Opinion : イラク特措法をめぐるゴタゴタのナンセンス (2003/6/23)
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国会で、いわゆる「イラク特措法」が紛糾の種になっているらしい。
だいたい、「911」直後の自衛隊派遣の際にも感じたことだが、何かイベントが発生する度に自衛隊を「出す、出さない」が議論になり、しかもいちいち「新法」を作らないと派遣できないというのは、いったいどうしたことかと思う。
この調子では、(そういう事態が発生する可能性は低いにしても)、誰かが日本に侵略行為を仕掛けてきたら、まず国会で「新法」を審議しないと防衛出動もままならない、なんてことになりそうだ。
イラクに限らず、国際的なゴタが発生した際、あるいはその後始末に自衛隊を出して、日本も他国と同様に "show the flag" したいというのなら、最初からどんな事態にも対処できる恒常的な法体系を整備し、できることとできないことを明確にした上で (これ重要)、常に順番に即応部隊を指定するぐらいのことをするのが筋。
そんな戦略的アプローチもできないくせに、いざ花火が上がると、そのときだけ泥縄式に "show the flag" しようとして場当たり的に新法を国会に出し、挙句、それが政争の種になるのでは、実際に派遣される自衛隊の人がたまったものではない。
それに、すでに大々的な戦闘が終結してから 2 ヶ月以上経っているというのに、まだ「新法をこれから審議します」なんて悠長なことをいっているのでは、「日本は意思決定が遅すぎる」といってソッポを向かれかねない。
もっと無茶苦茶だと思うのは、「後方支援に任務を限定する」はいいとしても、"安全な後方地域" なんていう議論を大真面目にやっていることだと思う。まったく、ナンセンス極まりない。
なんでも、今回のイラク特措法では、「非戦闘地域」に自衛隊を派遣することになっているそうだ。戦闘が起きていない安全な地域に派遣して物資輸送をするだけなら、なにもわざわざ自衛隊が行く必要はなくて、「ヤマト運輸」や「佐川急便」でもよろしい。危険な場所、インフラが整っていない場所で任務を遂行するからこそ、自衛隊が出て行く価値があるというものではないのか。
平和維持活動でも、その後の復興活動でも、あるいは国内における災害派遣でも、どうして軍隊が重用されるのかを考えてみてほしい。軍隊とはもともと自己完結性を備えた組織で、命令があれば統制の下で動ける訓練された人員と、自力で行動できる機材と物資を備えている上に、危ない場所でも身を護る訓練ができているから、危険な任務に投入されるのではなかったか。
ものすごく下世話な話で恐縮だが、飯の用意ひとつとっても、設備が整わない環境で飯を食わせることを前提にしている軍隊の戦闘糧食、あるいは移動炊飯車などのシステムは民間には滅多に例がなく、あれこそ「自己完結性」の象徴みたいなもの。医療体制にしても然り。そういう組織だからこそ、戦争で荒廃した国に乗り込んで行って、インフラが整わない環境で行動できる。
だから、自衛隊を出すということ自体は納得できなくもないけれども、その際のやり方に問題があり過ぎるし、永田町でなされている議論も、「安全な後方地帯」議論を筆頭にして、いささか次元が低い。最初の PKO 派遣のときからもめ続けている「武器携行」や「交戦規則」の話もそうだけれども、後方の本国がこんな心許ない状況では、
撃ち合いに巻き込まれて発砲を余儀なくされ、帰国してから袋叩きに遭う
さもなくば、無抵抗で撃たれて負傷、あるいは死亡する人が出て、これまた政治的紛糾を引き起こす
のどちらかが発生する日も、そう遠くないように思えてならない。
そんなことになったら、ただでさえ困難な任務に従事するのに士気を高く保たなければならない現場の、足を引っ張るだけではないか。文民統制を掲げる国家で、その文民がアホなことばかりしていると、却って制服組が文民に不信感を抱く事態にならないかと心配になる。
ぶっちゃけた話、この手の問題は「危険な場所だというのを認識した上で、そうした状況に対処できる唯一の組織である自衛隊を出す。その代わり、法整備をちゃんとやって、表口から堂々と送り出す。武器携行や交戦規則についても現実的な内容を盛り込んで、ちゃんと身を護る手段を与える」か、さもなくば「何も出さない」のどちらかしか、選択肢は存在しないのではないか。
湾岸戦争以来の現状だと、政争の具にされた挙句に中途半端な政治的制約を課せられて、そのツケは現場の自衛隊員が血で贖うのがオチだ。永田町も霞ヶ関も、現場の立場より、自分たちの面子やこだわりを優先しているように思えてならない。
とどのつまり、法案を出す側も拒絶反応を示す側も、どうも浮世離れした発想から抜け出ていないように思える。日本で "安全な後方地帯" 議論などやっているヒマがあったら、一度みんなでイラクに行き、一般市民と同じ扱いを受けながら、イラク国内をバスか何かで移動しながら "実情視察" してみたらどうか。
ところで。
以前から不思議に思えてならないことだけれども、某野党やプロ市民の人達が拒絶反応を示すのは「現代戦」だけ。そんなに「戦争に関することを見たくない・見せたくない存在しないことにしたい」というのであれば、歴史の教科書からすべての戦乱に関する記述をカットする運動でも起こしてみればいいものだが、そういう訳でもない。
「戦争反対 !」と主張する日教組のセンセイ方も、歴史の授業では「戦国時代」や「源平合戦」の話を平気で教えている。それだって人が死ぬことに違いはないのに、第二次世界大戦以降の話にだけ異常に執着しているのは、なんかヘンだ。
もっとも「逆もまた真なり」であって、太平洋戦争が「侵略戦争ではなく、解放戦争だった」などと主張している人がいても、過去に遡って秀吉の朝鮮出兵や明治の征韓論、はたまた倭寇の話なんかに言及した議論がどれだけあるか。
結局のところ、「どっちもどっち」ではないかと思える。こんな土壌があるからこそ、イラク特措法をめぐる不毛な議論は、起こるべくして起こったものかもしれない。
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