Opinion : "○○するだけで安全" が事故の元 (2004/3/8)
 

某 PC メーカーのダイレクトメールに NTT 東日本のルータの宣伝が同封されていて、「常時接続されている PC は狙われている。ルータがあれば安全」という趣旨のことが書いてあるのを見て、非常に違和感を覚えた。件の広告はルータを宣伝するためのものだから、広告主としては「ルータを入れれば安全」といいたいのかもしれないが、そんな簡単な問題ではないハズだ。


かなり昔の話になるが、柳田邦男氏が「事故や災害とは意地悪婆さんのようなもの」と書いておられた。つまり、対策を施す際に見落としてしまったところを突いて、事故や災害が起こるというわけだ。コンピュータのセキュリティ問題や、大きなところでは国家安全保障の問題にも似たところがあって、まず間違いなく、単一の対策だけでインスタントに物事が解決することはない。

ところが、世の中には往々にして、何かひとつの対策だけで問題があっさり解決するかのごとき幻想を振りまく輩が多い。たとえば、某新聞社の Web 連載で「Macintosh にすればウィルスに狙われないから安全」と無責任極まりないことを書いている人がいたが、この人、十数年前にはウィルスというと Macintosh ばかりが狙われていたのをご存じないのだろうか。もっとも、この記事の書き手は「マカー」だから、Macintosh 贔屓なことを書きたくなるのかもしれないが。

「Windows は危険、Linux なら安全」とか「Outlook や IE は危険、Becky! や Opera に乗り換えよう」という論調にしても同じことで、OS やアプリケーションに何を使っているかというのは、とどのつまり、狙われる確率の高低にしか影響しない。狙われる確率が低いからといってセキュリティ ホールが出ないわけではないし、むしろ情報が少ないという難しさがある。
しかも、「狙われないから安全」とか「オープン ソースだから安全」などと妙な安心感を持ってしまえば、却って注意散漫になって危険を呼び込む可能性だってある。最後はそれを使う人間がしっかりしていなければ、何を使っていようがやられる人はやられるし、やられない人はやられない。

先のルータの件にしても同じこと。たまたま宣伝していたのは無線ルータだったが、「ルータを入れれば安全」というのは、あくまでインターネット側からの不正侵入に限定される話。無線部分のセキュリティについてはどうなのだろう ?
現に、妹のうちで無線 LAN を設営していたら、間違って近所の無線 LAN につないでしまい、なんとルータの管理画面まで表示できてしまった経験がある。たまたま、間違って接続した相手が妹のうちの製品と同じベンダの製品だったから、ルータの既定 IP アドレスも同じで、パスワードが初期設定されていないから管理画面まで行き着いてしまったというわけだが、こんな状態で「ルータを入れているから安全」なんていった日には、とんだお笑いぐさになる。

このケースでは、たまたま表示される機種名が違ったから間違いに気付いたのだが、そこで気付かなかったら、他人の家のルータを勝手に設定してしまい、さらに「セキュリティ対策が必要だから」といって、パスワードや MAC アドレス制限、WEP 暗号化まで設定してしまったかもしれない。そうなったら、どちらの家にとっても笑い事では済まない。

たまたま、馴染み深い問題だからコンピュータ セキュリティについて書いてみたが、多分、他の問題にしても事情は同じだろう。交通事故、地震、火災、水害、etc, etc。どれをとっても、何かひとつの対策だけで劇的に問題が解決することはなくて、地道に考えられる限りの手を打ち、常に最新の情報をキャッチアップして対策を講じていかなければ、安全は手に入らない。残念なことだが、事実だ。

「うまい話に気をつけろ」とか「うまい話には裏がある」という金言があるにもかかわらず、詐欺などにひっかかって騙される人が少なくないが、これもインスタントな問題解決を求める心理が根底にあって、そこに、悪党どもがつけいる隙を与えている部分があるのではないか。御多分に漏れず、自分のところにも胡散臭い内容の spam メールがいろいろとやってくるが、「一発当てて、インスタントに大金持ちに」という思いを平素から抱いている人の方が、多分、こういうインチキにひっかかりやすいだろう。


もっとも、こういう風潮が行き渡ってしまう背景には、メディアの影響もあると思う。これをいいだすと、自分もメディアの片隅で飯を食っている人間だから自戒しなければならないのだが、特に新聞・TV あたりの事故・事件報道では、(以前から何度も書いていることだけれども) 性急な原因探しやインスタントな対策探しが求められることが多いように思える。これは、目先の部数や視聴率を稼がなければならない、という商業メディアの宿命によるものかもしれない。

では、非商業メディア (たとえば、最近流行の個人の Blog とか) なら正しい意見が主流なのかというと、それはそれで単純に断言できない。個人の意見といえども往々にして、元ネタの情報源は商業メディアであったりするからだ。また、個人的体験談がベースになっている場合は、逆に視野狭窄になる危険性がある。結局は書き手の見識とバランス感覚の問題で、個人運営の Blog だからすべて正しい、という問題ではない。もちろん、すべて間違っているというわけでもない。

もちろん、自分がここで書いていることも例外ではない。自分が正しいと信じていることを、こうして毎週のようにいろいろ書いているけれども、それが正しいと思える人もいれば、「なにをアホなことを」と感じる人もいるはず。いろいろな受け取り方があるのが当然で、誰もが諸手をあげて賛成する翼賛社会になったら、むしろ、そちらの方が怖い。

閑話休題。
あくまで一般論としてだが、セキュリティ問題でも金儲けの問題でも地球温暖化問題でも失業問題でも何でも、「○○するだけで OK」とか「とにかく○○が悪い」と、単一の原因にすべてを求めてしまうような論調は、とりあえず疑ってかかるべきではないかと思う。往々にして、そうした主張を声高に叫ぶ人ほど、反対意見の存在を認めたがらずに思考停止してしまうものだから。

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