Opinion : 「国が、国が」は、もうやめよう (2002/3/4)
 

たとえば、雪印みたいな食品業界の不祥事があったとき。

たとえば、何か大災害に見舞われた地域があったとき。

たとえば、世の中が不景気で、失業者が増えたとき。

TV の街頭インタビューなどで、「こういうのは、国がちゃんとしてくれないと…」ということをいい出す人が、必ずいる。また、国会議員でも、こういう考え方に媚びて「防衛費を削って福祉に回す」とかなんとか、調子のいいことをいう人がいる。

だが、私は提案したい。「何でも国に頼るのは、もうやめよう」と。


最近、「行政改革」という言葉に人気があるし、去年の選挙でも自民党は「小泉の改革に、力を」とやっていた。外務省の不人気ぶりも相変わらずだし、「抵抗勢力」を批判するマスコミ関係者は多い。

だが、その一方で、何かあるたびに「国が、国が」というのは、矛盾がないだろうか。

もちろん、どうしても国がやらないと成り立たない分野というものもある。外交・防衛なんていうのは典型例で、こういうのは国がやるしかない。(もっとも、アメリカには「州兵」というのもあるが、これとて国の正規軍とワンセットで動くものだ)

だが、「これは本当に国に頼らないとできない仕事なのか ?」ということを考えずに、何でも安易に「国が、国が」という国民がいるから、国の方も調子に乗ってしまい、わけの判らない特殊法人だの公団だの、何をやってるのか判らない役所だのがいろいろできる。そして、そいつらを養うために、多額の血税が必要になる。

しかも、そうした「官業」が優れた仕事をしているかというと、必ずしもそうとはいい切れない。往々にして、単なる官庁の勢力拡大の道具になっていたり、退職した役人の天下り先になっていたりする。
そして、何か勘違いして、自分たちのことを「最強の権力者」だと思い込み、国費にたかって好き勝手にする役人や、裁量で取り易そうなところばかりを狙って、税金を巻き上げる木っ端役人が出てくる。

先日、「@IT」の BBS で、政府が実施している「緊急 IT 化対応等委託訓練」の内容が話題になったが、これとて、どうも「雇用需給対策」に名を借りた、ただのばら撒き行政に見えてならない。(ちなみに、問題のスレッドはこちら)


それが嫌だったら、われわれ国民が、そうした体制を見放すしかない。

食品の安全性に不安があったら、製造プロセスを自分で確認できるようなものを探してきて買う。あるいは、安心できると確信が持てるところから直接、取引をする。その代わり、必要なコストはできるだけ自分で負担する。

今の仕事の先行きが不安だったら、自分に何ができるかを考えて、スキルを伸ばし、自分の市場価値を上げる工夫をしてみる。
時代の流行とは無関係に、たいていの職業には、いつの時代にもある程度の需要はあるものだから、なにも全員が IT 系の職業を目指す必要はないのだ。いくら、今は「IT 系」がトレンドだとしても。

いわば「自主・自立・自衛の精神」だろうか。他人に何とかしてもらうのではなくて、自分でできることなら自分でなんとかする。一人でどうにもならないことは、同士を募って力を併せてやってみる。

そういう工夫もしないで、一方で「小泉の改革」や「田中真紀子の外務省改革 (私は、これは怪しいと思うが)」に快哉を叫び、一方で「国が、国が」というのは矛盾があり過ぎる。どちらか一方にするべきだ。

何でも国に頼っておいて、一方で官業の肥大化に文句をいったり、あるいは税金が高いから安くしろと文句をいう。それはおかしい。大きな政府は小さな予算では運営できない。


地方自治体だってそうだ。国から「交付金」という形でカネがばら撒かれるシステムになっているから、「いかに多くのカネを引き出すか」ということに執心する。で、「国土の均衡ある発展」のために作られたはずの新幹線や高速道路は、地方から都市部への人口流出に拍車をかけるだけの結果に終わる。太るのは土建業者と、そこを票田とする政治家だけだ。

そういう状況では、できるだけ多くの「国費」を引っ張ってくる政治家が重用されるから、鈴木宗男みたいなのがのさばることになる。鈴木宗男を批判するのも結構だが、どうして鈴木宗男的なるモノが勢力を伸ばすことになるのか、そこまで考えなければ話にならない。

これは構造的なものだから、意識だけではどうにもならない。仕組みを全面的に改めて、地方が各々、最善だと思うやり方で徴税し、その中から一定割合を国に上納するシステムに変えなければ駄目だ。その上で、国はどうしても国でなければできないような最小限の仕事だけをする。

ある地方では直接税より間接税を重視するというかもしれないし、別の地方ではその逆かもしれない。場所によっては、カジノを公認して税金を軽くするかもしれない。
よほど非常識な内容でもない限り、地域ごとの税制にも自由度を認めればいい。その代わり、それによって生じる結果についても、自分達で責任を持ってもらう。

地域がそれぞれ特徴ある運営を行い、いい運営をしているところには多くの住民が集まる。アホな運営をしているところからは住人が逃げ出す。本来の地方自治って、そういうことではないのだろうか。
今のように、国に「おんぶに抱っこ」しておいて、「地方自治」も「地域の均衡ある発展」もあったものではない。今、あるのは「地方不自治」ではないか。


そういう意味では、石原都知事はいい仕事をしていると思う。個別の政策の是非はともかく、少なくとも「国が、国が」とはいわない。自分で工夫して財政難を乗り切ろうとしているだけ、立派なものだと思う。

今一度、何でも「国が、国が」といわず、「これは自分が工夫すればなんとかなる領域ではないか ?」と見直してみることが必要ではないだろうか。それができない人に、「行政改革」に拍手する資格はないと思う。大きな政府と小さな政府を一度に求めることはできないのだから。

大きな政府がいいと思うなら、重税や官業に文句をつけない。小さな政府がいいと思うなら、いちいち国に頼らない。そのどちらかだろうと思う。

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