場合、事件に際して犯人が明確に何かを要求する点が特徴で、また、犯人自身も生き残る必要がある。そのため、「自爆テロ」のような形態は取らず、ハイジャック、あるいはシージャックというように何らかの「足」を確保した上で、最終的にはどこか庇護者の元にトンズラするということになる。

対して、何らかの要求を伴わず、単に破壊行為だけが突如として発生するというタイプのテロもある。といっても、本当に何の動機もないということはなくて、実際には遠大な目標があり、それをアピールし、圧力をかける目的でテロ行為に走るというものだ。今回の同時多発テロは、まさにこちらの典型例といえるだろう。
これを「戦略型テロ」と命名する。何らかの戦略的大目標を達成するための足がかりとして、テロを利用するということからの命名だ。

今回のテロ事件は、飛行機ごと自爆するという荒っぽい手口から見て、「中東系」の臭いがする。ベイルートで発生した「自動車ごと自爆テロ」もそうだが、中東系、特に「イスラム原理主義者系」のテロの特徴として、こうした「自爆行為」がある。
どんな犯罪行為でもそうだが、犯罪の手口には犯人の出自が大きく影響するものだ。

同じ爆破型テロでも、たとえば IRA なら爆弾を仕掛けて犯人は立ち去るのではないか。犯人自ら自爆する「神風テロ」は、イスラム原理主義者に独特の行動といえる。

事件の後でも生き残り、何かを実行するのが目的の「戦術型テロ」と異なり、「戦略型テロ」の場合、実行犯自身が生き残る必然性はない。むしろ、(特にイスラム系の場合) 犯人は大目的のために殉じた「英雄」になるわけだから、上の人間がその気にさせれば、犯人は喜んで命を投げ出すだろう。
それによって多数の民間人の血を流すことで、自分たちに不利な政策を実行している対象国の政府に対し、国民が「こういう政策を取るからテロが起きる。政策を変更すべし」と迫ることを狙っているというわけだ。

もうちょっと具体的に書くと、今回の場合、テロによってアメリカの政治と経済の中心に攻撃が加えられた。これによる狙いは明白で、「仇敵イスラエルに肩入れしてやがると、またこういう事件が起こるぞ」というメッセージをアメリカに対して送るというものだろう。アメリカ国民がそれによって動揺し、イスラエルを見捨てるように政府に迫ることにでもなれば、目的達成、満願成就である。

あるいは、そこまで「狙って」いなくても、単に「憎っくきアメリカの経済や人心にダメージを与えてやれ」という程度の動機でテロ行為に走ったのかもしれない。


今回の事件に際し、「ニューヨークは麻痺状態」だの「市場の閉鎖」はたまた「工場の操業停止」といったニュースが新聞紙面に踊っている。挙句の果てには、「さらなる不景気の引き金に」という類の、恐慌を煽るマスコミ論調も存在する。

だが、冷静に考えてみて欲しい。確かに、貿易センタービルが崩壊したのは痛ましい惨事だし、それによって多数の人命が失われたのも事実だが、それだけでアメリカ経済が立ち行かなくなるというほどの打撃だろうか ?

念のためにお断りしておくが、これは亡くなった皆さんの生命を軽んじていっているわけではない。

もちろん、瓦礫の山と化した市内を片付けるのに時間はかかるだろうが、アメリカの主力産業を支えるインフラと人材が、根こそぎ損なわれたという訳ではないハズだ。現に、工場の操業は再開しつつあるし、厳戒態勢ながら、飛行機の運行再開に向けた動きもないわけではないようだ。
つまり、今回の惨事を乗り越えて、すでにアメリカ社会は日常の経済活動復帰に向けて動いているということになる。

飛行機に突っ込まれたペンタゴンにしても、活動が完全に麻痺したというわけではない。もちろん、少なからぬ数のオフィスを潰された陸軍にとっては大迷惑な話だが、米軍の指揮系統はまったく打撃を受けていないし、今回の事件に際しての立ち上がりの速さは見事なものだったと思う。

