Opinion : 平時の言動はアテにならない ? (2003/3/10)
 

大井篤氏の名著「海上護衛戦」の中に、こんな一節がある。

静かで学者肌だといわれるスプルーアンス提督も、戦場ではやはり阿修羅の鬼であった。

もちろん、ここで名前が出てくるのは、ミッドウェイやタラワ、マリアナ、硫黄島、そして沖縄攻略の指揮を取った、レイモンド A. スプルーアンス米海軍大将 (1886-1969) のことだ。どこの海戦でも、派手さはないが目標を確実に達成する指揮ぶりを発揮したスプルーアンスは、上官からみても頼りになる部下だったに違いない。


アーネスト・キング提督 (太平洋戦争中の米海軍作戦部長) の人物評に乗っかるわけではないが、個人的には、第二次世界大戦で海戦の指揮を取った各国海軍の将星の中でも、最高なのがスプルーアンスだと思っている。「学者肌」とか「氷のように冷たい性格」とかいわれているものの、戦場でちゃんと結果を出しているのだから、結果がすべての戦場では、十分に評価されてしかるべきだ。もっとも、その性格のせいで、比較的地味な存在に終わっているのも事実だが。

面白いのは、スプルーアンスという人、ミッドウェイ海戦で名を挙げるまでは、ごくごく地味な存在だったということだろう。しかも、若い頃には盲腸の手術を見学していたら気絶したというエピソードまである。過去の経歴を見る限り、あまり戦場で活躍しそうな人には見えない。

それがたまたま、ウィリアム・ハルゼーが皮膚病にかかって入院してしまった際に自分の代役として、以前から馴染みがあり、評価もしていたスプルーアンスを推薦してみたら大勝利を収めることができたので、一挙に名声を高める結果になった。
アメリカの組織ではよくあることだが、結果を出せばどんどん出世が進む。陸軍航空隊のカーティス・ルメイもそうだが、戦争の前と後でこんなに立場が変わった人は、そうそういない。

そのハルゼーは、「ブル (猛牛)」という渾名で分かるとおり、平素からモーレツ主義の猛将で、口は悪いが最前線まで出てきて部下を叱咤激励し、猪突猛進ぶりを発揮して太平洋戦争前半の米海軍をもり立てた人だ。平素の言動と戦場での結果がちゃんと一致しているのだから、これはこれで立派だと思う。
もっとも、何でも陣頭指揮したがるハルゼーのキャラクターが、大戦末期には裏目に出たことも多かったのは事実だが、それはまた別の問題だ。

見た目が勇ましそうで、言動も見た目と釣り合っていて、それで戦場でも結果を出した指揮官というと、湾岸戦争のときの中央軍総司令官 (CINCCENT)、H. ノーマン・シュワルツコフもそうだろうか。ハルゼーが「ブル」なら、こちらは「熊」という渾名で、実際、見た目もそんな感じがする。なにしろ、当時の CENTCOM には「CINC の虐待」という言葉があったそうだから、推して知るべしだ。


どうして、ここまで何回も「平素の言動」と「戦場での結果」を列挙したかというと、意外と、この両者の釣り合いが取れていない人がいるからだ。

これが、平時の軍隊でしばしば重用されがちな「バランス感覚に優れた常識人」の話なら、まだ分かる。米海軍でいうと、開戦当初に太平洋艦隊の指揮を執っていたキンメルやパイは、このパターンだろうか。
ところが、それとは別に、平時にはむやみやたらに勇ましい発言を連呼していた人が、いざ戦場に放り込まれて指揮を執る立場になってみたら、案外と臆病風に吹かれてしまったり、あるいは結果を出せずに終わったりした例も、これまたいろいろあるのが興味深い。

あえて具体的に名前を出すのは差し控えるが、日本海軍にもそういう事例がある。戦前には「艦隊派」の大立者として鳴らし、「アメリカ・イギリス何するものぞ」と威勢のいい発言を続けていたのが、いざアメリカ海軍を相手の大海戦の指揮を執ることになったら「僕はえらいものを引き受けてしまった」とぼやき、なんとなく徹底しない攻撃や、いささか優柔不断な指揮ぶりを発揮してしまった某提督がいい例だ。

その某提督と、その下で働いていた某提督を入れ替えてみたら、(最後は国力の差で負けるにしても) 太平洋戦争はもう少しマシな負け方になったのではないかと思わなくもない。だが、なにせ平時と同じ人事基準で戦時に突入した日本海軍のこと、平時の言動で評価された人物が指揮官に座るのは当然で、その人事に反するような結論を願うのは、死んだ子の歳を数えるようなものだろう。

たまたま、太平洋戦争における某提督を引き合いに出したが、他の軍人でも、あるいは会社や役所といった組織でも、似たような例は意外とあるのではなかろうか。やたらと勇ましい、調子のいい発言をしていた人が、いざトップに座ったら呆れるくらいの小心翼々ぶりを発揮して、結果として組織を潰してしまった例は、決して少なくないと思われる。
むしろ、普段はおとなしくて地味で、「勇ましさ」とは無縁と思われていた人が、ここぞというところで意外な実力を発揮する、ということはないだろうか。


もちろん、地味でおとなしい人が必ず危機に強いリーダーになる、なんて書いたら、それまた暴論になる。見た目は地味でおとなしくても、必要な経験をしっかり積んでいて、いざというときにそれを発揮させるだけの見識や度胸、闘志が平素から涵養されていてこそ、実力を発揮する、というのが正しいだろう。

逆に、平素の言動は勇ましくて御立派だが、それが実は、内心の不安や慎重さを覆い隠すためのカムフラージュだったときに、その表面的な言動を周囲が真に受けてしまうと悲劇だ。

戦争でも災害でも、あるいは企業や国家の危機でもみんな同じことだが、普段の、何も問題が起きていないときの表面的な言動だけを基準にして人事をやると、案外と、ロクなことにならないのではないかと思えてならない。
また、それとは反対に、「あの人は大人しいから、どうってことないよ」と甘く見ていた相手が、実はいったん戦うとなると、スプルーアンスではないが阿修羅の鬼と化して散々な目に遭わされるというのも、案外とありがちな話ではないだろうか。

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