Opinion : スウェーデンの NATO 加盟 ? で思ったこと (2002/2/18)
 

数日前に YAHOO! のニュース速報で見たのだが、スウェーデンが「中立放棄」という可能性があるらしい。なんでも、「対テロ」という観点から、NATO 陣営に加わるという動きがあるとのことだ。(まだ確定ではないそうだ)

スウェーデンやスイスといえば、「永世中立」という看板を掲げてきたことから、自称平和主義者が「お手本」として持ち上げることの多い国だが、そのスウェーデンをして NATO 加盟という動きに向けてしまう情勢になったのかと、ちょっとした感慨を感じる。まったく、人生にはいろいろと予想外のイベントが起きるものだ。
(もちろん、「ソ聯」がなくなったのが最大級のイベントである)


「中立」の話は後ですることにして。
そもそも、スウェーデンやスイスを「平和国家」だと思い込んでいる人は、この両国が相当な軍事依存国家だという事実を無視していると思う。

JDW 誌のサマリーを引き合いに出すまでもなく、この両国が世界の兵器市場で一定の地歩を占めているのは、知っている人は知っている話。「紛争当事国には売らない」というブレーキはあるようだが、今は紛争当事国でなくても、後で当事国になってしまわないとも限らない。

現に、日本にもスウェーデン製の兵器はいくつも入ってきている。海自のボフォース対潜ロケットも、陸自のカール・グスタフも、スウェーデン製品だ。スイスにも MOWAG 社のような大物兵器メーカーがある。米海兵隊が使っている装輪装甲車・LAV は元をたどれば MOWAG の製品だし、スイス・エリコン社の機関砲は陸自でも使われている。両国とも、こうして見ると、あまり「平和国家」ぽくない。

また、「厳正中立」という方針を掲げるということは、自分の身は自分で護らなければならないということだから、当然ながら、それなりの軍事力を必要とする。国土の要塞化という点から見ても、この両国に見習わなければならない点は多い。
有名な「ハイウェイは滑走路」の話もそうだが、スイスのように山腹に洞窟を掘って戦闘機を格納している「キャバーン」も、日本で試してみる価値はあると思う。朝鮮半島に近い築城基地あたり、どうだろう。

つまり、スウェーデンやスイスが「永世中立国家」だといっても、日本でイメージされているものとは様相を異にしているわけだが、そこのところで都合のいい "誤解" をしている向きが、スウェーデンの NATO 加盟なんてことになったときにどういう反応をするか、なかなか興味深いと思う。


といったところで、「中立」の話。
そもそも、スウェーデンにしろスイスにしろ、あるいはオーストリアやフィンランドも含まれるだろうが、これらの国にとっての「中立」とは、「世界を分かつ、いずれの陣営にも属さない」と定義付けられるだろう。

1940 年代後半から1980 年代にかけての期間、「いずれの陣営」に該当するのは、「西側の資本主義陣営」と「東側の共産主義陣営」であったわけだ。ただ、いずれの「中立国」も体制的には「資本主義陣営」だから、実質的には NATO と同盟しないということが「中立」であったといえる。

ここで問題にしたいのは、これらの国の「中立」とは、国際的な対立軸の中でどちらにも与しないというスタンス、つまり相対的な概念である、という点だ。
対立する 2 つの陣営があってこそ、そのいずれにも与しない「中立」という選択肢が生まれる。また、2 つの対立の内容が異なれば、両者の中間に位置する「中立」の絶対的な座標もずれる。場合によっては、「中立」という選択肢自体が存在しないかもしれない。

日本人が大好きな「普通」という言葉にも、同じことがいえる。早い話、日本の社会で「普通である」というのは「マジョリティである」というのと同義だから、今は「普通」であることが、時が変われば「普通でなくなる」ということも少なくない。

たとえば、今の日本では「平和」を念仏のように唱えるのが「普通」だが、同じ日本人にとって、60 年前の今頃の季節には「富国強兵」で「大日本帝国万歳」を唱え、戦捷の知らせに嬉々として提灯行列をするのが「普通」であったわけだ。「普通であること」の価値とは、せいぜいそんなものである。

「中立」にしろ「普通」にしろ、周囲の状況によって内容が変化する相対的な概念であることを忘れて、それがさも、唯一絶対の価値観であると誤解するのは、いかがなものかと思う。
たとえば、現時点での「中立」あるいは「普通」を基準にして外交方針などを定めたときに、それが絶対的なものだと勘違いして同じ方針を固持し続けていたら、周囲の状況が変わった結果、いつの間にか「中立」が「中立」でなくなった、というのは、まことにありそうな話だ。

それに、こと外交・経済・防衛という分野についていえば、世界各国が互いに何らかの形で依存しあって国際社会や経済が動いている以上、鎖国していた江戸時代の日本のような「自給自足」は成り立たない。それだけでも、「厳正中立」だの「非武装中立」だのを持ち上げる主張には胡散臭いものが生じてくる。

一例として、いわゆる「中立国」の軍隊の装備を見てみよう。
面白いことに、これらの国の装備体系を見てみると、東西両陣営から装備を取り入れたフィンランドを例外として、他国はおおむね「西側」の装備体系に準じている。「中立国」の実態は、こういうものであるわけだ。といって、それを非難するわけではない。それが最善のソリューションなのは間違いないのだから。

だいたい、これら「中立国」製の兵器が西側諸国に大量に流れているのだから、何をかいわんや。そんな調子だから、以前から実質的に「西側規格」の国々と見てよかったじゃないかと思う。


もちろん、装備体系がどうあれ、それをどういう形で行使するかという「政治面」において、「中立国」は中立性を発揮しているわけだが、それでも、「他国にまったく依存せずに自主独立を貫く」という意味での「中立」とは様相を異にしている点に注意したい。

しつこく繰り返すと、こうした国における「中立」とは、対立軸に対するスタンスの取り方という「相対的な意味での中立」といえる。
その対立軸が「資本主義 vs 共産主義」から「テロリスト vs 対テロリスト」というものに変わってきている昨今、スウェーデンがスタンスを変えて NATO に接近するという動きが出ているのは、「相対的中立」という考えから見れば、別におかしな点はない。「テロリスト vs 対テロリスト」という構図では、「両者の中間」はないからだ。

「永世中立」あるいは「厳正中立」という言葉は美しいが、その意味するところを勘違いし、相対的なものと絶対的なものを取り違えて物事を論じるのは、慎みたいものだと思う。

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