Opinion : 住民運動と独裁者をめぐる二題 (2003/12/22)
 

通常、本稿は「記事 1 本で 1 テーマ」なのだが、本業の多忙に加えてニュースの絡みもあるので、今週は記事を半分に割って 2 つのテーマを取り上げてみたい。


まず、小田急高架化をめぐる訴訟の高裁判決から。

原告は地裁の判決で勝った気になっていたようだが、冷静に考えると、工事の認可過程に法的問題がある、といっているに過ぎない。工事の差し止めを命じなかった点については、地裁の藤山裁判長も "常識的判断" をしたといえる。地裁の判決に対して一部でカッカしている向きもあるようだが、原告が得たものは、実はそんなに多くない。しかも、当初原告のうち 90% 以上は「原告適格にあらず」として門前払いされている。

現実問題として、すでに高架化は完成してしまっているし、複々線の完成もそれほど先の話ではない。果たして、小田急線が高架化されたことで、沿線の環境がどれだけ悪化したか、原告が主張していた通りの事態が発生しているかどうかを、すでに高架複々線が完成している狛江市内の分も含めて、定量的なデータを集めて検証してみた方がいいのではないか。
工事認可過程の問題にしても、「環境が悪化する高架案に強引に決定して云々」と攻撃されている面があるわけだから、「環境悪化」という前提が突き崩されれば、原告側の主張は瓦解する。

もっとも、それを持ち出されると旗色が悪いのを自覚しているのか、原告側も正面切って「高架になって、こーんなに環境が悪化した」という主張よりも「工事認可過程」なんていう裏口的問題を持ち出す法廷戦術に出ているのだろう。たいてい、こういうときには「十分な議論を尽くさずに云々」というのがお約束だけれども、はなから「地下化」という結論に凝り固まった人達が、たとえ 100 万年の協議を続けたところで高架化に同意するはずがない。
それを糊塗するために、「緑のコリドー」なんていう妄言をしているわけだ。「緑」とか「環境」とかいうキーワードを口にすればみんな黙るだろうという、「水戸黄門」の見過ぎのような話だ。

そんなに「緑」が好きなら、釧網本線沿線に引っ越してみたらどうだろう。なにしろここには、そのものズバリの「緑」という駅がある。緑駅に回廊を作れば、これが本当の「緑のコリドー」だ :-)
ちなみに、IT 業界には似たような印籠的キーワードとして、「オープン」という言葉がある。

それに、「地下化の方が安価」という主張にしても、どうやら、地下化で浮いた地上の土地を売り払うという前提になっているらしい。(「緑のコリドー」にするんじゃなかったのか ? 世田谷区にでも買わせるつもりか ? だとしても、その費用は世田谷区民の血税だぞ ?)
いくらなんでも、そこまで計算に入れて比較するのは反則だ。それをいうなら、高架下に店舗や駐車場、駐輪場を作って収入を得ることにして比較するのも「あり」になってしまう。それはもはや、「工費」の比較ではない。

正直、もう原告側の底は割れてしまっているのだから、素直に引き下がった方が正解ではなかろうか。裁判に訴える以上、なにがしかの形で法的な整合性のある主張をしないと勝訴はおぼつかないのであって、「地元説明会」に乱入して、最前列で大声を出して威圧するのとはロジックが違うのだ。

これ以上裁判で争い続けても、いまさら小田急が地下になる可能性は限りなくゼロに近い。ノロノロ運転の電車を利用する乗客に恨まれ、地域社会を分裂させ、訴訟費用がかかるだけで、得られるものは何もない。そうこうしている間に高架複々線が完成して「ほらみろ、全然 "環境悪化" なんて起きてないじゃないか」といわれたら、木下区議あたり、どう言い訳するつもりだろうか。引き際を知らないと、ロクなことにならないと申し上げたい。

狛江市の Web を見ると、狛江市内の高架化に際して、世田谷区内の地下化論者が住民説明会に乗り込んできたことがあったらしい。元・狛江市民として一言いわせてもらえば、大きなお世話だ。


次に、「リビアの大量破壊兵器放棄宣言」について。

意外と見落とされがちなポイントではあるが、独裁者にとって、大量破壊兵器は権力基盤を維持するための手段である、といえると思う。
もちろん、とりわけ核兵器についてはナショナル プレステージの象徴という側面があるが、米露英仏中の核兵器がまとまった数だけ存在していて、実際に抑止戦略の道具として機能できるのに対し、インドやパキスタン、北朝鮮、イラク、そしてリビアといった国の核兵器は「一発存在すればよい」という側面がある。以前、江畑謙介氏は "one bomb country" という言葉を使っておられた。

これらの国にとっては、保有する核兵器の数や、それが実際にちゃんと核爆発を起こすかどうかということは二の次だといえるのではないか。何よりも「そこに核兵器がある」ということが重要なのであり、それによって周辺諸国を威圧し、アメリカなどに圧力をかけて譲歩を引き出すための道具になるからだ。北朝鮮の外交状況を見ていれば、そのことがよく分かる。(生物化学兵器や弾道ミサイルについても、同じことがいえる)

今年、北朝鮮は核燃料再処理工場を稼動させるという方法で、アメリカに対して脅しを突きつけたつもりになっていたようだが、そのアメリカは「911」以来、すっかり強気の虫になってしまっている。だから、イラクに対して戦争を仕掛けるわ、北朝鮮の脅しに譲歩する素振りも見せないわで、正直、平壌にとっては誤算続きだったのではなかろうか。

そこでリビアだ。実のところ、1986 年の "Operatoin El Doraro Canyon" 以来、カダフィ大佐は (少なくとも表面的には) すっかり大人しくなってしまっていたから、アメリカとしても、比較的、相手にしやすいと見ていたのかもしれない。現実問題として、北朝鮮みたいに露骨な恫喝外交に出ているわけではなかったし、北朝鮮に対する韓国のような存在もないから、体制保障と引き換えにして (?) 大量破壊兵器の廃棄に合意させたのも、「してやったり」というところだろう。

それに、カダフィ大佐が自国の大量破壊兵器を「体制維持のための駆け引き道具」と見ていたのであれば、それを守ろうとして (イラクみたいに) 武力行使の対象になってしまったのでは本末転倒、洒落にならない。大量破壊兵器の廃棄と引き換えに体制保障の約束を引き出す方が、よほど賢明というものだ。
一方、ワシントンやロンドンにしてみれば、最近でこそ比較的おとなしいとはいえ、独裁国家かつテロ支援国家たるリビアから「大量破壊兵器を廃棄する」という言質を取ったことで、(同様にして大量破壊兵器を使った恫喝を行っている) 北朝鮮みたいな国に対する圧力が増す効果が期待できる。大量破壊兵器を口実にしてイラクに攻め込み、フセイン政権を転覆させてしまった両国のいうことだから、なおさら現実味がある。

以前から書いているように、独裁者は往々にしてロクな死に方をしないものだが、ここのところの世界情勢の動向を受けてもっとも青くなっているのは、北朝鮮の金正日と見て間違いない。しかも、ここのところの平壌の外交手法は、ことごとく狙いを外している。フセイン拘束のニュースやリビアの動きを見て、ますます閉塞感が強まっているだろうから、今、もっとも注視すべき存在は北朝鮮だといえる。
まかり間違って、ヤケクソになった北朝鮮が暴発すれば、日本にとっても他人事ではない。日朝関係や六カ国協議の行く末も、来年あたりが正念場になるのではないか。要注意だ。

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