Opinion : なぜトップが愚鈍になるのか (2002/5/13)
 

先日、半藤一利氏の「ノモンハンの夏」を読了した。
私が常々書いているように、上からの命令に従って戦場に赴き、圧倒的な敵戦力に直面して死んでいった現場の兵士に罪はないと思うが、それにしても「なんと無謀な戦をしたものよ」という思いは否めない。

となれば、責められるべきは、この無謀な作戦を指導した関東軍や陸軍参謀本部の偉いサンということになる。実際、「とにかく戦争というものは、意思が強い方が勝つのだ」などといっている某参謀 (全然「某」になってないか) のような調子でやられたのでは、現場はたまったものではないだろう。

その「ノモンハンの夏」の終わりの方で、スターリンに問われたジューコフが、以下のような見解を示すくだりがある。

日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である

どこかで聞いたような台詞だと思ったら、なんのことはない、昨今の日本の官庁や大企業 (特に銀行) の話と読み替えても、全然不自然さがない。やはり、国民性というものは数十年やそこらのスパンでは変化しないのだろうか。


しばしば指摘されることだから、細かく繰り返して書くことはしないが、日本の陸軍にしろ海軍にしろ、人材育成については「純粋培養」という印象が強い。
とりわけ、15 歳かそこらから、幼年学校に始まる「出世コース」が設定され、最終的に陸大を出て「天保銭」をつけないと将官になれなかった日本陸軍にその印象が強いが、海軍だって、予備学生の登用を嫌がったり兵科・機関科の一本化に抵抗したりしたのだから、そう大差はない。

そうなると、結果としてペーパーテストに強い「点取り虫」ばかりが出世する結果になりがちだ。そこにさまざまな形で派閥人事やらなんやらが入り込んだ結果として、実戦で実力を発揮する人材が埋もれてしまったのも、太平洋戦争における敗戦の一因だと思う。

もちろん、究極的な敗戦の原因は「国力の差」ということに尽きるが、そうした根本原因の格差をさらに広げ、負けを悲惨なものにした自爆的要素が、日本側に少なからず存在したのは間違いないと思う。

そのような硬直化した人材登用になってしまった原因のひとつに、ひとつの組織の中で長いこと勤め上げたがゆえに、視野が狭くなり、組織内での自己の栄達だけを気にする人がのさばってしまったという考え方はできないだろうか。

長いこと、日本では企業も官庁も「終身雇用」で、高校や大学を出て就職した組織に、定年までずっと勤めるという考え方が主流だった。そのこと自体が悪いかどうかは別にして、長いこと同じ組織で、同じ顔触れが主流になることから、出世のために組織内部のことばかりを気にする、安全第一で事なかれ主義の人ばかりになっても不思議はない。

そうなると、組織の利益、あるいは組織の体面を傷つけるような行為は、たとえそれが絶対的には正しい行為であっても、組織の論理としては疎まれ、そのような行為に走った人は主流派から弾き飛ばされることになるだろう。こうして「悪しきフィルタリング」を繰り返した結果が、「愚鈍なトップ」あるいは「愚鈍な将官」の跳梁跋扈ではなかったのだろうか。

そのひとつの表れとして、2 つの企業が合併したときにありがちな「たすきがけ人事」がある。いうまでもなく、合併によって半減した個々のポストに対し、合併した 2 社のそれぞれから交代で人を出すというものだが、実績や実力を無視して「出身母体」で人材を登用するようになったらおしまいだ。

また、狭い組織の中で、固定したメンバーで長いことやっていると、組織の中では通用するが、外に出ると全然役に立たない、まったくもって独りよがりな考え方にとり憑かれてしまう危険性も増すのではないか。日本の陸海軍がそうだったように。

それでも、民間企業の、特に現場レベルでは、それなりに人材の流動化が進んできているが、トップマネジメントのレベルまで流動化している企業が、どれだけあるだろう。まして、官庁においては何をかいわんやだ。
そのことを如実に示しているのが、先日の外務省の「改革中間報告」といえる。なにしろ、その内容たるや

  • 「あいさつをきちんとする」
  • 「(閣下など) 過剰な敬称は使わない」
  • 「(職員の) 各夫人に上下関係はない」
  • 「留学したら学位はとる」

というのだから笑ってしまうが、この笑い話としか思えないような内容が大真面目に語られるということは、そういう実情があることの傍証といって、まず間違いないだろう。

特に三番目は凄い。旦那のエリート意識が奥さんにも蔓延して、旦那の肩書きを振りかざして威張る奥さん連中が、よほど外務省には多いとみえる。そんな調子で、国民の方を向いた外務行政ができるのだろうか。


私が「役人を任期制にして、定期的に民間と人材を入れ替えよ」と主張するのは、こういう馬鹿げた実情があるからだ。民間と違い、官庁は強制的にやらないと、人材流動化の圧力がかからない。
(ついでに書くと、学校の先生も、人材の交流が必要な分野のひとつだと思う)

本来、中央官庁にしろ地方自治体にしろ、公務員というのは国民生活のために仕えるべき存在である。(といって、国民が威張っていいということでもないが)
にもかかわらず、組織内部の出世争いに明け暮れて、狭い組織の中でだけ通用する論理に基づいて点取り虫と化している役人が増えるから、外務省のように馬鹿げた報告書を大真面目に作ったり、ノーパンしゃぶしゃぶで豪遊する大蔵官僚が現れたり、都合のいいように話をでっち上げて税金をふんだくり、それを出世の道具にする国税官僚がのさばったりするのだ。

もっとも、官庁だけではなく、銀行やその他の大企業でも、程度の差はあれ、似たようなものかもしれない。そうでなければ、今のような「経済国難」が長々と続く事態はなかっただろう。正直、カルロス・ゴーン氏のような人がどんどん外国から乗り込んできて大鉈を振るった方が、いい結果が出るんじゃないかと思ってしまう。

もっとも、ゴーン氏の場合、あれが「辣腕」との前評判とどろく外国人だから社内も諦めがついたので、日本人のトップが同じことをやったら、きっと非難囂々、途中でトップの椅子から引きずり降ろされていたのではないだろうか ?

ともあれ、狭い組織の中でしか通用しないルールの下で出世争いに明け暮れている役所や企業は、そこから生み出される愚鈍なトップが足を引っ張り、部下はそうした愚鈍なトップの顔色ばかりをうかがい、結果としてボロ負けして崩壊するのではないか。正しい結果を出せる人材が、正しいタイミングで、正しいポジションに座ることができる組織でなければ困るのだ。

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