Opinion : 「邦人の安否」ばかり心配するな (2002/10/28)
 

海外で事故や事件が発生したときのニュース報道、特に TV のそれで、気に入らないことがある。それは、毎度恒例の一言「なお、邦人の安否については…」というアレだ。

先日のバリ島における爆弾事件では日本人の犠牲者がいたせいか、それなりに大きな扱いになっていたように見受けられた。昨年の、同時多発テロにおける WTC 崩落にしても同様で、事件の直後に大手町の富士銀行前を通ったところ、同行に犠牲者がいた関係か、TV の中継車が並んでいた。

だが、日本人の犠牲者が出なかった事件になると、いっぺんに扱いが小さくなるのが現状だろう。そんな新聞や TV が、一方で「国際貢献」だの「地球市民として云々」みたいなことを吹いていると、「おまえ、それは違うだろう」といいたくもなる。

もちろん、日本人が海外で何か事件に巻き込まれれば、その人の家族や親族、友人・知人などが日本国内にいるわけだから、そうした関係者が必要な情報を知るということは重要だ。しかし、事件の第一報に続いて「お約束」であるかのごとくに「邦人の安否」について触れた挙句、「安否情報」の規模がそのままニュースバリューに直結するかのような扱いをされると、「じゃあ、日本人以外なら犠牲になっても関係ないんかいっ !」と突っ込まれても、致し方あるまい。


だいたい、日本のマスコミ、というか、日本人そのものが、いまだに鎖国的というか、妙に自己中心的な発想の持ち主なんじゃないか、と思うことがある。
例の、社民党の迷信「一国平和主義」が典型だが、他にも、スポーツ・イベントがあれば日本人選手の活躍ばかり騒ぐし、事件があれば日本人の安否ばかり気にする。日本の企業が海外の企業や土地、施設を買収すると快挙のように騒ぐくせに、逆に日本の企業が海外の企業に買収されたり、日本人ではない社長がやってきたりすると、国難だと騒ぐ。

そもそも、経済活動が多国籍化し、互いに人やモノやカネが行き来することで世界経済が動いているのだから、日本人が海外で事件に巻き込まれることもあれば、逆に、日本で海外から訪れた人が事件に巻き込まれることもある。企業や土地などの買収にしても同じことだ。
そんな中で、自国に都合のいい話、あるいは自国民が犠牲になった話だけをフィーチャーし、その一方で「世界の中の日本」とか「日本の国際貢献」、挙句の果てには「国連の常任理事国入り」なんていう話を持ち出すのでは、いささか調子がよすぎはしないか。

まして、グローバルに活動するテロリストが大問題になっている当節、テロ対策だってグローバルなものにならざるを得ない。「○○国に関連するテロリストだけを取り締まっていれば安泰」という時代ではないのだから、各国が協力して、テロリストに対する取締りや軍事的対抗措置だけでなく、資金源潰しや武器入手ルート潰しなど、できる対策は何でも講じなければならない。「とりあえず日本がテロの対象になっていなければ、知らん顔」というのでは、今度はイザというときに日本が爪弾きにされる。

災害派遣や民間人救出、平和維持活動などにしても、政治的・経済的理由から、複数の国が共同して作戦に当たることが常態化しているのだから、ミッションの対象とて多国籍化するのは当然のこと。日本の政府専用機を導入した際に「邦人救出」というお題目を掲げていたような記憶があるが、何も「邦人」に限定せずとも、必要とあらば、どこの国の人だって助け出せばよいではないか。

立場を逆にして考えてみればいい。もし、どこかの国で災害や戦乱が発生したときに、米空軍がすかさず C-17 を送り込み、自国民だけを乗せて飛び立ってしまったら、日本の朝野はおそらく「自分勝手な米軍機」といって非難するだろう。日本の政府専用機が「邦人救出」に用途を限定してしまうのは、それと同じことだといえはしないか。
(もっとも、C-17 では降りられても政府専用機の B747 では降りられない飛行場、というのはたくさんありそうだが…)

レッキとした航空自衛隊機である政府専用機に、正体不明の他国民を乗せるのでは安全が保てないという意見もあろうが、それならそれで、セキュリティ・チェックのノウハウを持ち、訓練をやっている米海兵隊あたりと共同する方法だってある。そして、輸送力については日米共同とすれば済む話で、何もすべてを日本で完結させろというつもりはない。

だいたい、日本人なら安全なのかといえば、そういう話ではなかろう。日本人にだってテロリストはいる。要は、「正しい人間」と「正しくない人間」がいるという話で、それは個人単位で区別される問題で、国籍で区別される問題ではないハズだ。

もっとも、「行過ぎた日本人贔屓」に関して非難ばかりするのは平等ではないし、実際、悪い話ばかりではない。たとえば、神戸で使った仮設住宅が、後でトルコで地震が発生した際に救援用に送られた実績があるが、これは評価できる話だと思う。もし「現地の邦人に利用者を限定」なんていうことにしたのなら袋叩きにすべきだが、まさか、そんなこともあるまい。

そうやって、平素から世界のあちこちで "Hearts and Minds" 対策を実施しておけば、日本が窮地に立たされた場合に助けてくれる国だって出てこようというもの。平素は自国民のことばかり心配しているくせに、自分たちが困ったときは他国に助けを依頼する、というのは虫が良すぎるのだが、ちっとはそういう考えがメジャーにならないものだろうか ?


湾岸戦争以来、「国際貢献」というと、やれカネだけ出すなとか、やれ汗をかく貢献をしろとか、やれ自衛隊を出せとか、そんな話ばかりが先行する。だが、そもそもの「貢献」の根幹たる、人道という面の基本的な考え方において、まだまだ日本の朝野は自己中心的に過ぎる感じが否めない。

だから、最初にそういう面での意識改革を必要としているのではないか、と思えてならない。特に、マスコミの報道姿勢には、苦言を呈したい。
大事なのは全体の犠牲者の有無や安否であって、日本人限定の話ではない。日本人が犠牲にならない事件は小さな事件で、日本人が犠牲になる事件は大きな事件、ということではないのだから。


追記 :

"事件" で思い出したが、モスクワの劇場占拠事件。強行突入で事態を収拾したとはいえ、人質に少なからぬ犠牲者が出た点について、残念に思うと同時に、結果的にテロの犠牲になって亡くなった皆さんには哀悼の意を表明したいと思う。

それにしても、これが日本だったら、どうなっていただろう。大半の人質が解放されたことよりも、人数とは関係なく犠牲者が出たことばかりが非難され、犠牲者の家族の泣き崩れる映像が TV で繰り返し流され、警察の責任者が吊るし上げられ、ということになりはしないか。
そして、「平和的な解決はできなかったのか」と正義感気取りで偉そうに吹く代議士先生が登場するわけだ。

果たして、そんな調子でいいのだろうか ? 何か間違ってると思うのだが。

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