Opinion : 革命より漸進を (2001/12/17)
 

「revolutionary より evolutionary に」と発言したのは、確か、総理大臣を務めていたときの米内光政だ。私はこの言葉が好きだ。

今の自分は IT 系の物書き業をしているが、この業界は、新手のテクノロジーが登場する頻度が極めて高い。たいていの場合、最初に伏線となる時期があって、それがある日一挙に花開くというパターンが多いから、伏線の時期から関わっていた人が、花開いたときに盛大に神輿を担ぐ。(Linux がいい例だろう)

神輿を担ぐのは当人の自由だが、そこで気になるのは、往々にして「○○は新しい。○○は画期的だ。よって、今までの技術は捨ててしまおう」的な論調が出てくることだ。ところが、数年後に振り返ってみると、えてしてこの手の煽りは無残な失敗に終わる。

特に IT 業界においては、過去の「ブーム」で使い捨てられたキーワードがたくさんあるのは、業界関係者なら周知の通りだろう。
たとえば、10 年ほど前に騒いでいた「SIS (戦略情報システム)」と称して導入されたオフコンは、今、あちこちで屍を晒しているのではないか ?

Windows でも Macintosh でも (Linux でも ?)、GUI の便利さばかりが謳い上げられるが、それならどうして Windows XP には「コマンド プロンプト」が残っているのだろうか。いや、残っているだけではない。今でもマイクロソフトは CUI コマンドの改良を続けている。古いものを簡単に捨て去っていない実例だ。

こうした傾向は、なにも IT 業界に限らない。
米軍は空対空ミサイルの登場後、「ミサイル万能」という煽りに乗っかって戦闘機から機関砲を全廃し、ベトナムで痛い目に遭った。その教訓から、21 世紀のサイバー戦闘機たる F-22A ラプターにも、ちゃんと 20mm 機関砲が載っている。

米海軍も、一時は砲熕兵器全廃に走ったことがあったが、結局、今でも艦砲の開発は続けられている。というより、"from the sea" の関係で、むしろ有力な対地攻撃兵器として力が入っているといえるかもしれない。

対戦車ミサイルの普及で「戦車無用論」が登場したこともあったが、結果は逆。もっとも、最近は「緊急展開部隊」の流行で、C-130 でも空輸できる装輪車両に陽が当たっているから、またぞろ「戦車無用論」が蒸し返されることになるかもしれない。

陸の上では、今次のアフガン攻撃の内容を受けて「特殊部隊増強・機甲部隊不要論」が出てくるかもしれない。だが、それは間違いだと今から申し上げておこう。軍備というのは相対的な比較で意味を持つものだから、戦車を持っている国があるうちは、機甲部隊が不要ということにはならないハズだ。

多分、他の業界にも、似たような話はいろいろあるのではないかと思う。
いずれの話にも共通するのは、「新技術」「新発想」の神輿を担ぎすぎて極端に走り、古いものを一挙に捨て去って怪我をするという点だろう。


私も、物書きとしていろいろなテクノロジーについて取り上げているし、ちょっとしたブームを引き起こした「XML」についても、あちこちで書籍や雑誌の記事を書いたり、教育事業に携わったりしている。だから、そうした表面的な事象だけ見ていると、「井上だって XML の神輿を担いでいるじゃないか」といわれそうだが、実のところ、そうでもない。

XML 入門などと称してしゃべっているときにも、XML+XSLT による HTML 生成について書いたりしゃべったりしているときにも、「得手・不得手があるから、必ずこの方法が成功するとは限らない。XML にした方がいい結果が得られるならそうすればいいし、XML にすることで無駄が増えるなら無理して XML 化することはない」といっている。嘘だと思ったら、私が書いたものを読んでみて頂けばよい。

世間では、こういう事情が分かっていないのか、「(流行だから) とにかく何でも XML 化してしまえ」と煽る人が少なくないのだが、そういう人のいうことばかり聞いてると、ロクなことになりませんぞ、と申し上げたい。XML でも何でも、導入した方がいいと判断されればそうすればいいし、導入しても効果が見込めなければ止めればよい。たとえば、Java や C# より COBOL の方が役立つなら、そうすればいい。

Linux ブームとともに「オープン・ソース」という言葉が脚光を浴びたが、これも同じだ。何でもオープン・ソースにすれば成功するというものではない。流行に乗っかってソースを公開してみたものの、うまく行かなかったプロジェクトだってある。

「オープン・ソース」に対する傾倒がエスカレートすると、「企業、あるいは組織という形態で何かすること」自体を否定してしまい、「個人のネットワーク」がすべてを解決するという極論に走る人も出てくるわけだが、現実はそんなに単純なものでもなかろう。

ソフトウェアのソースでも何でも、オープンにするだけでは問題は解決しない。何か問題が発生したときに、その問題を解決できる人を見つけなければならないのはオープンでもクローズドでも同じこと。そこのところを忘れ、流行に乗って「オープン・ソースにすれば、誰かが何とかしてくれて、問題が解決する」と単純に考えるから、痛い目をみることになる。

もちろん、オープン・ソースにしたことで成功したプロジェクトだってあるわけだが、ここで勘違いしないでいただきたいのは、私は「オープン・ソース」そのものを批判しているのではなく、「流行に乗って、表面的なところだけを見てオープン・ソースに乗ること」を批判しているのだということだ。
そういう腰の軽い態度をとる人は、何か別の「ブーム」が登場したら、あっさりそちらに乗り換えて、別の「ブーム」の神輿を担ぐだろう。えてしてそんなものだ。


だいたい、「改革」とか「革命」といった言葉は人心を惑わしやすい。実際の重大な変化というのは、テクノロジー分野でもその他の分野でも、もっと長い時間をかけてなされることが多いのではないだろうか。それがたまたま、外面的には瞬時にして大変化が発生する「革命」に見えることはあるかもしれないが。

小泉内閣の「改革」だって、言葉の受けがいいから高い支持率を集めているという部分はあるだろうが、一発であらゆる問題が解決する、政策面での「銀の弾丸」がそうそうやたらにあるわけがない。確固たる戦略に基づいた地道な政策の積み重ねと断固たる意思をもって「改革路線」を継続してこそ、初めて事は成るのではないか。

日本の If もの架空戦記によくあるパターンだが、「革新的な新兵器」や「すばらしい腕を持った英雄」がいきなり出現して危機を救うというストーリーは、確かに人目をひきつけやすい。だが、現実世界でそうした解決を期待するのは、一般論としては間違っていると思う。

「銀の弾丸」が出てきて一発解決… ではなく、一見したところでは解決になりそうもない小さな努力が積み重ねられて、結果として問題が解決した、という方が、問題解決の成果が長続きするだろうし、余計な反動を引き起こすことも少ないと思う。
一般受けしやすいのは「銀の弾丸」で一夜にして大革命を引き起こす「revolutionary」だろうが、たいていの問題においては、真の解決をもたらすのは漸進的に解決を図る「evolutionary」だと思う。

もし、テクノロジーでも政治でも、「自分が一夜にしてすべての問題を解決します」「○○を導入すればすべての問題が瞬時に解決します」というようなことをいう人が出てきたら、そういう発言は怪しいと思うべきだ。
特に独裁者というのは、民衆のそうした「革命的変化」を期待する心情に付け込んで勢力を伸ばしたりするものだ。今の日本のように、国中がなんとなく閉塞ムードにある状態は、もっとも危険だ。心しておきたい。

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