Opinion : スペックがすべてでもあるまいに (2003/2/10)
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あまり売れていないが、MR-S というクルマがある。
実は、以前に乗っていたアルテッツァが事故で全損したときに、代わりに MR-S を買おうかと真剣に悩んだ。結局、2 人しか乗れないのではファーストカーとしては実用性がなさすぎるという理由でボツになり、全損したのと同じアルテッツァ AS200 (ただし MT 車) にしたのだが、この決定自体は間違っていなかったと思う。
でも、経済的・時間的に余裕があれば、セカンドカーとして MR-S があったらいいなと思っていることに変わりはない。当面、そんな余裕はなさそうだが。
その MR-S のエンジンは、140PS の 1ZZ-FE。特に馬力があるというわけではない。ところが実際に運転してみると、車体が軽いからピックアップがなかなか良くて、フツーに乗っている分には何の不満もない。アルテッツァ AS200 が、重いボディのせいで出足が今ひとつなのと対照的だ。
もっとも、アルテッツァの名誉のために付け加えておくと、高速巡航なら非常に気持ちのいいクルマだ。いまや希少価値の直 6 を載せていることもあり、豪快な加速感を味わうのではなく、ジェントルな滑らかさを味わうクルマといえる。
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だから、これ以上馬力のあるエンジンを MR-S に載せるべきだなんて全然思わないのだが、そこらの自動車雑誌の中には「MR-S が売れないのは、馬力がないからだ。190PS の 2ZZ-GE を載せろ」などと書いている人がいる。
まったく、これだからスペック至上主義者は困る。馬力があるだけでクルマが売れるなら、とっくに日本中はインプレッサとランエボだらけになっているハズではないか。
兵器ヲタクの世界にもよくある話だが、実際に使ってみてどうかという話は横に置いておいて、スペックだけで比較してああだこうだという人が、後を絶たない。自動車雑誌の世界も似たようなもののようで、すべてがそうだとはいわないが、大馬力と聞いただけでハシャぐ「お子様雑誌」が少なくない。なんのことはない、「ハ 45 発動機は究極の小型高性能」といってハシャぐのと同じではないか。
絶対的な馬力がモノをいうのは、推力重量比で仕事をする戦闘機の話。それとて、単に大出力のエンジンを載せるのではなく、機体を小型軽量化することで growth factor を逆手に取った F-16 のような実例もある。MR-S は、まさに F-16 のようなクルマなのだから、なにも無理して大馬力エンジンを載せる必要なんてないのだ。
トヨタの人もいっていることだが、馬力のあるエンジンを載せれば、それに対応するためにシャシーの強化が必要になり、それが回り回って他の分野にも波及し、結果としてさらなるパワーアップを求めるということになりがちだ。すると、最後にバランスしたときには、元の状態よりはるかに重量が増えていてもおかしくない。飛行機の設計と同じだ。
逆に、F-16 的発想でいくと、小型のエンジンに合わせて全体を軽く造り、結果として馬力荷重を同じにできれば、同じ性能で経済性が高く、環境にも優しいクルマができる。21 世紀のスポーツカーとは、かくあるべきだろう。
それなのに、そういう全体のバランスというものを見ないで、大馬力のエンジンが載っただけでハシャぐというのは、いささか不見識というか、お子様の度が過ぎるのではないかと思う。もっとも、そういう路線を求める読者がいるのも事実なのだろうから、どっちもどっちという気はするが、そうすると日本の市場そのものが "お子様" という結論になりかねない。
もともと、日本ではすべての分野においてスペック至上主義の傾向が強いから、これはなにも、自動車の世界に限った病巣ではないのも事実だ。もっとも、たまにはスペックで売ろうとして失敗した実例もあるが、これはどちらかというと例外的存在。たいていの場合、売る側はスペックで売ろうとするし、受け手も (実際に使うかどうかとは関係なく) スペックをありがたがる。
私は常々、兵器のスペック比較なんぞ、やっても無意味だといっている。スペックで戦争するわけではなくて、兵器は戦争機械を構成する一要素に過ぎないのだから、最後に勝負を決めるのは全体のシステムや国力といった要素といえる。にも関わらず、スペック比較を戦局の推移にリンクしようとする人が後を絶たない。それと同じ国民性が至るところに現れているのだと思うと、なんだか気が重いのだ。
「フル規格新幹線欲しがり症候群」や、道路交通法の制限をはるかに上回る速度を前提にして設計・施工し、結果として工費を不必要に引き上げている第二東名、常識外れに高い速度でのゲート通過を許容しようとして高コストになってしまった ETC など、実例は探せばいくらでもでてくる。こんなことでいいのだろうか ?
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