Opinion : 「先」は見えなくて当たり前 (2002/1/7)
 

2001 年末の「ゆく年くる年」か何かで、アナウンサーが「先の見えない時代が云々」ということをいっていた。

出たとこ勝負のニュース番組と違うから、先に書いておいた原稿を読んでいたのだろうが、それにしても腹が立った。なにも、わざわざ不安感を煽り立てるようなことをいわなくてもいいではないか。能天気な大本営発表ばかりでも困るが、これでは「逆大本営発表」だ。

だいたい、人生において、「先」は見えないのが当たり前。それとも、過去の時代には先が見えていたとでもいうのだろうか。
かつて、麻原某なる人物は「未来のビジョンが見える」とぬかしていたが、自分が刑務所に入るビジョンまで見えていたとは思えない (笑)。えてしてそんなものだ。


日本では長いこと、「いい学校に行って、いい会社 (あるいは役所) に入れば人生は安泰。だから、今のうちにちゃんと勉強しろ」といって子供を煽り立ててきた。誰もが大企業のサラリーマンや役人に向いているとは思えないのだが、適性も何も無視して、とにかく大企業へ、公務員へ、というドライブをかけてきたのは事実だろう。

どうしてそういう発想に行き着いたかといえば、多分、「安定志向」ということに尽きるのだと思う。小さい会社よりも大きい会社の方が潰れにくいだろうし、まして役所なら潰れるということがない。そういう場所に職を得ておけば、定年まで安心して勤められるという発想だ。

だが、当世では名の通った大企業でも平気で経営危機、あるいは倒産という事態に見舞われているし、役所も何かと風当たりが強い。すでに定年退職した人はともかく、若い頃に「安心」を求めて大企業や役所を目指した (あるいは、目指すべく追い立てられた) 人にとっては、「騙された」という心境かもしれない。

だが、それは当初の心掛けが悪かったといわざるを得ない。だいたい、右へ倣えで皆が同じことをしていればよかった高度成長期ならいざ知らず、自分で自分が何をすべきかを考えなければいけない時代に、組織に寄りかかるだけで安泰を確保しようという発想に間違いがある。

そもそも、若いうちから「一生安泰」なんてことをテーマに掲げるのがおかしい。人生のどこにでも、死神はひっそりと口を開けているものなのだ。それを避けて通れるか、モロに突っ込んでしまうかは、かなりの部分、「運」に支配されている。
9/11 のテロ事件がいい例だが、手近なところでも、高速道路でトラックに蹴飛ばされた私がいうと、少しは説得力があるかもしれない。

「運命に従うのも運命、運命に逆らうのも運命」と書いたのは大藪春彦氏だが、人生のどこにでも、タナトスがお迎えにやってくるかもしれないリスクが伴っていることを、もっと誰もが自覚すべきだと思う。万人に 70 年の人生が保障されているわけではないのだ。
極端な話、人生それ自体が「賭け」の連続なのであって、「○○すれば一生安泰」なんてことは、ありそうでいて、実はあり得ない。

だから、「成功することよりも失敗しないこと」を大事にして、自分の身の安泰だけを考えるというのは、個人的には允に褒められない生き方だと思う。むしろ、「今を一生懸命であること」を大事にして、あっちでぶつかったり、こっちで躓いたりしている人の方が尊敬できる。違うだろうか。

それで失敗したって構わないではないか。よほど傍迷惑な失敗をすれば別だが、失敗から学んで、同じ失敗を何度も繰り返さなければいいのだ。自分で決断したことが当たれば、それはそれ。決断が裏目に出れば、それはそれ。


もっとも、何事にもリスクはつきものと考えると、可能な限り、リスクをヘッジする工夫は必要だと思う。

たとえば、事故でトランクに入っていた荷物の大半を喪失した経験から、私はクルマで移動する際、できるだけトランクを使わず、荷物はリアシートに置くようにした。こうすれば、キャビンは事故で潰れても生き残る確率が高いから (これは実証済み)、そこに置かれた荷物も生き残る確率が高くなる。
もし、キャビンに置かれた荷物がオシャカになるような事故なら、そのときには自分もオシャカになっているだろうから、荷物のことは、もはや問題ではなくなる。

また、「これから銀行がいくつか潰れる」と危機感を煽り立てるイエロー・ジャーナリズムが後を絶たないが、これとてリスクヘッジ策はある。ペイオフ解禁後の保障限度内に残高を抑制し、系列の異なる複数の金融機関に預金を分散すれば済むことだ。もっとも、それぐらい残高があれば、という恵まれたケースにおいての話だし、企業の場合は事情が違うだろうが。

仕事の話にしても、自分の現在の仕事が定年まで安泰だなんて考えずに、どこに持っていっても通用するスキルを磨くことに力を入れる方が、リストラの不安に無為に怯えているよりも建設的だ。そもそも、「会社や役所に忠誠を売る代わりに、定年まで生活を保障してもらう」という考え方は、そろそろ捨て去るべきだろう。

むしろ、仕事というのは「自分が持っているものを、いかに高く買ってもらうか」ということなのだと考えるべきではなかろうか。そういう心構えができていれば、自分のスキルに自信を持つことで「なんとかなるさ」と楽天的になれるのかもしれないと思う。

個人的には、好調なときほど危機感を持ち、不調なときこそ楽観的に、というのが正しいと思うのだが、どんなものだろう。仕事でも何でも、成功しているように見えるときほど、危機感や問題意識を持つことが必要だと思うのだ。それが、結果として将来的な危機回避に役立つと思うからだ。

インド洋作戦と、その後の MI 作戦 (ミッドウェイ海戦) における南雲機動部隊を見れば分かるが、成功した作戦の中に潜んでいる失敗をいぶりだすのは、失敗に終わった作戦の原因をいぶりだすよりも難しい。
かつて日本中が浮かれまくったバブル経済だって、同じことだろう。今だから、あれは一種の「宴」だったといえるが、当時は誰もが「この好調が永遠に続く」と思ったのではないか ? それが幻だったからといって、後になって「先が見えない」などと不安がってみても仕方がない。

今の時代に限ったことではないが、「先の見えない」ことを嘆くよりも、それを既定値として受け入れた上で、「リスク分散」や「危機の未然予防」によって可能な限りの対処をするという生き方が必要なのではなかろうか。
ただ無闇矢鱈と不安を抱くだけというのは、まことに褒められたものではない。まして、他人が煽る「不安感」を勝手に自分の中で増殖させたところで、何もいいことはないのだ。

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