Opinion : 使えないハイウェイラジオと役人の驕り (2001/11/26)
 

もう 2 年以上前の話だが、「使えないハイウェイラジオ」というコラムを掲載したことがある。

どういう内容かというと、高速道路で道路公団が流している「ハイウェイラジオ (1620kHz の AM ラジオ放送)」が伝える情報が役に立たないことがある、という内容だ。典型例が、比較的近くの IC 名を出して「○○までは順調」というときには、えてして、その先で何かトラブルが起きている、というものだった。


あれから 2 年経つが、この辺の状況は相変わらずだ。今でも、近くの IC 名を挙げて「○○までは順調に流れています」というときには、たいてい、その先で事故か自然渋滞か工事渋滞が発生している。これではまるで、「戦況は有利」といっていたのに頭上から焼夷弾が降ってきた、太平洋戦争の戦局推移と同じではないか。

前掲の記事を書いたときには、まだ自分のクルマに VICS ユニットを載せていなかったので、「これは VICS ユニットを売るための陰謀か ?」とも書いた。ところが、VICS 情報も似たようなものだということが、後に VICS を搭載してみて判明したのだから始末が悪い。

VICS の場合、高速道路の本線上では約 3km ごとに設置されたビーコンからの電波を受信する度に、道路交通情報や所要時間情報がカーナビの画面に表示される。このとき、ある程度先まで正確な情報が出ることもあるのだが、ときどき、ずいぶんと近くの IC までの情報しか出なくなってしまうことがある。すると、「使えないハイウェイラジオ」と同じで、その先で何か発生していることが多いのだ。

だいたい、ラジオでも VICS でも、道路交通情報というのは、順調に流れているときには必要ないものである。情報が欲しいのは、事故や渋滞などの情報だ。ところが、意図的なのかどうなのか、そういう情報はギリギリまで隠蔽するというのが日本道路公団などの方針であるらしい。

その理由について、前掲の拙稿の中で、私は以下のように邪推した。

まさか、「渋滞の情報を聞いて一般道に下りられると通行料収入が減るから、渋滞情報は小出しにしている」なんてことがあるとは信じたくないが、そう勘繰りたくもなってしまうことが、実際にある。

実際に高速道路を走っているドライバー心理としては、よほど目的地が近くない限り、途中で何かあるからといって高速道路を降りたりはしない。理由は、不慣れな土地で一般道路をウロウロしたくないというのがひとつ、その間に事故などの渋滞原因が片付いてしまえば意味がないというのがひとつ。そして、高速道路の料金は細切れにすると高くつくという事情があるからだ。

だから、実際には事故情報を流したからといって、高速道路の利用者が目立って減るとは思えない。私の場合、前方で事故や渋滞が発生しているというのが分かっていれば、手前の SA で時間調整をすることはあっても、途中で高速を降りるというのは滅多にない。よほど先を急ぐ人は別だろうが。

これは個人的な話だから、実際に渋滞などの情報を耳にして高速道路を降りる人がどれだけいるか分からないが、問題は、道路公団の「都合の悪い情報はギリギリまで隠蔽する」という体質にあるように思える。

最近、道路公団は行政改革との関係で「悪役」にされているが、赤字田舎路線の新設に邁進する姿だけでなく、こういう「都合の悪い情報は隠す」という体質も、顰蹙を買う原因のひとつになってはいないだろうか。


もっとも、「都合の悪い情報は隠す」、あるいは「黙って我々のいうことを聞いてればいいんだ」的な体質は、何も道路公団に限ったことではない。これは日本のお役所全般、たとえば私が喧嘩している国税庁にも見られる体質だ。

例のストックオプションの件で、私が何をそんなに怒っているのかというと、「いったんは『一時所得にしろ』といっておきながら、後で税収が稼げるとなった途端に『給与所得』に勝手に解釈を変え、しかも過去にさかのぼって税金をふんだくった上に加算税までかけるとは何事か」という感情が根底にある。
お役人の勝手な都合で勝手に解釈をコロコロ変え、しかも「お前らは黙っていうことを聞いてればいいんだ」的な態度で高圧的に来られれば、腹が立つのも無理はないし、訴訟を起こすケースが相次いでいるのも当然だ。

おまけに、コトが公になった途端に「一時所得にしろと指導したことはない」と前言を翻してマスコミ向けに発表しておきながら、訴訟に持ち込まれて法廷で過去の指導事実が明るみに出ると、今度は「誤指導だ」と、さらに前言を翻すという朝令暮改ぶりだ。これで不信感を持つなという方が、どうかしている。

多分、これまではそういうやり方で誰も文句をいわなかったから、国税庁も調子に乗っていたのだろう。おまけに、そうやって修正申告を迫った結果が税務署員の出世という形になるのでは、たまったものではない。関係する納税者は、いってみれば税務署員が出世するための「踏み台」にされたようなものではないか。

また、外務省の不祥事続発にしても、根本部分には「驕り」があったのではないかと思う。外務省が重要な仕事をしているのは確かだし、仕事の内容を考えれば、機密費だって必要だろうとは思う。
ただ、「重要な仕事をしている俺達は偉い → 偉いのだから何をやっても許される → カネを使うのも国のため」みたいな思い込みで (?)、結果として、国費をプールして私的流用するなんていうエスカレーションが発生したのは看過できない。


日本の官僚というのは、他国と比べてもとりわけ「日本という国家を自分たちが引っ張る」という意識が強いように思える。高度成長期に「日本の官僚は優秀だ」的な論調が幅を利かせたのもそういう風潮に輪をかけただろうし、日本の学歴社会のヒエラルキーでは、トップに座っているのは役人だから、国民の側にもそういう意識が刷り込まれているのだろう。

今でも、地方に行くと、就職先としてもっとも尊重されるのが「公務員」であるというあたりに、そういう「刷り込み」の効果が垣間見える。
長崎に行ったときに、路面電車の車内に出ている専門学校の広告で「公務員合格 !!」を謳うものがデカデカと掲げられているのを見たときには、「ああ、こういう意識があるんだなあ」と実感したものだ。

だが、日本国憲法を持ち出すまでもなく、そもそも役人 (公務員) というのは、国民が豊かで充実した生活を送れるように、陰でサポートする「黒子」のはずだ。
別に「黒子」だから偉くないなどというつもりはないが、黒子が威張っている、あるいは黒子が情報を都合のいいように操作している、挙句には国民そっちのけで組織防衛に励んでいるというのは、正常な姿とは思えない。

道路公団の「使えないハイウェイラジオ」も、国税庁の「ストックオプション騒動」も、外務省の「カネにまつわる不祥事続発」も、根底の部分は「役人の驕り」に行き着くのではないだろうか。

そう考えると、役所、あるいは日本の官僚制度、そしてもちろん各種の公団や特殊法人といったものは、いったんすべてご破算にして、これからの時代に必要なものを新規に構築し、人材も一新するべきではないかと思ってしまうのだ。

国民に奉仕する「公僕」(憲法だか公務員法だかに、そう書いてあったハズだ) であるはずの公務員が、国の行く末を怪しくする「国賊」になってしまったのでは、まったくもってお話にならない。皆さんはどうお考えになるだろうか。

Contents
HOME
Works
Diary
PC Diary
Defence News
Opinion
Ski
About


| 記事一覧に戻る |