Opinion : 日本鉄道史上不朽の名作 (2003/6/16)
 

「不朽の自由」というとアフガニスタン攻撃作戦だが、今回はもっとローカルな話。

「名作」というと、普通は芸術作品を指す言葉で、工業製品には滅多に使わない。特に日本では、「伝統芸術」とか「古典芸能」は大事にされるが、歴史に残る工業製品の社会的評価が低い傾向にあると思う。工業製品で国を建ててきたのに、どうしたことかと思う。

ともあれ、今週の「お題」は、昭和の鉄道界に残る金字塔、100 系新幹線だ。


ちょっと鉄道技術に詳しい方なら御存知の通り、歴代の新幹線車両の中で、大きな技術的ブレークスルーをもたらしたのは、100 系ではなくて 300 系だ。それは重々承知している。
だが、VVVF だろうがボルスタレス台車だろうが、それは乗客からは直接見えない話。直接、目に見える部分で大きな変化をもたらしたのが 100 系であるのは論を待たないし、ちょっと大袈裟にいえば、日本の鉄道車両界は「100 系以前」と「100 系以後」に分けてもいいくらいだと思う。

では、その「100 系がもたらしたブレークスルー」とは何か。それは、快適性に対するこだわりと、デザイン戦略にあったと思う。

それまで固定式だった 3 人掛けの座席を回転式にしたのは、もっとも分かりやすい 100 系の改良点。それを実現するためにシートピッチを 10cm 近く伸ばしたわけで、それまでの「国鉄的思考」で考えれば、「グリーン車との差別化が難しくなる」といって却下されそうだったのではないか。実際、横幅はともかく、初めて 100 系に乗ったときには前後方向の余裕に驚嘆した。

むしろ、シートピッチの数字だけ見ると、最近では少し逆戻りしている傾向があるが、それとて文句をいうほどのものではない。このシートピッチの件や座席そのものの出来栄えに関して、「普通車」の水準を大きく引き上げて、結果として玉突き式にグリーン車の質的向上に話がつながるのだから、それだけでも 100 系の功績は大きい。

また、LED を使った情報表示装置を筆頭に、(マットスイッチではなく) 光電管式にした自動ドアとレールを止めてフラットにした床面、幌をむき出しにしない貫通路、デザインに工夫を凝らした貫通路扉、個々のデバイスを漫然とバラバラに並べずに集約した妻壁の情報表示など、100 系が始めて導入し、その後に在来線の特急電車から通勤電車にまでスピンオフした新装備は少なくない。

車両限界の余裕を活かしたダブルデッカーの導入も、単なる床面積増加というより、人目をひきつけるシンボリックな効果という点で、新幹線に乗客の目を振り向かせる効果は大なるものがあったのではないか。ちょうど、その後に登場した 500 系が、違った意味で外見によって人をひきつけたように。


とはいえ、スピード重視の潮流の中では、重く、加速力も最高速度も 300 系以降の車両と比べるとハンデがある 100 系が、引退を迫られるのも無理はない。ハッと気が付けば、今年の 9 月いっぱいで東海道新幹線から 100 系が消えてしまう。そこで、「葬式鉄」が増える前にと思い、大阪まで出かける用事を作ったついでに、名古屋から大阪まで G 編成のグリーン車で乗り納めをやってきた。

ただ、実際に旅程を組もうとしたら、すでに 100 系が <ひかり> どころか <こだま> でも激減していて、うまくスケジュールに組み込むのに難渋した。「個室グリーン車」マーク付きの列車を見つけても、すでに 300 系や 700 系の運用に置き換わっているという注釈付きだったりする。
よく考えれば、ダイヤ改正を機にバサッと取り替えるわけには行かないのだから、段階的に移行を図るのは当然の話。全廃直前の 9 月には、もうほとんど残っていないのではないか。煽るわけではないが、乗り納めをするなら今のうちだ。

もともとダブルデッカーは付随車で、しかも床位置が高い 2 階のグリーン車は静粛性抜群。快適性という点では今でも日本有数の存在ではないかと思う。デビュー当初は重心が高くて揺れるのではないかと懸念された記憶があるが、実際に乗ってみるとそんなこともないし、重く、スピードを出さない分だけドッシリして、安定感がある。
それに、なんだかんだといってもダブルデッカーは目立つから、駅のホームでは、列車待ちをしている乗客の目線がこちらを見上げるのが気持ちいい。もちろん、アイポイントが高いから防音壁も気にならず、大きい窓と相まって、車窓を楽しむにも具合がよろしい。

ひとつケチをつけるとすると、やや天井が低く、荷棚のスペースも少なめになっている点が挙げられるが、なに、500 系だって似たようなものだ。その他のメリットが、こんな些細な欠点は補って余りある。特にグリーン車の場合、ダブルデッカーにしたことで余計な通り抜けをなくせるメリットは大きく、これは他の系列には真似ができない芸当なのだから。

乗り納めの際に当たった G5 編成は、G 編成の中でも初期グループに当たるから、登場してから 15-16 年は経過している計算になる。さすがに内装はかなり傷んでいたものの、車体がミシリともいわなかったのは立派。
実は、0 系で気になっていたのが、トンネルに出入りする際の車体の軋みで、耳をそばだてていると車体がミシミシいうのが分かったし、座席と壁の間に手を入れると車体の伸縮もはっきり分かった。100 系が登場したときに、この手の現象が消えたのに感心した記憶がある。


走行距離とスピードアップの要求のことを考えると、新幹線の電車が早く寿命を迎えるのは仕方ないし、こうした周辺状況がセンチメンタリズムを許さないのは理解できる。個人的には 100 系だけでなく 500 系や 700 系 7000 番台 (いわゆるレールスター) もお気に入りだが、それでもやはり、100 系の存在感は図抜けて大きい。
その後の日本の鉄道車両界に与えた影響のデカさ、新幹線に世間の耳目を惹きつけた社会的影響力、そのいずれをとっても、歴史に残る名車だったと思う。願わくば、100 系の DNA が、今後も失われずに各方面で継承されんことを。

そういえば、100 系 X 編成がデビューした 1985 年は、阪神タイガースが日本一になった年だ。その 100 系のシンボルたるダブルデッカーが最後を迎えた 2003 年に、一方の阪神も絶好調という巡り合わせが面白い。だからどうした、という類の話ではあるが…

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