Opinion : マスメディアの法則 (2004/5/3)
 

常々書いているように、「マスメディアに "中立公正" はない」というのが私の持論だ。ただし、そのこと自体が悪かどうかというのは別の問題で、人間がやってることだし、しかも商業マスコミである以上は、完全な中立公正を実現しようというのがどだい無理な相談。だから、受け手が平素の記事内容や報道姿勢からバイアスのかかり方を判断して補正すべきで、それこそがメディア リテラシーというものだろうと思う。

とはいえ、弁護ばかりもしていられない部分がある。今回は、「ちょっとそれは違うでしょ ?」と思っている話をいくつか書いてみたい。


たとえば、以前から折に触れて書いている、「とりあえず弱そうなものの味方をする法則」がある。

最近だと圏央道とか小田急高架訴訟の件が典型例で、一般市民と行政、あるいは大企業が対立した場合に、一般市民の側を無条件に味方する傾向がある。市場を制覇している大企業に立ち向かう新興勢力を取り上げる場合もしかり。

もちろん、弱者は強者と比べると宣伝などの面でもハンデを負っていることが多いから、そこをマスコミがフォローするというのは、考え方としては正しい。ただ、それを無条件にやってしまうとなると、どうだろう ?
例のストックオプション税務訴訟ではないが、物事の判断基準になるのは内容であって、それを主張している人の地位ではない。「市民が行政と喧嘩になっているから、とりあえず市民の味方をしておく方が無難だ」ぐらいのつもりで "無条件支持" をしているのだとすると、これはちょっと問題だ。

要は、単純な「市民対行政」「市民対大企業」といった類の対立構図に矮小化するのではなくて、いちいち双方の主張を検証するという姿勢が必要なのだと思うが、それがどこまでできているのかというと、なんだか疑問に思える。


そして、もっと厄介なのが、「持ち上げた後で落とす法則」。これはまことに始末が悪い。女性週刊誌の芸能報道によく見られるパターンだが、その他のマスコミも大同小異。まず最初に盛大に持ち上げておいて、することなすこと素晴らしいかのように煽っておきながら、後で何かのきっかけがあると、途端に大バッシングに転じる。この被害に遭わないのは皇室ぐらいのものだ。

最近だと、Google をめぐる報道にそんな印象がある。以前なら、Google が何かする度に「Google の新しいビジネスは素晴らしい」的な報道が溢れたものだが、例のメールサービスの一件をきっかけに、風向きが変わってきているように思える。また、最近では「Google を超えた新興検索サイト」の記事とか「Google はもう終わった」「Google 独占の弊害」的な記事が、ちょいちょい目につくようになってきた。

確かに、Google が新興勢力からスタンダードになり、持ち上げるのに飽きたのかもしれない。また、そういう立場になった企業が調子に乗って道を踏み外すケースも少なくないから、それに対するチェック & バランスの機能は必要だろう。とはいうものの、「まず持ち上げて、後で落とす」という法則があまりにも適合しているので、この手の批判記事を素直に受け入れる気になれない。

もっとも、これは IT 業界関連に限った話ではない。少し前だとユニクロが、同じようにマスコミの「上げ下げ報道」にやられている。上昇気流に乗っているときには盛大に持ち上げて煽っておきながら、ちょっとした壁にぶつかると、手のひらを返したように大バッシングを始めるというのはいかがなものか。

しばらく前、ある芸能人が「できちゃった結婚」をした際に、「少子化に対するアンチテーゼ」という趣旨の見出しを付けていた女性週刊誌があったのをみて吹き出したことがある (ちなみに、この芸能人は後で離婚した)。
これなど、たまたま当時は上昇気流に乗っていた芸能人だったからこそ持ち上げられただけの話で、まったく調子がいいものだと思った。もし、さほど売れていない芸能人が「デキ婚」をやった日には、絶対にこんな見出しはつかないだろうし、むしろ叩かれる。えてしてそんなものだ。

念を押しておくと、「デキ婚」の是非が問題なのではなくて、対象が上り調子の人気者かどうかで「デキ婚」の扱いがコロリと変わってしまう点が問題なのだ。もっとも、個人的には「デキ婚」は御免蒙りたいが、これは自分がお堅いからそう思うというだけの話。

こんな調子だから、今はマスコミに持ち上げられていて、些細なイベントでもどんどん取り上げてもらっていい調子になっている人 (あるいは企業や各種の運動など) も、後でいきなりドカンと落とされて大バッシングを食らわないという保証はない。調子に乗って浮かれ過ぎないように気をつけた方がいいと思う。

本当は、ここに書いたこと以外にも「オリンピックに出る選手はすべて自動的にメダルの期待がかかる症候群」や「とりあえずアメリカを悪者にしておけ症候群」なんていうネタもあるのだけれど、書き始めるとキリがないので、これぐらいにしておきたい。


商業マスコミとしては、身も蓋もないことをいえば、新聞や雑誌が売れる、あるいは TV の視聴率が上がることが至上命令だから、そのためなら煽ることもするし叩くこともする、というのが真相かもしれない。だが、それならそれで「社会の公器」とか「社会の木鐸」とか「知る権利」などと偉そうにいう資格はないのでは ? と思ってしまう。私が常々「社会の木魚」と呼ぶ所以だ。

また、週刊文春発行禁止騒動のように、権力につけいる隙を与えるようなことを普段からしていると、後で高いツケを払わされるのではなかろうか。もっとも、そうなったらそうなったで商業マスコミが権力に迎合して生き残りを図るであろうことは、歴史が証明している。

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