Opinion : 公共事業論議に見る「改革」の本質 (2001/10/15)
 

1 年ほど前、「静岡空港不要論」という記事を書いた。相変わらず、静岡県当局は空港建設推進に凝り固まり、あるのかないのか分からない需要予測をタテに、建設を進めようとしているそうだ。
私は、むやみやたらに何でも「反対」する運動のあり方をよくは思わないが、すでに新幹線も高速道路も (第二東名の建設計画まで !) ある上に、もともと首都圏や中京圏に近い静岡県が空港を欲しがるのは、もはや「滑稽」の領域に入っていると思う。

また、クルマで地方の幹線国道を走っていると、往々にして「高速道路の早期完成を !!」という立看板を見るが、そういう看板が林立している地域に限って、高速道路を作っても採算が取れそうにない場所ばかりだ。


どうしてこういうことになるかといえば、常々指摘しているように、地方自治体首長などに「新幹線・高速道路・空港」という「三種の神器」を欲しがる風潮があり、地元選出の国会議員がそれを利用して、事業そのもの、さらにはそれに付随する国の補助金などを地元にばら撒こうとしているという、完璧に構造的な問題が背景にあるのではないか。

もちろん、地域発展のインフラとして交通手段が必要であるのは間違いないが、それは日本の国土全体の交通ネットワークがいかにあるべきか、という戦略あってこそだ。ただ単に、「三種の神器」を揃えればよいという問題ではない。

たとえば、規模の大小を問わず空港によくある話だが、空港から先のアクセスが悪くて、中心都市まで移動するのにフライトより長い時間がかかった、なんていう間抜けな空港はいくつもある。「福島空港」と命名しておいて、実態は「須賀川空港」なんていう、詐欺みたいな実例もある。(鹿児島や広島も、かなり怪しい)

本当なら、航空・鉄道・海運・自動車のいずれのも得手・不得手があるのだから、それぞれが得意な場所で利用されるように、全体を組み合わせたネットワーク作りを考えるべきだ。たとえば、飛行機や新幹線は遠距離の高速移動に向くが、地域のフィーダーサービスには向かないから、そこは高速道路や幹線国道を使ってフォローする、といった具合だ。
だが、現在問題になっている空港新設、あるいは新幹線の建設状況を見ていると、競合関係にあるようなものが少なくないという印象が拭えない。全体をどうするかというグランドデザインがないから、横の連携が「なっていない」のだ。

また、特に空港の場合、路線ごとの運賃格差がかなり激しくなってきている現状を考えると、新設空港ができたものの、利用者は安い運賃を求めて、わざわざ幹線区間に迂回利用するという事態が起きそうだ。
いい例が佐賀空港で、福岡空港のロケーションの良さもあいまって、多くの利用者が福岡に出てしまうという。もし九州新幹線が博多から鹿児島まで完成した日には、熊本や鹿児島の空港にも同じ事態が起きかねない。


どうしてこういうトンマな事態が起こるかといえば、それぞれの地元で「戦略なき誘致」が展開されているせいだ。そして、そういうやり方がまかり通るのも、ある程度の費用が補助金などの形で国によって負担されるため、懐の痛みを地元があまり感じないからではないのか。

となると、これは「地方分権」の問題とも絡むのだが、国から財政を (財源も含めて) 大幅に地方に移管して、「欲しいものは自分のカネで作るように」とやるしかないのではなかろうか。自腹切腹で建設し、維持する方法も自分で考えるとなれば、大甘な需要予測はできない。失敗すれば、その結果は自分が背負い込むことになるからだ。また、造った施設の振興策を講じるにしても、もう少し真剣になるだろう。

はっきりいってしまえば、地方が「国にたかる」体質を引っ込めない限り、この手の問題は根絶できないと思う。もっとも、この考え方には、国 (霞ヶ関の官僚と永田町の国会議員の両方) が既得権益を手放すということと、地方に財源と判断を委ねるという「責任」を回すことが含まれるから、既得権益を手放したくない国側と責任を取りたくない地方側の両方から、猛烈なブーイングを食らう可能性が高い。

