Opinion : 前から気になっていた話題を 2 つ (2003/4/28)
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ここのところイラク関連ネタが続いていたので、今週は趣向を変えて、かなり以前から気になっていた話題を 2 つ、取り上げてみようと思う。
その 1。いまひとつ信用できない VICS 情報
自分のクルマにはカーナビが付いている。だが、カーナビに道案内させることは、意外と多くない。知っている場所に行くなら自力でナビゲーションしてしまうので、馴染みのない土地で道案内させる程度。あとは、単なるムービング マップ ディスプレイと化している。
それでも 30 万円以上のイニシャルコストがかかっているから、こんな使い方では無駄な投資ではないかと思われても仕方ないのだが、さにあらず。VICS 情報を表示させるだけでも、十分に存在価値がある。と思っていた。
ところが、あちこち走っていると、どうもこの VICS 情報という奴が、信用できないことがある。
渋滞の末尾が VICS 情報より手前まで延びていた、なんていうのはいい。道路上に 10m ごとにセンサーが付いているわけではないのだから、その程度の誤差は出る。渋滞は生き物だから、それをリアルタイムで正確に表示しろという方が無理だ。
問題は、ときどき、嘘の渋滞を表示してくれることがある点なのだ。
最初に気付いたのは、国道 1 号線を西から箱根峠に向かって駆け上がっているときだった。日曜日の夜遅くだというのに、箱根峠の上の方で渋滞を示す赤矢印が、双方向に表示されている。しかし、実際に行ってみたらスッカラカンで、誰もいない。にもかかわらず、自車位置を示す矢印が、渋滞矢印の只中を走っている。
単に「スカ」に終わっただけならまだしも、困るのは、カーナビに道案内させると VICS 情報を参考にして、渋滞を回避するようにルートを決定することだ。この箱根峠のときには、1 号線の渋滞を回避しようとしてカーナビが妙な脇道にクルマを連れ込んでくれたので、夜中に真っ暗な馴染みのない細い山道を走らされる羽目になった。これは困る。
その後も、特に茨城県内でしばしば、「渋滞矢印が出ているのに、行ってみたらスカスカ」とか、「実際にはスカスカのところを走っているのに、ナビの画面では渋滞矢印の中だった」という経験をしている。
これらは、単に情報が古いとかいう話なのだろうか。似たような経験が何回も重なると、これは何か事情があって、意図的に "渋滞だ" という情報を出しているのではないか、と思えてならないのだ。
他にも、高速道路を走っていると、事故渋滞のことを「車線規制」と表示しているケースが多い。確かに事故れば車線を塞ぐから、結果として車線規制になるが、普通、車線規制というのは工事のときに表示するものだ。事故なら事故と表示できないのだろうか。ちゃんと VICS には「事故」のシンボルもある。
VICS でどんな情報を表示するかは人為的に決めているハズだから、意図的に「事故」ではなく「車線規制」と表示しているとしか思えない。警察や道路公団は、事故が発生したという情報をドライバーに見せたくないのだろうか。まさか、事故渋滞だという情報を流すと野次馬が集まって困る、とでも思っているのだろうか ?
ドライバーもカーナビも、VICS の情報を信頼してルートを決めている。もし、その VICS 情報が、何らかの作為の元に操作された状態で提供されているのだとしたら、いったい我々ドライバーは、何を信じて走ればいいのだろうか。
もし、意図的なものでないとしても、あまりにも実体と乖離した情報を頻繁に提供するようでは、VICS に対する信頼が揺らいでしまう。それは、VICS 機器を購入する際に対価を払っているユーザーに対して、いささか失礼というものだ。
何でもそうだが、信頼を築くには時間がかかるが、信頼をなくすのは一瞬でできる。ドライバーが信頼できる VICS 情報を提供するようにしてもらいたいものだと思う。
その 2 : 性別が仕事をするわけではない
先日の統一地方選挙に限らず、国政選挙でも、「女性議員を誕生させよう」とか「女性首長を誕生させよう」といって運動している候補者が、ときどき見受けられる。
確かに、社会に出て仕事をする立場になると、女性の方が「ガラスの天井」を感じる機会が明らかに多いし、そうした壁にぶち当たって、仕事や生き方について考え込んでしまう人も少なくないらしい。(だから、そういう層を狙った本や雑誌は少なくない。もっとも、各種のスクールとタイアップしているケースも多いのだが…)
個人的には、アメリカ式に「結果の平等より機会の平等を」という主義だが、その観点からいくと、仕事でも何でも、性別を理由にして機会を奪われるのはよろしくない。軍隊で女性を戦闘任務に就けない国が多い、なんていう例外はあるが、それはまた別の次元の話だ。ビジネスや政治の話とは訳が違う。
ただ、「女性議員の比率が少ないから増やすべきだ」とか「女性首長がいないから誕生させるべきだ」なんていう話になると、首を傾げざるを得ない。同じ結果を出せるなら性別を問うべきではないと思うから、能力も実績もあるのに性別を理由にしてポジションを得られない、というのは是正すべきだろう。しかし、性別が仕事をするわけではないのだから、「女性だから」という理由で何らかのポジションにつけるべきだ、という主張には同意しがたい。それが許されるのは出産ぐらいのものだ。
先日のイラク戦争で、米空軍は女性の爆撃機パイロットを B-2A に乗せて出撃させた。すでに B-1B のパイロットとしてアフガニスタンでも実戦を経験し、ちゃんと作戦を遂行してきた実績があったからこそ、米空軍も B-2A 要員に転換させる気になったのだろう。
単に「お飾り」というだけの理由で女性爆撃機パイロットを誕生させるほど、米空軍も暇ではあるまい。そんな理由で 21 機しかない 10 億ドルの虎の子爆撃機を預けるのは、いささかリスキーに過ぎる。
いつぞやの「鉄道ジャーナル」で、伊豆急行の女性運転士が運転している電車の乗客が「やっぱり女の人は運転が丁寧よねえ」といっていた、という話を読んだことがあるが、男性運転士でも丁寧に運転する人はいる。性別が運転の質を決めるわけではない。これは件の記事にも書いてあったことだ。
先ほどの米空軍の件で、「やっぱり女の人は丁寧に爆撃するから、同じ JDAM を使ってても誤爆が少ないわねえ」なんて感心したら、「あなたアホですか」といわれるだろう。それと同じことだ。
「女」であることを理由に何かを拒否されることに反対するのであれば、同様に、「女」であることだけを売り物にするのも、これまたどうかと思う。「自分はこれをやりたい」とか「自分はこういう実績を残してきました」ということを前面に出して、それで勝負できるような土壌を作るのが、本当の男女平等というものではなかろうか。
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