Opinion : 手段と目的を取り違えてない ? (2003/11/10)
 

やっと、騒音で町を埋め尽くした選挙が終わった。今回に限らず、選挙というと、いつも不思議に思えてならないことがある。

選挙カーで「お願いします、お願いします、○○でございます」と連呼しながら手を振るだけで、今まで何をしてきたのか、これから何をするのかを滅多に口にしないのが自民党を初めとする与党なら、社民・共産あたりは十年一日のごとくに「憲法 9 条を守ります。消費税増税反対。自衛隊の海外派兵反対」と連呼している。まるで、消費税以外は税金にあらず、9 条以外は憲法にあらず、といった調子だ。
(憲法や税にまつわる話なら、84 条についてはどうなんだ、と各政党に問い質してみたい気もする)

どちらにしても、それで選挙に勝ったり負けたりしているのだが、いっていることの意味の有無はともかく、連呼して回るということは、それを世間に訴えたいということだろう。その「訴えたいこと」の中身がいつも大同小異、選挙のたびに候補者や政党幹部がすることも同じなのは、いったいどうしたことか。世間の情勢は毎回のように違っているはずなのに。


それはそれとして、以前に予想したとおり、社民党の退潮ぶりが著しい。さすがに「新社会党並みの議席ゼロ」とまではいかなかったものの、小選挙区では 1 議席 となり、ほぼ全滅といっていい状態だ。相も変わらず「護憲」を訴え続けたが、主張が受け入れられなかった、とボヤいているらしい。何を考えてるんだか。
そもそも、しつこく「9 条」にこだわる社民党にしろ共産党にしろ、目的と手段を取り違えている。両党が犯している根本的な誤謬は、「平和憲法を守ること = 平和を守ること」という短絡的思い違いなのではないか ?

政治、あるいは国家の根本目的は、国民の生命財産を保護し、対外的に張り合っていける状況を維持する (つまり経済的な自衛) 点にあるのではないか。それには、生命財産が戦争によって破壊されるのはよくないし、同様に、テロによって破壊されるのもよくない。他国との経済競争に負けるのも、結果として生命財産の保護という目的を達成できなかったことになる。

社民党の場合、「辻本」もさることながら、やはり「拉致」のダメージが大きかったのではないか。なにしろ、自国の国民が何人も行方不明になっていて、北朝鮮による (あ、こんな書き方をすると「ジャップ」呼ばわりされてしまうかな ?) 拉致の疑いが濃厚だというのに、社民党ときたら朝鮮労働党との友党関係を自国民の生命よりも重視しているのだから。「捨民党」などと陰口を叩かれるのも、むべなるかな。

「9 条」の件も同じこと。「平和憲法」を守れば、自動的に平和が転がり込んできて国民の生命財産の安全が保障されるという思い違いを有権者が看破してしまったから、その手の主張では票が集まらなくなったのではないか。とどのつまり、冷戦期には受け入れられていた主張でも、周辺状況の変化に対応できずに維持し続けたことで、むしろ自爆の原因を作ってしまっているわけだ。もっと具体的に、どういう形で国民の生命財産を保護するのか、経済的競争力を維持するのかを訴えられなければ、今の状況は変わるまい。

もっとも、これは改憲派にもいえることで、「9 条」さえ変えれば問題の解決になるのか、そうすることが国民の生命財産の保護に役立つのか、といった議論が忘れられているように思える。こちらはこちらで、目的と手段を取り違えている感がある。グランドデザインを忘れて、枝葉末節の議論にはまり込んでいるという点では、結局「どっちもどっち」ということなのかもしれない。


標題からは離れるけれども、話の流れで、以前から疑問に思えてならない話をひとつ。どこの政党にも共通することだけれども、選挙の度に

  • 勝った理由、あるいは負けた理由
  • 勝ったとしても、その過程で何か問題はなかったか
  • 次の選挙に向けて、戦略や戦術を練り直す必要はないのか
といった事後評価が、いったいどれだけなされているのだろうか。それをやっているにしては、どの党も、することなすこと変化がなさ過ぎる。せいぜい、落選したときに個人レベルで「支持母体の組織固めをちゃんとやろう」と反省する程度だろうか。

もっとも、「うまくいってるんだから、何も変えなくていいじゃないか」と思ってしまうのは、この国の悪しき伝統なのかもしれない。太平洋戦争の序盤、ミッドウェイでボロ負けするまで (ボロ負けしても ?) 目が醒めなかった南雲機動部隊を見ていると、そんな感じがする。

自称「無敵機動部隊」が、ミッドウェイでボロ負けした理由はいろいろあるが、索敵の不備、暗号被解読の疑い、兵装転換のゴタゴタ、二重の目標を課した複雑怪奇な作戦のデリケートさ。どれをとっても過去の戦闘で露見していた話で、それをちゃんと作戦ごとの事後評価で突き詰めておけば、もう少しマシな結果になってもおかしくなかった。ところが、「今までこれで巧く行っていたんだから、そのままでいいじゃないか」と思ったのか (?)、調子に乗って驕った状態でミッドウェイに乗り込み、米海軍にボコボコに叩きのめされた。

失敗したときに反省するのは、比較的たやすい (中には、失敗しても反省しない人もいるが)。しかし、成功した場合でも、それが 100% の成功だったとは限らないわけで、成功の中に潜んだ失敗をいぶりだして今後につなげるのは、失敗したケースについて反省するより難しい。どうも、この国では結果が成功している限り、あえて問題点を暴くのを良しとしない風潮があるように思えてならないのだが、どうだろう ?

つまり、口先だけではない、本当の意味での「事後評価」が必要なのだと思う。試しに Google で「事後評価」と入力してみたら、役所関連のサイトを中心として 15 万件もヒットしたが、その中の何パーセントが、真の失敗原因や成功の中の潜在的失敗要因まで、ちゃんと突き詰めているんだろうか ?
ひょっとして、トップや先輩に遠慮して、部下や後輩が保身のために物言わぬ状態になっているんだろうか ? だとしたら、そのこと自体が潜在的な危機要因になる。

珍妙なことに、結果が成功していれば無条件に浮かれてしまう一方で、「結果はどうあれ、努力したものは無条件に認める」という風潮もある。どんなに努力しても、結果が失敗に終わったのなら、それなりの理由があるはず。それをちゃんと追求しないで、どうやって次の成功につなげるのだろう ?

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