Opinion : 見出しは必ずしも真ならず (2005/1/17)
 

書籍の原稿を書いていると、いつも苦労しているのが、章・節・項の見出しだ。
端から順番に読んでいく、あるいは索引から内容を逆引きする場合は別として、普通、書籍の中から特定の情報を拾い出すには、見出しが鍵になる。だから、本文中で述べている内容が一目で連想できるような見出しをつけなければならないのだが、だからといってむやみに長い見出しを付けるわけにもいかない。長さと内容の板挟みになって、いつも苦吟している。

もっとも、書籍の場合は「内容が分かる」という点にだけ注意していればいいから、まだしも恵まれているかもしれない。これがニュース系の Web サイトだったりすると、見出しの内容如何で、該当記事を読んでもらえるかどうかが違ってくる。内容が一目で分かるというだけでなく、読者の目を引く、キャッチーな見出しをつけなければならない。確か、「@IT」の新野編集局長が、このことに関して書いておられたように記憶している。

ただ、キャッチーな見出しを付けるというだけならまだしも、読者をひきつけることにばかりこだわりすぎて、記事本文の内容と遊離した見出しをつけてしまったり、記事本文の不適切さを覆い隠してしまうような見出しをつけてしまったりする例もある。

といったところで、見出しによる印象操作の典型例とでもいうべき事例を、いくつか挙げてみたいと思う。


自治体の Linux サーバー利用率が過半数を突破(IT Pro)

これは、日経 BP 社の「IT Pro」に掲載された記事なのだが、この見出しだけ見ると、自治体で使われているサーバの過半数が Linux で動いているように読める。が、実際に記事本文を見てみると、53.0% というのは、「Linux サーバを導入している自治体の比率」だと分かる。つまり、1 台でも Linux サーバがあれば、「利用率」にカウントされるわけだ。
では、サーバの台数ベースで比較するとどうなるかというと、Linux サーバの比率は 11.4%、それに対する Windows サーバの比率は 74.0% で、見出しの内容とはずいぶんとかけ離れた内容になってしまう。

もちろん、「利用率」という言葉からすれば嘘はついていない。1 台でも利用していればいいのだから。だが、「利用率 = サーバの台数比率」と勘違いさせかねないところに、この見出しの問題がある。ちょうど、国税庁が大好きな「申告漏れ」という言葉が、世間的には「脱税」と同義語として扱われているのと似ている。
タチが悪いのは、「そんな勘違いをする方が悪い。本文までちゃんと読めばいいのだ」と開き直れてしまうところだろう。それに、見出しによって読者をひきつけて、記事本文のページ ビューを上げるように誘導するという考え方からすれば、目的を達成しているわけだ。読み手はまんまと術中にはまった、という意地悪い見方もできる。

ただ、この見出しは間違ってないが、見出しだけ見て勘違いされる可能性も孕んでいるわけで、「記事の内容が一目で分かる」という見出し本来の趣旨からすると、問題があるといわざるを得ない。

もっとも、IT Pro はなにかにつけて Linux に肩入れしているように見受けられるが、よしんばそれが事実だとしても、何も問題はない。そういう社の方針があって、Linux をフィーチャーした記事を書きたいというのであれば、そうすればいい。IT 系メディアが、後から出てきた新鮮さのあるものに惹かれるのは毎度のことだし、言論の自由とはそういうものだから。
ただ、こういう東スポまがいの見出しのつけ方をするのはいかがなものか、ということだけはいいたい。東スポの場合には、読み手の側にも「東スポとはそういうものだ」という暗黙の了解があり、見出しと内容のギャップを楽しんでいる部分もある。でも、IT Pro に関してそういう了解があるとは考えにくい。

似たような例は、新聞社の Web サイトにも見られる。

たとえば、asahi.com の「米国人 5 千人不明で軍 1 万 2 千人動員 スマトラ沖大地震 」が典型例で、これだけ見ると、行方不明になった自国人を捜索するのが主目的で米軍が大量投入されているのかと思ってしまう。

しかし、先の IT Pro の記事と同じで、これも本文までちゃんと読めば、そんなことはないと分かる。しかし、見出しだけ走り読みした人は、正しい記事の内容を知らないことになる。

MSN 毎日インタラクティブの「サマワ住民、自衛隊に不満足」も同様。
記事本文まで読むと、件のアンケートはサドル派、つまり反米の親玉が取ったものだとわかる。朝日新聞と産経新聞の「世論調査」が遊離する場合があるのと同じで、サドル派が取ったアンケート結果が、イラク国内への外国軍駐留を認める内容になるとは考えにくい。そもそも、世論調査の結果なんてものは、設問や実施のタイミング、対象となった層の選定如何で、いかようにも左右され得るものだ。

ただ、それは記事本文までちゃんと目を通したからいえる台詞で、見出しだけ見ると「イラク人は自衛隊に不満足」という結論だけが誘導されることになる。これも、見出しを利用した印象操作の一種といえる。

(ここでは朝日・毎日を引き合いに出したが、対極にあるとされている讀賣や産経でも同じことは起こり得る。この点を念押ししておきたい)


駅売りが主体になる、つまり見出しで目を引くかどうかが売れ行きに直結するスポーツ新聞や夕刊紙が見出しのインパクト勝負に走るのは、仕方ない部分もある。Web サイトにしても、見出し一覧があって、そこから個別記事にリンクするというスタイルを取る限り、事情は大して変わらない。本文を読んでみて「なあーんだ」とガックリ来てしまう記事に遭遇することも間々あるが、そういうことがあるのは仕方ない。

それに、記事に対してどのような見出しをつけるかは、情報を提供する側の編集権の問題である、ともいえる。だから、内容を誤解させかねないような見出しを付けること自体は阻止しづらいし、法的規制をいい出すのも「報道の自由」「思想の自由」という観点からして問題がありすぎる。そもそも、何かというと「法規制」「国による規制」をいい出すのは、民主主義、あるいは自由主義といったものを放棄する態度であり、よろしくない。

とどのつまり、読み手が本文までちゃんと目を通して、記事の内容を咀嚼することで自衛するしかないだろう。相手が報道機関でも、個人が開設している blog かなにかでも、この辺の原則はさほど違わないと思う。

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