Opinion : テクノロジーの押し売りは失敗する (2005/3/14)
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先日、Suica を電子マネー対応版に替えた。駅にある JR 系のコンビニ (NEWDAYS) では Suica 電子マネーで支払ができるので、さっそく試してみたら、実にお手軽で良かった。
プリペイド型の電子決済手段というと、なにも Suica に始まったわけではない。ところが、普及の度合でいうと、おそらく Suica は他を圧しているのではないか。JR 東日本の目論見としては、まずは駅に関連するものすべて、そしてその周辺にまで Suica を広めて、電子商取引のインフラとしておおいに普及させたいということなのだと思うが、この調子だと、利用者がいなくて自爆する、なんて事態にはなりそうにない。
Suica (というか、ベースになった Felica) は、非接触型 IC カードに分類される。いわゆる「ハイテク製品」に分類されるのだろうが、たとえば「電子マネー」だとか「IC カードほげほげ」の類が、すべて Suica 並みに普及したかというと、そんなことはない。たとえば電子マネーひとつとっても、ずいぶん前からいろいろなサービスが登場しているが、普及しているようで、そうでもない感じがする。
では、Suica が独走状態といっていいぐらいに普及した理由は、どの辺にあるのだろうか。
そもそも、電車に乗るというのは、慣れない人にとっては面倒な作業だ。当たり前のようにやっていることだけれども、改めて手順を確認してみよう。
まず、駅の切符売場に行って、目的の駅までの料金がいくらかかるかを確認する
自動券売機におカネを入れて、目的の駅までの切符を買う
その切符を自動改札機に通して、改札を抜ける
目的地の駅に着いたら、切符を取り出して自動改札機に通して、改札を抜ける
もしも乗り越しがあれば、精算機、あるいは精算窓口で所要の手続きをとり、追加料金を支払う
(実は、ここに挙げたもの以外にも、「自分が乗るべき電車のホームを確認する」などの作業が必要だが、それは本題から外れるのでパスした)
日常的にやっていることとはいえ、案外と面倒な作業だ。しかも、小さくてなくしやすい切符を、出発地から目的地まで、なくさないように注意しながら持っていなければならない。定額運賃にしない限り仕方ないとはいえ、こんなシステムを 100 年以上も続けていたのだから、鉄道業界というのは、ある意味、スゴイ業界だ。
ところが、Suica を利用すると、この辺の利用料金支払いに関連する手間が激減する。事前にカードを入手してチャージしておけば、乗車駅と下車駅でカードを改札機にタッチさせるだけでよい。当初の目論見通り、カードをバッグの中に入れたままで改札を通れたらもっと素敵だったが、隣接する改札機同士で電波が干渉するという原理的問題はどうしようもない。そのせいで出力を下げざるを得なかったので、「タッチ & ゴー」という現行のシステムに落ち着いた経緯がある。これは物理法則の問題だから、JR が頑張ってもどうにもならない。
閑話休題。
この辺の便利さを利用者がストレートに実感できたからこそ、Suica は普及したのだと思う。「Suica が最先端の非接触式 IC カードだから導入した」なんていう人は、いたとしても極めて少数派のハズ。たいていの人は、切符を買う手間が省けるとか、自動改札機に切符を通さなくてもタッチさせるだけで通れるとか、そういうあたりにメリットを感じているはずだ。そうでなければ、料金面のメリットが皆無に近い Suica が、これだけ普及するとは思えない。
つまり、Suica が成功した背景には、テクノロジーではなく、テクノロジーによって得られる利便性を、ユーザーがストレートに実感できたことが大きかったと思う。これで、将来的に民鉄線とのカード共通化が実現する、あるいは電子マネー機能を利用できる店舗が増えることになれば、さらにメリットが増すことになる。
これは、「第 3 世代」という売り文句を引っ込めて、個々のサービスの便利さ、あるいは楽しさを訴求してユーザーを増やした au の携帯電話と同じこと。
以前から何度も書いているように、技術屋さんは往々にして、「技術的に優れた製品 = 優れた商品」という勘違いをする。あえて「勘違い」といいきってしまうのは、ユーザーが購入するのはテクノロジーそのものではなくて、テクノロジーによって得られる利便性だから。つまり、テクノロジーとはあくまで、利便性を実現するための黒子なのだ。
そこのところを勘違いして、テクノロジーそのものを売り物にしようとすると、えてしてビジネス的には失敗する。すると今度は「技術的にはこっちの製品の方が優れているのに、宣伝上手のあっちの製品に負けた」などと泣き言をいう人が出てくる。それがそもそもの勘違いなので、テクノロジーそのものをユーザーに売りつけるという考え方は、少なくとも一般消費者相手の商売では成立しがたい。
その一例が、NTT の IC カード公衆電話だと思う。大金を投じて設置した割にはロクに使われず、とうとう磁気カード式公衆電話が生き残り、後発でハイテクな IC カード公衆電話が、先に退場させられる羽目になってしまった。それには、携帯電話の普及で公衆電話の需要が減ったという外部要因もあるにしろ、磁気カードから IC カードに乗り換えることのメリットが (少なくともユーザー側にとっては) 何もなかった、という事情が大きく影響しているのではないか。つまり、NTT はユーザーにテクノロジーを売ろうとして失敗した、という見方もできる。
一見、「ハイブリッド」というテクノロジーを売っているかのように見える、トヨタの「プリウス」。あれも、実際にユーザーが買っているのは「低燃費による経済的メリット」であったり、あるいは「低公害車を使うことで環境問題に貢献しているという満足感」であったりするわけで、ハイブリッドとは、それを実現するための手段と位置付けられる。
自動車業界は、いろいろなアイデアやテクノロジーが次々に出てくる業界だけれども、テクノロジーそのものを売りにすると、たいてい、失敗するか、効果が長続きしないかのどちらか。現に、費用補助だの料金割引だのとニンジンをいっぱいぶら下げるまで、ETC はまるで普及しなかったではないか。
ロッキード (開発当時) の F-117A にしても、空軍が買ったのは「低探知性の飛行機」であり、それを実現するのがステルス・テクノロジーだ、と考えるのが筋だと思う。極端なことをいえば、低探知性を備えていることが重要なので、機体がどんな形をしていようが、どんなソフトウェアや理論で開発されようが、それを飛ばして戦場に向かう空軍のパイロットにとっては関係ない話。自分が SAM や AAA をかいくぐって、目標を叩き潰した上で無事に生き残れることが重要なわけで。
だからといって、技術屋さんが新しいテクノロジーやアイデアを開発することに意味がない、といっているわけではないので、お間違いの無きよう。それはそれで正当に評価する必要がある。(ただし、どのように報酬や評価に反映させるかについては、議論の余地がありそうだけれど)
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問題なのは、実際に商品化して売る際に、テクノロジーをそのままユーザーに売りつけようとしても駄目じゃないの ? という、商品企画や販売政策の話なのだ。「こういう不便を解消するためにどんなテクノロジーが必要か」というのはよいけれども、「こういうテクノロジーがあるから、どんな商品にして売ろうか」というアプローチは、ユーザーからそっぽを向かれる可能性が高いのではなかろうか。自分がフィールドにしている IT 業界にも、似たような例はたくさんあると思われる。
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