Opinion : 5% の非日常より、95% の日常 (2002/6/3)
 

もともと、「5% の非日常と 95% の日常」というのは、アルテッツァが発売されたときにトヨタの人がいい出した言葉で、私のオリジナルではない。
ただ、アルテッツァというクルマを気に入って、乗り継いでいる大きな理由のひとつに、この考え方があるのは事実だ。

私の場合、クルマというのは運転して楽しいモノでありたい、と考えている。その一方で、日常の足として使うのに不自由をきたすようでも困る、という矛盾した希望を持っている。

純然たる「速さ」ということなら、ランエボやインプレッサの方が上を行っているだろうが、近所のスーパーに買い物に行く度に 280 馬力のターボ・パワーを炸裂させていたら剣呑で仕方がないし、ガス代や保険料だって気になる。
その点、アルテッツァの、特に 6 気筒モデルは平素は穏やかだから、「下駄」として使うにも気楽だ。この「95% の日常」に対する心配りが、いかにもトヨタ的だと思う。


ただ、クルマのことに限らず、圧倒的に大きい時間配分を占める「日常」を大事にしなければならないというのは、いろいろな局面でいえることだと思う。

たとえば、何かイベントが発生するたびに「○○の経済効果は△△億円」なんてことを発表するシンクタンクがすぐに現れるが、まったくもって怪しからん話だ。
景気が悪いとか、税収が伸びないとかいう類の話があふれている昨今、景気回復のためには、何かイベントにすがりたいという気持ちも分からなくはない。

だが、イベントに頼る経済効果というのは、所詮は一過性のもの。本当に景気を回復させて日本経済の足腰を強くしたかったら、イベントが何もないときの、「日常」の経済活性化を考えるのが筋というものではないのか。

税収が伸びないと嘆いている財務省だって同じだ。経済が活性化すれば、自動的に税収だって伸びる。そういう小学生でも分かる根本原理を無視して、目先の税収増にこだわり、儲かっていそうなところから手当たり次第、適当な理由をでっち上げて裁量課税をしているから、結果として伸びかけの経済の芽を摘んでしまう。
私が財務省や国税庁を相手にして「亡国税制」と呼ぶのは、それが長期的には経済の根幹を崩壊させる結果を生み出すと思うからだ。

ものすごく単純に考えれば、経済を活性化するには、日本という国に対して外国から人やモノや資本が流入し、その成果がまた出て行くというサイクルが日常的に発生する必要がある。毎日のように人やモノが来る、おカネが来る、ということが積み重なってこそ、経済活動が活発化する。
だから、日本に人やモノや資本がどんどんやってくるような環境を作らなければ、駄目なのだ。それをやらずに、変わり映えしない公共事業の方程式に頼ったところで、何も良くなるはずがない。

そういうことを考えないで、「オリンピック」「ワールドカップ」はたまた「阪神タイガースの快進撃」「雅子様御出産」なんていうイベントの経済効果ばかり計算しているから、いつになっても景気が回復しないのだ。そんな「非日常」のイベントに頼っても、日本の社会や経済の根本的な構造が変わらなければ、経済が回復するわけがない。


日本海軍の「艦隊決戦至上主義」にも、似たようなものを感じる。日露戦争の末期に日本海海戦で大勝利して、それが (ギリギリとはいえ) 日本の勝利という形で戦争を決着させるトリガーになったのは事実だが、問題は、周辺状況の違いを考えずに「乾坤一擲の艦隊決戦に勝てば戦争にも勝つ」という思い込みが一人歩きしてしまったことではないのか。

そして、シーレーンの確保という海軍の根本任務を無視したおかげで、せっかく確保した南方資源地帯の石油やボーキサイト、天然ゴムが、日本国内に入ってくる前に海の藻屑と消えてしまい、日本経済が立ち枯れてしまった。
経済力や工業力は現代戦、特に第二次世界大戦みたいな国家総力戦を支える「重心」だから、それが怪しくなれば、「重心」に支えられている第一線部隊も、結果として立ち枯れてしまう。

そのことを忘れて、大砲や魚雷をぶっ放す「艦隊決戦」のことばかり考えていた結果が、あれだ。


よく考えてみれば、日常の仕事だって同じだ。
たとえば、私は物書きだから出版の話をすると、ミリオンセラーを一冊出せば、相当に多額のボーナスが入る可能性がある。これに限らず、どんな分野の仕事でも、どでかい仕事で一発当てて大儲けした、という類の話は、講談調の読み物としては面白い。
(もっとも、コンピュータ書でミリオンセラーというのは、まずあり得ない話だが…)

だが、特大のホームランを一発打ったものの、その後が続かない会社や個人よりも、確実にコツコツ当てていくスタイルの方が確実性があり、周囲からも信頼されるのではないか。だから、かつての某コンテスト出身アーティストのように「一発屋」という定評がついて回るのは、営業的には好ましい話とはいえない。

レーシング・ドライバーでも、ここ一発で素晴らしく速いドライバーと、コンスタントに一定水準の走りを見せるドライバーがいるが、どちらがチームに信頼されるかといったら、後者のことが多いと思う。もっとも、前者のようなドライバーの方が往々にして魅力的だったりするのが、モータースポーツの面白いところなのだが。


いろいろな事例を引き合いに出したが、「非日常」あるいは「一過性のイベント」にこだわり、「日常」を無視すると、あまりいい結果にはならないという点で、いずれにも共通しているものがある。だが、日本の国民性なのか、コツコツと地味な努力を積み上げるというのが苦手で、「どかーんと一発」花火を上げる方に気が向きやすい傾向は変わらないと思う

「日常」というのは変化が少なく、しかも大きなイベントがない分だけ退屈なのだが、その「日常」をないがしろにして「非日常」ばかり気にしていると、特にビジネスや国家運営の世界では悲惨な結果になりますぞ、と申し上げておきたい。
「日常」を大切にできなかったら、「非日常」は成立しないのだ。

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