Opinion : いわゆる戦争報道の支離滅裂 (2002/1/14)
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まだラディンもオマル師も見つからないが、暫定政権も成立し、アフガン情勢は好ましい方向に進みつつあるように見える。もっとも、寄合所帯の暫定政権が「仲間割れ」を起こして瓦解する可能性は否定できないが、そんなことにならないように、各派においては冷静なる対応を望みたいものだ。
そのアフガンにおける米軍その他の戦闘行動、いわゆる "Operation Enduring Freedom" に関するマスコミ各社や、政治家などの著名人の対応について、どうも気になったことがいろいろあった。情勢が落ち着いてきたところで、まとめて取り上げることにしたい。
いいたいことはいろいろあるが、最大の誤謬を取り上げるとするならば、「過去の戦争で現在の戦争の成り行きを予想した」ということに尽きるだろう。
たとえば、「アメリカはベトナムで軍事介入して失敗したから、今度も失敗する」とか「ソ聯はアフガニスタンに攻め込んで負けたから、米軍も負ける」といったものに代表される、すこぶる単純、かつ何も考えていない論調のことだ。
アメリカがアフガンを実効支配していたタリバンに対して軍事力を投入することを決めた時点で、どんな作戦を取るかを見極めた上で、数字を出して「失敗する」と予測したのならともかく、「軍事介入 = 失敗」「ソ聯が失敗 = また失敗」という、あまりにもマクロ的で大雑把でいい加減な予測の仕方をしたこと自体、責められてしかるべきではないだろうか。
私は作戦開始の頃に、「米陸軍の予備役動員の少なさ」と「燃料発注の多さ」を理由にして、以下のような予想を立てた。
陸軍の動員規模が小さいから、湾岸戦争でやったような、軍団単位の大規模な地上軍投入は (少なくとも当面は) ない
むしろ、特殊部隊による隠密作戦が主体になるだろう
空軍の予備役動員が他と比べて多いから、航空攻撃が主体になるだろう
このことは、Defense Logistics Agency からの燃料発注契約が急増したことでも裏付けられる
これは、予想するだけでなく、同じことをあちこちで吹いて回っていたから、仕事などで私と会い、たまたまこの件を話題にした人の中には、上記と同じ内容の話を聞いたことがある人もいるはずだ。
ちなみに、予想に使ったのはペンタゴンの公式なニュースリリースで、誰でも入手できる種類のものだ。別に、裏口から仕入れた極秘情報を使って予測したわけではない。
また、こうした公式発表データだけでなく、ベトナムにおけるアメリカ、あるいはアフガニスタンにおけるソ聯といった過去の失敗例について検討すれば、そうした失敗例と同じ作戦を繰り返す可能性が低いだろう、ということは容易に想像できる。
ベトナムでアメリカが大失敗した理由のひとつに、自力で大規模介入した挙句、現地の一般市民を味方に付けるのに失敗した」というものがある。これと同じ轍を踏みたくなければ、現地の反タリバン勢力を前面に立てて、米軍は特殊作戦による隠密行動や反タリバン勢力に対する支援を中心にするというのは、ごくごく理に適った手法だ。
英陸軍 SAS の「民心掌握工作」もそうだが、現地住民を味方につけなければ、軍事力の投入による政治目的達成は難しい。そんなことは、過去の軍事介入事例を研究した人なら、誰でも分かる。それすらも不可能なほど、日本 (だけではないか ?) のマスコミは思考能力が低下しているのだろうか。
具体的な作戦内容まで予想せず、単に「過去に失敗した事例がある」というだけの理由で「今回も失敗する」と予測するのは、はっきりいえば「報道」に携わるものとしては手抜きの極みである。あげく、「ペンタゴンは都合のいいことばかり発表する」とか「情報統制が云々」などと文句をいうのは、事実上の職務放棄だ。
公式発表を右から左に横流しするだけなら、報道関係者なんて必要ない。表立って話題になっていない情報までいろいろ集めた上で、実際に作戦を行う米軍の立場になって「どういう作戦をとるだろうか」と考えてみれば、私と同じ予想を立てるのは、そんなに難しくなかったハズだ。
とはいえ、私もさすがに、タリバンがこんなに速く瓦解するとまでは予想していなかったが。
多分、一連の「米軍苦戦予想」の中には「戦争は悪だから、戦争を始める米軍のことを良くいうことはできない」とか「翼賛ムードになっているアメリカの報道機関と同じことをいうわけにはいかない」というような、情勢判断とは直接関係のない、予想ではなく願望をベースにしたものもあったのだろう。だが、そんなものは「報道」とはいわない。
太平洋戦争中に、日本軍の「情勢判断」にハズレが頻発して負け戦を悲惨なものにしたのも、目の前の現実より願望を重視した結果ではなかったのか。それと同じ轍をいまだに踏んでいるのだから、救いようがない。
戦争報道でも企業経営でも、情報を分析・予想するのに「願望」が入れば、えてして結果は悲惨なものになる。その典型例が、大ハズレ連続の「アフガン戦況予測」ではなかったのだろうか。
ついでに嫌味を書いておけば、小泉政権の「改革路線」に我も我もと旗を振ったり、「お姫様」の誕生で他のニュースを放り出して大騒ぎしたりした日本のマスコミに、アメリカの「翼賛報道」を批判する資格などない。どっちも似たようなもんだ。
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次に、もうひとつ目についた「誤爆批判」について触れておきたい。
「米軍のことを持ち上げたくない」という無意識な (意識的な ?) 潜在願望にタリバン側のプロパガンダが火をつけたのか、今回はとりわけ「誤爆批判」が多かったように思う。
もちろん、ペンタゴン用語でいうところの「付随的損害」は、少ない方がいいに決まっている。だが、後で叩かれるのが分かっていて、意図的に間違った場所に爆弾を落とす人などいない。
これは、湾岸戦争の緒戦で LGB がビシビシ当たる映像を公表して「ピンポイント爆撃」を喧伝し、本当はそれほどでもないのに「当世の爆撃とは百発百中だ」という誤解を広めてしまった、ペンタゴンの自業自得ともいえる。
だが、「誤爆」と「ハズレ弾」を混同している「誤爆報道」にも、三分の非はあると思う。
情報が古くて JDAM にインプットする座標を間違えたとか、敵味方識別を誤って友軍の頭上に爆弾を落としてしまったというのは、確かに「誤爆」である。だが、たとえば、爆弾が落下する途中で風に流されて予定外のところに着弾したというケースまで「誤爆」と称すれば、それはもはや言葉の使い方を間違えている。
とどのつまり、「誤爆報道」の根底にも「何か米軍のことを悪くいうネタが欲しい」という願望が混じっていたのではないかという思いが捨てきれない。こういうことばかりやっていると、本当に批判すべきものを見抜ける眼力が損なわれるのではないかと、他人事ながら心配になる。
とどのつまり、特に「戦争報道」については情報統制や逆情報、プロパガンダが飛び交うのが当然と考えなければならない。まっとうな当局者や独裁者なら、宣伝戦も戦争のうちということは常識として知っていることだからだ。
そんな中で、願望を交えずに情勢を自分の目で正しく分析することができなければ、まっとうな「報道」はできないと思う。それを実現するには、軍の情報担当者に匹敵する眼力と、平素からの勉強や情報収集が必須になるハズだ。日本のみならず世界各国のマスコミに、そこまでやる気迫があるんだろうか。心配である。
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