もし、今回の事件に打ちひしがれて、たとえば手持ちの株式を投げ売りしたり、恐慌ムードを煽る論調に乗っかってみたりしても、それはテロリストの狙いにはまるだけではないのか。むしろ、「この程度の打撃で負けるものか」という姿をテロリストに見せ付けてやることこそ、最大のリベンジではないのか。

アメリカ政府や FBI、CIA や NSA、DIA といった情報機関、はたまた米軍にとっては、これから新たな「戦争」が始まることになる。相手がこれだけ派手にやってしまった以上、アメリカが何か報復攻撃に出ても、それを止める国はないだろう。もし「テロリストを支持する」なんておおっぴらに発言したら、その国は世界からつまはじきにされてしまう。(内心で「してやったり」と思っている国は少なくないだろうが)

そうした「政府レベルのバトル」は、それはそれで措いておこう。だが、一般国民や、あるいはわれわれ友好国の国民が何もすることがないのかというと、そんなことはない。「犯人探し」や「報復」は政府の仕事だからそっちに任せて、我々は、自分たちにできる範囲でテロリストの目的達成の邪魔をすればよい。

それには、大それたことをする必要はない。現地で被害に遭った人のために義援金を送るのでもよいし、何か役に立ちそうなものを送るのでもよい。極端な話、アメリカ製品を輸入するのだって一種の復興援助だ。
要は、テロに負けずに "business as usual" な状態に一刻も早く復帰する、あるいはその手伝いをすることこそ、我々民間の人間にできる最大の貢献ではないかと思うのだ。そして産業が日常の活動を取り戻し、株価が上がれば文句なし。

そうすることで、アメリカ、あるいは西側諸国の経済が迅速な立ち直りを見せれば、これはテロリストに対する最大の復讐である。なぜかといえば、テロというのは民心を侵す攻撃だが、それが失敗したことになるからだ。それは結果として、テロの無力を証明することになる。
(それで相手がテロをやめるかというと、それはまた別の問題だが…)

だから、我々はいつもと同様に歌舞音曲をバンバン流し、経済行為に励むべきなのだ。自粛ムードなど、煽る必要はまったくない。繰り返すが "business as usual" である。いつものように仕事や遊びに励むことこそ、テロリストに最大のダメージを与える行為なのだ。

とはいうものの、中東和平に関して何らかの進展がないと、根本的な原因除去にならないのは気が重いところ。ただ、両方の当事者がゼロサム・ゲームのつもりでいるから、これでは百万年経っても解決しない。困ったものである。

ちなみに、ペルー人質事件のときのように「平和解決」を願う論調は、こと相手がテロリストの場合、まったく意味がない。なぜなら、テロリストというのは「話し合いが面倒だから暴力で解決する」という連中である。そんな連中を相手に「話し合いで納得させよう」などというのが、そもそもチクロかサッカリンのように甘い考えなのだ。
だから、テロ犯人を射殺しても、文句をいう方が間違っている。暴力行為によるごり押しという道を選んだ時点で、すでにテロリストというのは人間ではないと考えるべきではなかろうか。

もうひとつ。今回の事件でつくづく実感したのは、「国連」の限界だ。
国連とは、国家ならびにそれに準じるものの代表が集まってできた組織だが、冷戦構造崩壊後の「非対称型戦争」の時代では、今回のテロ事件のように相手が「国家」ではないケースが増えてくる。すると、「国家と国家の仲裁」でやってきた国連には、テロに対する具体的な行動がとりにくいと思う。なにしろ、一方の当事者は国連に席を持っていないのだから。

国連にできるのは、せいぜいテロリストの庇護者たる国家を非難することぐらいだろう。それでテロに対する抑止が成立するかというと疑問だ。このことを考えると、少し気が重くなった。

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