Opinion : 誰でも最初から一等賞なわけじゃない (2002/1/21)
 

ここ数年、「荒れる成人式」のニュースが 1 月の歳時記に載りそうな状態になっている。もちろん、荒れるからニュースになるので、何もない成人式はニュースにならないということは念頭に置かなければならないが、電車の中での餓鬼どものお行儀の悪さといい、この成人式の件といい、ついつい「まったく最近の若いもんは」といいたくなる。
(もっとも、こんな台詞が出てくるということは、それだけ私も年をとったということなのだろう)

先週、立て続けに友人・知人と晩飯を食う機会があったときに、時節柄この話題になり、そこで私が

「これが暴論なのは承知してるけど、隣の韓国みたいに 20 歳になったら徴兵することにして、2 年ぐらい鍛え直した方がいいんじゃないかと思うよ」

と発言したら、(相手を選んで発言したせいもあるが) 話を聞いたものがみんな賛同したのだから、却って当惑してしまった。
もっとも、国会図書館の裏手とか、代々木の線路脇で同じ趣旨のことをいえば、また違った反応が聞かれたかもしれないが。


よくいわれることだが、今の若い人にしてみれば、日本が経済大国なのは「生まれつき」であり、最近になって成人式をやっている世代は、ちょうど小学生の時分にバブル時代を経験している。
そんな調子だから、かつては日本も貧しい時代があったということを歴史上の知識としては理解していても、実感が乏しいのではなかろうか。

もっとも、私とて昭和 40 年代の生まれだから、程度に差はあれ事情は似たようなものだが、それでも、たとえば第一次石油ショックのときに父親がマイカー通勤を止めてバスで会社に通っていたのは覚えているし、そもそも今の中・高校生みたいに物持ちではなかった。なにしろ、自分専用の腕時計を持つようになったのは高校生以降の話だ。

そんな調子だから、いまどきの高校生が携帯電話を持ち歩いていると聞くと、「そんなものは自分で稼ぐようになってからにしろ」と思ってしまう。毎月何千円も固定費がかかるようなモノを持つなんてことは、自分が高校生のときには考えもしなかったものだ。

かくして、それなりの経済力が身についた昨今になって、過去の反動で物欲大魔王 (というほどでもないか ?) と化しているのもむべなるかなである。幸い、今は読者やクライアントの皆様のおかげで、それなりに稼がせていただいているから、それを物欲という形で社会に還元しているようなものだ。

よく見られる傾向だが、若い連中が金を持っていて、世代が上がると相対的に貧乏になるというのは、何かおかしい。若いうちに苦労して、その成果を出してから豊かになるというのが筋じゃないかと思うのだが、違うのだろうか。


振り返れば、私がマイクロソフトの社員になった 1992 年には、マイクロソフトは今みたいに知られた会社ではなかったし、まだまだ MS-DOS が幅を利かせていた。日本法人の社員は 300 人もいなかった時代のことだ。
当時、IBM は OS/2 をプロモートしてマイクロソフトと対立し、Macintosh もなかなか威勢が良かった。あの時点で、Windows がこんなにシェアを取ると予想していた人は、そう多くなかったのではなかろうか。

多分、最近になってパソコンを使い始めた人や IT 業界に入った人、そして税務署のお役人にとっては、マイクロソフトの存在を知った時点で、すでに「マイクロソフトは一等賞」という認識があったのだと思う。
だが、過去にはマイクロソフトが一等賞でない時代も少なからず存在したし、別の会社が天下を取るんじゃないかと思われていた時期があったのも事実だ。そんな中で、あの手この手で手段を選ばず、障壁を蹴散らしてきたからこそ、現在のマイクロソフトがある。

だから、私は去年、マイクロソフトの新入社員と話をする機会があったときに「マイクロソフトが、あるいは Windows が一等賞じゃなかった時代があったんだ、ということを認識しておいて欲しい」と老婆心丸出しの説教めいたことを話した。最初から「この会社は一等賞」だと思ってしまうと、それに安住して、甘えや驕りが出てしまうと思ったからだ。

多分、これはマイクロソフトに限ったことではなくて、どの業界の「ナンバーワン企業」にもいえることだろう。誰もが、最初から無条件で一等賞だったわけではないのだ。


思うに、「マイクロソフト」じゃなくて「日本」についても、同じことが当てはまるのではないだろうか。これまで漠然と「日本は経済大国で一等賞」という認識で過ごしてきたから、日本式の政治・経済・社会のシステムに破綻が見えてきている昨今、それにどう対処すればいいのか分からずに、足がすくんだ状態になっているのではないかと思える。

なまじ「過去の栄光」があるばかりに、過去の成功体験や妙なプライドが、危機に立ち向かう邪魔をしていないだろうか。何もしなくても「一等賞」の状態が続くと思っていれば、「改革路線」の気迫も緩んでしまう。
最近、「過去の日本の栄光」や「日本の歴史の正当性」を強調するようなテレビ番組やマンガがウケているのも、現座の閉塞状況を直視せずに、過去の栄光に逃避しているという背景があるのではないか。それが事実なら、「過去の栄光」は問題解決にとって、むしろ邪魔者でしかない。

ベトナム戦争で左足を失い、義足をつけて現役復帰した米陸軍のフレッド・フランクス大将は、「一度打ちのめされて、そこから再び立ち上がって戦いに挑む者は、簡単にはへこたれない」ということをいっている。人も会社も国家も、それと同じではないだろうか。
「自分達は一番なんだ」という漠然とした根拠のない安心感に安住してしまうと、それに甘えてしまい、決然として危機に挑むことができなくなるのではなかろうか。

成人式で傍若無人に騒ぐ連中にしても、「日本は経済大国で豊かな国なのだ」という根拠のない安心感に対する甘えがあるから、好き勝手にしていられるという部分があるのではないか。別に「兵役」でなくてもいいが、「一等賞であるという驕り」を粉砕するような苦労を若いうちに経験しておく方が、後々、いい結果につながるのではないかと思えてならない。

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