だが、権利や地位には責任が伴うものだし、本気で「地方分権」だの「地方振興」だのという旗印を掲げるのであれば、必ず必要なことだと思う。財源を国の「ヒモ付き」にしたままで、「地方分権」もヘッタクレもあるものか。

ついでに書けば、国が「許認可権」も含めて、さまざまなところで産業界の首根っこを押さえているから、企業の多くは国との接点を必要として東京に集中し、それが結果として「東京一極集中」という結果を生んでいるということも指摘したい。企業が集まり、結果として人が集まれば、東京が集中的に栄えてしまい、刺激を求める地方の若者たちは、東京にどんどん流出するということが起こる。(また、特に TV のようなメディアが、その風潮を加速する)

多分、そういう問題は「首都機能移転」だけでは解決しない。よしんば実現したところで、場所が変わるだけのことだ。首都機能移転に際して、移転先として名乗りを上げている自治体がいくつかあるが、つまりは自分たちが「新東京」になって、吸い上げられる側から吸い上げる側に回りたい。ついでに移転に際して投入される国の資金のおこぼれにあずかりたい、というだけのことではないのか。

似たような例で、マルチ商法で組織上位に貢ぐのが嫌になり、自分がトップに座ったマルチ商法の組織を作ろうとして (自称) 100 万通の宣伝メールをばら撒いた、間抜けなスパマーの事例がある。そもそもマルチが儲かるわけがないという、問題の根本原理がまるで分かっていないから、こういうことをする。
「地方 vs 東京」の構図とて、この手の話を笑えた義理ではなかろう。

以前に、拙稿「整備新幹線は "地域振興" の夢を見るか ?」でも指摘した通り、こういう構造的な問題をそのままにして新幹線や空港、高速道路を作っても、それは移動時間の短縮に伴う「東京一極集中の加速」という結果しかもたらさないだろう。それを、地方自治体の首長が「国土の均衡ある発展」なんていう美辞麗句でカムフラージュするから、話がおかしくなる。


空港にしろ高速道路にしろ新幹線にしろ、採算性という観点から、あるいは (当節流行の) 環境という観点から物事を論じるのも結構だが、そもそも、どうして公共事業の乱発が止まないのか、という本質的構造問題にメスを入れない限り、根本的な問題解決はあり得ない。

もちろん、そこで本当にメスを入れれば、何がしかの「痛み」を伴う結果になるだろうが、グローバルな観点からそれが良いということなら、断固としてやるべきだ。それができない奴は政治家失格だし、国にたかることしか考えてない首長や議員は、全員、直ちに引退してしまえ、と申し上げたい。権限を行使することに生き甲斐を感じている中央官庁の役人も同罪だ。
もし、責任は取りたくないが権限や財政だけは欲しい、なんてことをいう奴が政官界にいたら、このサイトで血祭りに上げて差し上げるから、即刻、名乗り出るように。(タレコミ情報も歓迎)

ぶっちゃけた話、財政再建の一助としてカジノを作ると主張した石原都知事の考え方は、少なくとも国にたかろうとしていないだけ、他と比べてはるかに健全だと思う。カジノが健全かどうかは内容と運用の問題で、他に公営ギャンブルがいろいろあるのに、石原カジノ構想だけを槍玉に挙げるのも変だ。

まとめると、こういうことだ。
現在、国が保持しているものの中から、財源や権限も含め、できるだけ多くを地方に委譲する。その代わり、地方は国にたからず、自分で必要なものを揃える。国は国家全体のグランド・デザインを考えることと、外交や防衛といった、本当に国でなければできない仕事に専念し、あまりにも軌道から外れたことをする地域が出たときだけ口を出す。そういう体制にすれば、今のような不毛な公共事業論議も、少しは減ると思うのだが、どんなものだろうか。それこそが、流行語と化した「改革」の本質ではないのだろうか。

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