Opinion : 避けることができなければ楽しめ (2004/2/2)
 

個人的に気に入っている本のひとつに、「オマエラ、軍隊シッテルカ !?」(イ・ソンチャン著) がある。義務兵役によって徴兵された韓国の大学生が、訓練所と、その後に配属された国防部憲兵隊で経験した話を書いた本だ。その中でも特に、憲兵隊での話を書いた続編の冒頭に出てくる、配属直後の夜中に上官に呼び出されて憲兵隊勤務の心得などについて聞かされた後で最後にいわれた台詞がいい。

「どうせ、避けることができないなら、軍隊は楽しむ方がいいぞ」

日本には兵役はないけれども、そうでなくても人生にしんどいことはたくさんある。自分の場合、比較的恵まれた人生を送ってきている方だとは思うが、それでも銀のスプーンをくわえて産まれてきたわけではないし、極楽トンボのような生活をしてきたかといえば、そんなこともない。はずだ。

それに、わざわざ国を相手取って訴訟を起こしてみたり、仕事を大量に抱え込んでヒイヒイいってみたりと、それなりにしんどいことはいろいろある。(もちろん、自分が努力しただけの結果がストリートに跳ね返ってくる充実感のように、満たされていることもあるわけだが)
だが、そこで大変なことを大変だと思ったら、ますます大変になってしまう。そのしんどいことの中に、ささやかでもいいから「楽しみの種」を探すことができれば、ずいぶんと気分が楽になるような気がする。多分、先の「上官の台詞」も、そういう意味があるんじゃないかと思う。

日本ではどちらかというと、楽しそうにするよりも、苦行に耐える姿の方が大事にされる傾向がある。学校の運動部なんていうのは、その典型例ではなかろうか。高校野球なんか見ていると、野球というスポーツを楽しんでいるというより、なんか道場みたいだ。だが、わざわざ苦行にしなくても、楽しめるものなら楽しんでしまった方が、むしろいい結果が出る、という発想だってあるのではなかろうか。


いきなり話は変わる。
私の実家に、1960 年代に NHK の海外取材班が欧米の企業を取材した話が書かれた本があるのだが、その中に、ゼロックス (コピー機と PARC でおなじみのゼロックスだ) のセールスマン研修の話が出てくる。自社製品を売り込むのが仕事のセールスマンに対する研修だから、研修の一環として、自社製品に関する正しい知識の有無を確認する場面があるのだが、なんと、そこでやるのが「クイズ大会」なのだ。
つまり、自社製品のスペックなどを題材にしたクイズを出して、研修中のセールス担当者がそれに答えることで、チーム対抗でスコアを競うという趣向。なんというか、先の「避けることができなければ楽しめ」精神の権化のような話だ。

同じことをするのでも、もっとお堅く、たとえばペーパーテストにして「○○点以上とれないと飯を食わせない」とする方法もある。しかし、それをわざわざ TV 番組風に「クイズ大会」にしてしまうところが、いかにもエンターテインメントの国・アメリカの企業らしい。これなら、チーム対抗でスコアを競いつつ、多少は楽しみながら製品知識を身につけることができそうではないか。(なお、これは 1960 年代の話だから、今でもゼロックスが同じことをしているのかどうかは知らない)

先に税務訴訟の話を書いたが、国を相手取って訴訟するということになると、たいていの場合、気合いが入りまくってコチコチになってしまうものだ。だから、当局のことを批判する際にも「こんな理不尽なことがまかり通っていいのでしょうか、キイーッ」という調子の、社民・共産・プロ市民あたりにありがちな内容になってしまう確率は高い。だが、過去に書いてきているものを御覧いただければお分かりの通り、私の場合、それとはいささか趣向が違う。

もちろん、お堅い文章で批判することもあるが、その一方で、国税の内輪ネタを題材にしてジョークをつくってみたり、サハフ情報相を東京国税局の建物にコラージュして熱弁をふるうページをでっち上げたり、なんていうことは、普通はしない。これは、単なる批判だけだと「批判慣れ」していそうな霞ヶ関の官僚には効き目がないと思ったので、「怒るな嗤え」という発想の下に「おちょくり路線」を取り入れたが故のこと。どちらかというと、欧米の風刺漫画に近いノリだと思う。
(実は、「日本ブレイク工業」社歌の替え歌も作れないかと思ったのだが、これは元歌がうまくかみ合わなくて断念した経緯がある :-)

それに、何かというとロイヤーを雇って訴訟を起こすアメリカと違い、日本では司法と一般市民の距離が遠い。だから、裁判所に行く機会、あるいは裁判所で原告席に座る機会というものも希少になるわけで、その希少な機会を面白がって、楽しんでしまっている自分がいる。見聞きする物事すべてが新鮮で、興味深いのは事実だから。
こんな取り組み方ができるのも、「どうせやるなら楽しんでしまえ」という考え方が根底にあるからこそだ。もっとも、もともと以前から法律の条文をこねくり回すのが好きだった、という下地はあったのだが。


「苦行に耐えて、成果を出す」というのも、それはそれで価値がある。でも、同じ結果が出るなら、わざわざ苦しい思いをするよりも、ささやかなものでいいから楽しみを見つけながら取り組む方が、精神衛生上は好ましいと思う。いかがだろうか ?

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