Opinion : 何でも見せればいいというものではありません (2005/2/14)
 

北朝鮮が、6 ヶ国協議から抜けると宣言したついでに、核兵器を持っているぞと宣言してしまったらしい。どこぞのマスコミでは、核兵器「庫」だ、などと妙な注意のそらし方をしたという話もあるのだが、どちらにしても、金ちゃんは下手なことをしたものだと思った。

確かに、「核兵器があるぞ」と宣言すれば周辺諸国に対する威圧効果が発揮されて、自国の言い分をごり押しする役に立つ、と考えるのも無理はない。しかし、それもケース・バイ・ケースで、ときには存在を明確にしない方が効果的、という場面もあるのではないか。


「トム・クランシーの原潜解剖」(新潮文庫) の中に、ノーマン・シュワルツコフ将軍が記者会見の席で「地雷原に踏み込んだことはありますか」と訊かれて、こんな話をした、というくだりがある。

「問題 = 地雷原を作るのにいくつの地雷が必要か
 答え = ゼロ個でも可能。記者会見を 1 回やるだけでよいのだ」

確かに、地雷や機雷は一種の心理戦兵器であり、存在が見えないところに意味がある。相手にされた側は、いつ、地雷原や機雷原に踏み込んだか分からないし、抜け出すことができたかどうかも分からない。どこに地雷や機雷が埋まっているのかは、それを敷設した側しか知らない (ときには、攻撃側もちゃんと記録をとっていなかったりするが…)。だから、地雷、あるいは機雷の攻撃対象にされた側は、いつ、足元でドカンとくるか分からない。
そうなると、一歩先に進むごとに、うっかりして踏んづけてしまうのではないかという恐怖感を感じる。これ見よがしに武器の存在をちらつかせるわけではないけれども、あまり心臓にいいものではない。

おまけに、特に機雷は頭が良くなっているから、踏んづけたとしても、その場で炸裂するとは限らない。1 回目で起爆するものもあれば、何回かフネが通過した後でいきなり起爆するものもある。Mk.60 CAPTOR みたいに、いきなり魚雷を撃ってくる陰険な機雷もある。

そんなわけで、本物の地雷や機雷が設置されていなかったとしても、シュワルツコフ大将がいうように記者会見を 1 回開けば、それだけで相手にとっては心理的圧迫になってしまう。つまり、地雷や機雷とは存在をほのめかすだけでそれなりに相手を縛ってしまう、高度に心理的な兵器といえる。そこで本物が 1 発炸裂してくれれば、ダメ押しの効果になる。

ぶっちゃけた話、「北朝鮮を機雷封鎖する」と宣言して B-1 か B-52 あたりを飛ばし、コンクリートを詰めたドラム缶か何かを夜間にばらまいたとしよう。それがドラム缶なのか、それとも本物の機雷なのか、確実なことは誰にも分からない。もしも海中からドラム缶が引き揚げられたとしても、ばらまかれたものが全部ドラム缶だという保証はないから、相手にとってはいい気分はしない。「疑惑」でも十分に嫌な思いをさせられるという一例。

そういえば、潜水艦にも似たようなところがある。フォークランド紛争で英海軍の原潜がひと暴れしたら、アルゼンチン海軍の艦隊は港に引っ込んで、実質的に雪隠詰めになってしまった。

俗にいうところの「核疑惑」についても、場合によっては「疑惑」にとどめておく方が効果的、ということも考えられる。
特に、NBC 兵器の中でも核兵器については神経質になっている国が多い。だから、ついついイイ気になって「核兵器を持っているぞ」なんて宣言してしまうと、それに対して経済制裁や禁輸措置などの公的な対抗策を採られてしまう可能性が高いし、国連みたいな場所でも旗色が悪くなる。たとえば、「911」という神風が吹かなければ、アメリカはパキスタンやインドに対して、今でも厳しい態度で臨んでいただろう。

ところが、イスラエルのように「疑惑」の域にとどまっていると、それに対して公式に対応するのは難しい。あるのかないのか分からないものに対して、強引に「ある」といってイチャモンをつけ、ときには戦争まで仕掛けたりすると、イラクの大量破壊兵器問題みたいなことになりかねない。だから、誰もが「核兵器を持っているに違いない」と思っているイスラエルは、それを「疑惑」の域にとどめていることで、それなりに得をしているとも考えられる。

もっとも、経済制裁だけで潰れた国は滅多にないし、もともと風当たりが強い北朝鮮の場合、公式に対応されようが何をしようが、あまり状況に変化はないかもしれない。しかし、拉致問題を「うちがやりました」と認めたことで日本国内の世論を一挙に硬化させた失敗例があるのに、また同じことを繰り返しているわけで、あまり頭がいい方法ではない。
この「拉致疑惑」の一件では、日本の朝野を敵に回しただけでなく、社民党が慌てて、拉致疑惑を否定する論文を Web サイトから撤去する、なんていうトバッチリを引き起こした。実のところ、この件でもっとも迷惑を蒙ったのは社民党かもしれない。

正直なところ、核を外交的駆け引きの材料として使うのであれば、「あるかもよ、あるかもよ、作っちゃうかもよ」と疑惑のチラリズム (なんだそれ) を展開する方が、よほど役に立ったのではないか。何でも露骨に見せればいいってものじゃない。


いきなり、話題を柔らかい方向に変えて。
電車の中吊り広告なんかをみていると、男性週刊誌、あるいは漫画週刊誌の広告で、毎週のようにグラビアに登場するアイドルの名前が踊っていたりする。あの手の写真は往々にして、やたらと露出度が高かったりするものらしいけれど、そこで「見せればいいってものじゃないだろ」と思ってしまう。自分がへそ曲がりなんだろうか。

実のところ、見せない色気というか、隠された色気というか、そっちの方がよほど魅力的だと思うのは、自分が年をとった証拠なのかもしれない (苦笑)
だってそうでしょう。露出度全開で丸出しにしてしまったら、それで終わり。でも、チラチラと見せるだけ、あるいは見せるのを控えているような状況だと、却ってその中身を想像させられて妄想が拡大してしまう訳で、そちらの方がよほど刺激的じゃないかと思う。

だから、お色気モノは動画よりも静止画よりも文章の方が刺激的、というのが持論。色気も核兵器も、ただ露骨に見せればいいってものではないと思うのだが、いかがだろうか。(あまり比率としては多くないと思うけれど、もし女性の方がこれを御覧になって気分を害されたら、すまぬ)

ついでに書いてしまうと、北朝鮮みたいにこれ見よがしに喧嘩を売るよりも、密かにチャンスを窺い、ここぞというところで食いつき、容赦なくぶっ叩く方が好き。

Contents
HOME
Works
Diary
PC Diary
Defence News
Opinion
Ski
About


| 記事一覧に戻る |