Opinion : とにかくやってみよう (2002/11/18)
 

「テクニカルライター」という看板を掲げているように、自分の本業は物書きだ。ところが、実際にはゲームソフトの監修もするし、XML などをネタにして講師の仕事もするし、自著に載せる写真は可能な限り自分で撮影するという、カメラマンもどきの仕事もしている。

口の悪い人は「脱線している」というかもしれない。ただ、あくまで自分の中核分野である物書き業の周辺に手を出しているだけで、まったく関係のない分野というわけではない。
もちろん、それぞれの分野には専門家がいるわけだが、自分に依頼がきた、あるいは自分でもできそうだと思ったことなら、多少は本業から外れていても、「とにかくやってみよう」ということで、手を出してみることにしている。それが、自分の中身の幅を広げることにつながるかもしれないと思うから。

本業の物書き業にしても、分野をあまりガチガチに限定せず、新しい分野に手を出すこともある。とはいえ、いきなり、まったく馴染みのない分野に手を出すのは危険だから、現在の中心になっている執筆分野の隣接領域から、徐々に版図を広げる手法が多いだろうか。

そして、いろいろと職域を広げて自分の中の引き出しを増やしておけば、それが後で、何か花を咲かせることになるかもしれない。もちろん、立ち枯れてしまう可能性だってあるが、それをいちいち気にしていたら、何もできない。

この「とにかくやってみよう」精神は、そもそも会社を辞めて独立したとき以来のもの。どんな仕事でも同じだろうが、始める前は不安がつきもので、まして収入が保証されている会社員と違うから、「仕事ができるかどうか」という不安だけでなく、「ちゃんと稼げるかどうか」という不安だってあった。(今もあるか)

もっとも、自分の場合は株高のおかげで経済的な不安が少なかったので、そういう意味でのリスクヘッジはできていた。それに、物書き業というのは初期投資が少ないから、通常の脱サラ・独立パターンよりも、失敗したときに失う可能性があったものは少なかったと思う。とはいえ、不安がなかろうはずがない。
もっとも、ロンメル将軍がいうように、「うまくいかなかったときに、立ち直る手段がある」という状況だったことを思えば、「リスク」であって「賭け」ではなかった。それは間違いない。


話は変わるが、本田宗一郎氏が生前、「10 人中 8 人が賛成するような新商品はモノにならない。2 人ぐらいしか賛成しないような新商品こそ、開発に値する」と口にしていたという。確かに、さまざまなビジネス界のエピソードを見てみると、「そんなのうまくいくか ?」といわれていたような商品が大当たりした話は、結構ある。

もちろん、それとてまったく成算がなかったわけではなかろうが、反対する声の方が多いときに「とにかくやってみよう」といって新商品の開発に踏み切った決断こそ、評価されるべきだと思う。そして、そういう精神がもっとも求められているのが、今の時代ではないかと思うわけだ。

右肩上がりで、すでに成功例の見本が存在することが多かった高度成長期ならいざ知らず、自分で正解を見つけていかなければならない時代に、過去の成功事例にこだわりすぎ、正解がないと安心できない秀才官僚的な発想では、足が竦んでしまって先に進めない。それでは、事態はいつになっても変わらない。

それよりも、なにか「これでいける !」と思わせるモノがあるのなら、「とにかくやってみよう」という精神で取り組んでみることも必要ではないのだろうか。往々にして、そういうところからブレークスルーが生じるものだということを、歴史は証明している。

もちろん、それには、ヤバいと思ったときにすぐに引き返すだけの、決断力が伴う必要がある。完全に撤退する場合もあれば、いったん立ち止まって態勢を立て直す場合もあると思うが、それはケース・バイ・ケース。要は、走り出したら止まらない、という直線番長のような状態にならないことだ。
まずい事態に陥ったときに、情実や意地に引きずられて引き際を見失うと、泥沼にはまる。太平洋戦争の経過、中でもガダルカナル戦の経過を見てみれば、一目瞭然だ。


今にして思えば、仕事をするのに比べると、学校の勉強というのは楽だ。教える方も教えられる方も、最初から何か正解があるのが分かっているのだから。だが、そんな環境で優秀な成績を収めたからといって、それが社会でそのまま通用するかというと、ちょっと疑問に思えなくもない。

本当なら、何が正解かを知ることよりも、正解に行き着くための方法論や見識、知恵を培っておかないと、後で社会に出たときに苦労するのだが、自分の経験を振り返る限り、そういうことを学校で学んできたとは思えない。

そのいい例が歴史の授業。いつ、どんな出来事があったかなんていうのは、本を読めば分かる。それよりも、過去の歴史の中から教訓を学び、どのような成功や失敗があったのかという事例を知り、ひいては見識を培うこと。それこそ、本来の歴史教育ではないかと思う。
そうした中で涵養された見識や知恵が、「とにかくやってみよう」という決断、あるいは危機を察知して撤収する決断に踏み切れるだけの直感というのだろうか。そういう能力を養う助けになると思うのは、自分だけだろうか ?

正解を覚えれば勝利するというおめでたい考え方を覚えるよりも、どうやったら正解に行き着けるのかという方法論を身につけた人材が出てこないと、日本の将来は暗いと思うのだが、どんなものだろう。

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