Opinion : 神話などというなかれ (2002/8/19)
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これが日本だけの特異現象なのかどうかは知らないが、日本の新聞・TV は、なにかというと「神話」という言葉を持ち出す傾向がある。私はこれが大嫌いだ。
たとえば、これまで事故ったことのない旅客機が墜落事故を起こすと「安全神話の崩壊」と書く。携帯電話の成長が始めてマイナスに転じたら「携帯電話成長神話の崩壊」と書く。
もし、これで「i モード」の利用者数が頭打ちになれば「i モード神話の崩壊」、マイクロソフトの売上が前年を下回れば「マイクロソフト神話の崩壊」と囃すのは間違いない。
だが、おかしなもので、「神話」の当事者が「神話」を主張したためしはない。当事者が何もいっていないのに、周りが勝手に「神話」をでっち上げ、そして「神話の崩壊」といって騒ぐのだから、マッチポンプもいいところ。
「神々の館にて」なんていう不定期連載をしているぐらいだから、私も神話の世界と多少の関心は持っている。たまたま、個人的にギリシア神話に興味を持っていたせいで、そこからネタを頂戴してコンピュータ名に使わせてもらっている。
といって、(まさかそんなことを考える人はいないと思うが、念のために書いておくと) 私が自宅の PC に捧げものをしたり、あるいは拝んだりしているわけではない。ただ単に、神々の名前を頂戴しただけである。もっとも、名前を付けるときに「誰の名前を頂戴するのがいいだろう」と、いろいろと辻褄合わせをすることはあるが。
ギリシア神話に限ったことではないが、「神話」というのは宗教と密接に結びついている。そして、たいていの場合、宗教というのは「人間の力ではどうにもならない、何か偉大な力」を信じることで、現世の理不尽さに対する心情的な救いを求めるものではないかと、個人的には考えている。
ともあれ、「神話」というのは、そうした「救い」を信じる心に彩を添える、一種のサイド・ストーリーといえるのかもしれない。もっとも、これは私の個人的な勝手な解釈だから、人によって、あるいは宗派によって、それぞれ違った考え方があると思う。
そういう意味では、ギリシア神話の神々というのはキャラクターがバリエーション豊かなこともあって、単純にエンターテインメントとしてみても面白い。だいたい、ギリシア神話の神々ときたら妙に人間臭くて、色恋沙汰もあれば泥棒騒動もある、挙句の果ては拉致・監禁まがいの騒動まで起こしてくれるのだからたまらない。こんな「神話」は、そうそう例がないかもしれない。
なんか、話が脱線してしまったが…
神話というのは、あくまで宗教における「教義」の内容に応じて存在し、伝承されてきた、一種の「説話」といえる。だから、たとえば交通機関の安全や企業の成長といった、たゆまざる人為的努力を必要とする事柄に対して「神話」なんていう言葉を使うのは、失礼極まりない話だ。そもそも、努力の結果を「神話」呼ばわりすること自体、失礼だ。
どんな企業でもそうだが、より良い製品を作るために、あるいはより業績を向上させるために、ゲロを吐きそうな努力をしているのが普通だ。なのに、たまたまその努力が報われない結果が生じたからといって「神話の崩壊」といって囃すのは、(調子のいい時の持ち上げ方が、これまた、はなはだ能天気なだけに) 無責任な野次馬根性といわれても仕方ない。
また、周囲から、あるいは当事者自身から「成長神話」「不敗神話」「無敵神話」なんていう言葉が出てきたら、危険信号だと思う。現在の成功の「教典化」か、あるいは現在の強さが「神がかり的」と思い込んでいる兆候かもしれないからだ。
企業でも軍隊でも国家でも、今の繁栄が永遠に続くと思い込んでしまったり、過去の成功体験にこだわりすぎる傾向が出てきたら要注意。その「繁栄」や「成功体験」が教典と化して、絶対不可侵なものとして扱われるようになると、時代の変化に柔軟に対応できなくなる。それは、敗北への第一歩。
いい例が日本の陸海軍で、日本が太平洋戦争でボコボコにされた一因は、日露戦争の成功体験にこだわりすぎて、その後の時代の趨勢の変化から目を逸らしていた点にあるのではないだろうか ?
つまり、常に「今の時点での最適解は何か」ということを考え続けなければいけないのだが、過去の成功体験が「教典」と化して幅を利かせると、そういう思考の邪魔になる。以前にどこかで書いたように、過去の成功体験は、あくまで過去の時点での最適解だったハズだ。それが未来の最適解になる保証はない。
その点、マイクロソフトという会社もそうだったし、米軍にも似た傾向があるが、常に「危機感」を忘れないというのは大したものだと思う。もっとも、米軍の場合は予算獲得のための方便というのもあるのかもしれないが、それにしても、これまで「正解」とされてきたことをひょいと放逐して、新しい「正解」を探し続ける姿は、見習うべきものが多い。
また、太平洋戦争の末期に、大政翼賛会あたりで「今に神風が吹くぞ」といわれていたのは有名な話。そんな、神頼みで戦争をされてはたまらない。
人も組織も国家も、思考を硬直化させてはいけない。自分でいい出すにしろ周囲が煽るにしろ、成功体験を「神話」という言葉で飾り立てるのは、その硬直化を助長し、冷静な判断力を失わせ、自滅への道筋を付けるだけではないだろうか。
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