Opinion : 初めに戦略ありき (2002/9/30)
 

湾岸戦争の際に中央軍空軍部隊 (CENTAF) の指揮をとっていたチャック・ホーナー将軍は、湾岸戦争の航空戦に際して、「戦略」「戦術」という使い分けを特にしなかったらしい。

もともと、「戦略爆撃」「戦術戦闘爆撃」といった言葉があるとおり、「戦略」と頭に付けば、戦争遂行を支えるメカニズムそのものを対象とした航空作戦、「戦術」と頭に付けば、敵の「部隊」そのものを対象とした航空作戦、といった使い分けがあったと思う。第二次世界大戦の頃には、その辺の区別は明解だったし、冷戦期も事情は似たようなもの。
だからこそ、米空軍には「戦略航空軍団 (SAC : Strategic Air Command)」と「戦術航空軍団 (TAC : Tactical Air Command)」という組織があって、任務分担をやっていた。

その米空軍が、冷戦終結後の 1992 年に SAC と TAC の区別を止めて「航空戦闘軍団 (ACC : Air Combat Command)」に一本化してしまったのは、湾岸戦争で「戦略」「戦術」という区別が消え失せてしまったのを反映した動きだったと位置付けられる。


ただ、これは軍事航空という限られた分野の話で、戦争全般、あるいは日常のビジネスなどでは、やはり「戦略」と「戦術」の区別がある。

たとえば、コンピュータ ネットワークのセキュリティ対策を施す場合、使用しているシステムや運用要求、ネットワーク構成などはユーザーごとに異なるし、それによって「想定される脅威」や「護らなければならない対象」だって違ってくる。

だから、それぞれのユーザーが自分の「お家の事情」を考慮して、どんな脅威が想定されるのか、それから何を護るべきか、といった戦略レベルの事情を個別に考えなければ、適切なセキュリティ対策なんて出来っこない。
(もっとも、ホームユーザーや SOHO ユーザー、あるいは企業ユーザーといったパターンごとに、ある程度の共通傾向はあると思うが)

ところが、市販の雑誌や書籍を見てみると、往々にして「セキュリティホールの多い IE は危険だから別のブラウザを考えよう」とか「ウィルス対策はアンチウィルスソフトをインストール」などと、いきなり戦術レベルの話に落とし込んでしまっている。そこには、「そもそも、何を護るべきか」という大戦略の話が出てこない。

もっとも、特に雑誌記事の場合、限られたスペースの中で分かりやすさや簡便さを追求しなければならないから、「とにかく、具体的に何をすればいいのか」という話に収斂してしまうのも無理からぬところがあるのだが、「セキュリティ対策って、そんな単純な話じゃないでしょ」と問い詰めたくもなる。

本当は、先に述べたような、セキュリティ対策を考えるに際しての戦略的な部分を啓蒙した上で、それを具現化し、戦略目的を達成するために何をすればいいのか、というところに落とし込まなければいけないのだが、マスを相手に商売をしているものだから、普遍的な対策を羅列して終わり、ということになってしまいがちだ。

では、そこの間隙を埋められそうな Web 媒体はどうかというと、これは往々にして「アンチ MS」という観点が表に出てしまって「IE/OE を止めよう」「Windows は危険だから Linux を使おう」的な、これまた戦術レベルの話にとどまりがち。そんなことでいいのだろうか。


あまり「日本人が」「日本人だから」ということを前面に出して物事を論じるのは危険なのだが、この国の歴史、特に太平洋戦争の推移を見ていると、どうもこの国では、戦術レベルの話ばかりが重んじられて、戦略目的の話が苦手とされている傾向があるような気がする。

だから、if もの架空戦記など見てみても、その多くは「日本側が画期的な新兵器を投入して逆転勝利 !」あるいは「日本側に切れ者の司令官が登場して、斬新な戦術で敵の裏をかいて大勝利 !」的な内容になりがちだ。そこには、battle レベルの話しか出てこない。

つまり、battle に勝つ話と war に勝つ話がこんがらかっているのだ。battle に勝つだけなら「新兵器」や「斬新な戦術」でいいかもしれないが、war に勝つには、確固たる戦略目的の策定と、それを実現するための国力や戦力 (特に後方支援と情報・通信分野の能力) が要るわけで、そういう話が往々にして忘れられてしまう。

太平洋戦争ネタの if 戦記で「画期的な新兵器」を登場させるのは簡単だが、現実には、その「画期的な新兵器」を製造するための原材料、工場設備、開発・製造・整備のための人材、運用のための人員教育… そういう分野までちゃんと手を打たなければ、「新兵器」はただのゴミになってしまう。それには、全体の流れを見据えた「戦略」が要る。まして、戦争そのものに勝とうと思ったら、なおのことだ。

嘘だと思ったら、大井篤氏の「海上護衛戦」を読んでみればよい。大戦末期の日本で、ボーキサイト、石油、鉄鉱石といった重要戦略物資の輸送が、いかにお寒い現状の下で行われていたのかがよく分かる。そんな状況下で「紫電改」や「震電」が 100 機や 200 機できたところで (いや、そもそもそれが不可能な話なのだが)、戦争に勝てるはずがない。

どうしてそんなトンマな話になるかといえば、「どうやって戦争に勝つか」という部分をおざなりにして、個別の battle に勝つことばかりを考えていたから。その誤解を植え付けた一因が日本海海戦の大勝利だったことを思うと、頭痛がする。


分かりやすい例として太平洋戦争を引き合いに出したが、現在のビジネスや国家運営でも、事情は似たり寄ったりではないだろうか。手近な例では、先週のコラムに書いた、対北朝鮮外交だってそうだ。
何事も、最初に考えるべきは「最終的な戦略目標として何を実現するか」であって、それが確定しなければ、実際にどんな行動をとればよいのかは決まらない。

たとえば、私は物書きだから、最終的な戦略目標が「原稿を売ることで、年間○○万円程度の売上を確保することで生活を成り立たせる」というものであったとする。
となると、雑誌記事や単行本の印税で、どの程度の売上が見込めるかが判明すれば、どれぐらいの仕事をすれば目標を達成できるかの見当がつく。

ただ、何の分野でも原稿を書けるというわけではないから、自分が書ける分野で、かつ需要が成り立ちそうな分野が何かということを考えなければならないし (自分が書けても商売にならない分野では駄目)、最終的には、そうやって決まった商売の方向性を、どこにどう売り込んで現実の収入につなげていくか、という戦術レベルの話にブレイクダウンしていく必要がある。
それでようやく、売上が立って、生活ができるわけだ。

そういう、「戦略を初めに決めて、そこから戦術要素に落とし込んでいく」というアプローチを、誰もが日常のさまざまな局面で、もっと考えてみる必要があるのではないかと思って、記事をしたためてみた。皆さんは、どうお考えになるだろうか。

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