Opinion : 「愛国心」とかなんとかいう前に (2002/10/21)
 

教育基本法の改正案か何かで、「愛国心」と「公徳心」を盛り込もうという意見があるらしい。「公徳心」はともかく、「愛国心」なんてものは上から一方的に教え込むものと違うだろう、と思うのだが、お役人や政治家としては、やはり自分の国の過去の過ちには目をつぶってもらいたいのだろうし、できることなら「お国のために死ぬ」ような人材を育てておきたいのだろう。

以前、「愛国心」というのは国家の政治体制ではなくて、自分が生まれ育った日本という国の土地や風土、そこで暮らす人間に対して抱くものなんじゃないのか、という趣旨のことを書いた記憶があるが、霞ヶ関や永田町には、そういう認識はないらしい。

だから、「南京大虐殺はなかった」とか「太平洋戦争は解放戦争だった」と主張すること、これすなわち愛国心だと勘違いする人が出る。冗談じゃない。
多分、こういう尻の穴の小さい主張に寄りかかる人は、長所も短所もひっくるめて人を愛することもできないのではないか、と問い詰めたくもなる。

それはともかく、「愛国心」と声高に主張するのであれば、ぜひとも考えてもらいたいことがある。


最近、太平洋戦争や日中戦争の解釈をめぐる一件に限らず、「日本は偉いんだ」「日本は悪くないんだ」的な主張をする向きが多くなってきている。景気の関係もあって、社会全体が沈滞ムードだから、そういう主張に寄りかかりたいのかもしれない。
それなら、日本の政治も文化も工業製品も人間も、みんな世界最高なんだと信じ込んでいるのかというと、どうもそういう感じがしない。

その証拠が、いささか度が過ぎていると思ってしまう、カタカナ語や横文字の氾濫だ。外国から入ってきた製品にカタカナ語や横文字が使われるのは仕方ない部分があるにしても、日本で独自に開発・製造されている製品でも、日本語ではない名称が当たり前のように使われている。役所の作る文書でも、カタカナ語が氾濫しているケースは少なくないようだ。

自分もイタリア語の名前をつけたクルマに乗っているくちだから、あまり悪口をいうとバチが当たるが、日本で製造されているクルマの名前からして、日本語が滅多に出てこない。今だと「カムリ」ぐらいのもんだろうか。(輸出先の海外で、むしろ日本語の名前が使われているのが笑える)

そんなに「日本の歴史に過ちなし」「日本の技術は最高だ」「日本の文化は最高だ」と思っているほどの "愛国心が強い" 人なら (←これは文部省的な意味での "愛国心" である。為念)、「企業・商標名の日本語化運動」とか「コンピュータ用語の日本語化運動」でも起こしてみたらどうなのか。「プロジェクト X」を見て「ああ、日本人は偉かった」と涙しているだけが能でもあるまい。

よくよく考えてみたら、「ああ、日本人は偉かった」番組の「プロジェクト X」からして、番組の名前が日本語ではない。いい加減なものだ。


そんな私がしばしば引き合いに出すのが、台湾版の Windows だ。これは徹底している。何が徹底しているかというと、訳せるものはみんな訳してある。彼の国にカナ文字はないが、アルファベットすら滅多に出てこない。
たとえば、Windows のデスクトップ左上隅にあるアイコンの名前は、これだ。(Windows 95 のときの記憶だが、そう変わるものでもあるまい)

我的電脳

この話、誰に話してもバカウケするのだが、これはネタではない。MSDN のインターナショナル版を持っている人がいたら、インストールして確認してみよう。そんなモノを持っている人は、そうそういないかもしれないが…
他にも、スクリーンセーバーが「螢幕」、ツールバーが「工具列」、という調子だ。

なぜか手元に、台湾版 Excel 4.0 のノベルティ (メモ帳兼ヒント集 という感じのもの) があるのだが、これを見ると、また凄い。見出しをパッと拾ってみると、「使用 Lotus 1-2-3 導引鍵」「執行 Lotus 1-2-3 巨集」「交叉分析表結果報表」「建立和列印報表」と、こんな調子だ。なんとなく意味が分かる分だけ、笑える。

台湾の飛行機や兵器の本も凄い。出てくる名前がみんな訳されていて、たとえばこんな調子だ。
「逆火式」「金剛力士式」「闖入者式」「海盗 2 式」「哨兵式」「鷹目式」「醸造者式」「酒壷式」「黄蜂式」「方陣近迫武器系統」「活躍者式」etc, etc。

といって、これを笑っているだけというのも問題があって、自国の文化を大事にして、訳せるものはちゃんと自国の言葉に訳して使うという姿勢は、少しは見習ってみてもいいと思う。せめて日本人ももう少し、自国の文化や言葉を大切にしてみたっていいではないか、と思うわけで、それができない人に「愛国心」などといわれても、どうも信用できない。

もっとも、だからといって、国の朝野を挙げて「外国語排斥運動」なんていう尊皇攘夷みたいなことになっても困る。自国の文化を大事にすることと、他国の文化を否定することはイコールではない。両方を知ってこそ、初めて自国の文化のアイデンティティを認識できるし、それを大事にできるというものではないのだろうか。比較対象なくして「日本が一番」といってみても、それは所詮、独りよがりに過ぎない。


しばしば書くことだが、何事も極論に走るのはよくない。何の根拠もなく「日本が一番」と思い込むだけのインチキ愛国心を植えつけたところで、足元の「日本固有の文化を大切にする心」や、それと並んで「異なる文化も否定せずに接してみる」というバランス感覚がなければ、むしろ迷惑な存在になってしまう。そんな感覚で国際社会と付き合おうとしても、日本が孤立するだけだ。

そもそも、大正から昭和にかけて、日本が国際社会から孤立した一因が、この、根拠のない「日本絶対神聖・最高論」ではなかったのだろうか ?

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