Opinion : ネットは報道を殺すのか ? (2005/4/18)
 

ライブドアがフジサンケイグループを "支配" しようとする過程で出てきた議論のひとつに、インターネットと報道の関わりがある。実際、「新聞・テレビを殺します」と放言した手前 ? 既存メディアに対する対抗馬を育てようと思ったのかなんなのか、「パブリック・ジャーナリスト」なんていうことを始めたライブドアだが、その評判たるや、あまり芳しくないように見受けられる。

アメリカでは、ブロガーにも記者会見の席が与えられるようになったとかいう話を引き合いに出して、日本でも、ブロガー、あるいは blog が既存メディアの枠組みをガラリと変えてしまうのではないか、ということをいっている人がいる。でも、それはあまりにもお目出度い、「ネット万能論」の幻想に毒されたモノの見方ではないか。


そもそも、インターネットとは情報伝達のための手段に過ぎないし、blog と一般的な Web ページに、情報発信媒体として根幹に関わるような違いがあるかというと、実はそれほどでもない。もちろん、コメント機能によるインタラクティブ性、あるいはトラックバック機能による話題の広がりといった点を blog の特徴として喧伝する人は少なくないが、既存のハイパーリンク、あるいは電子掲示板といったシステムと比べて、それがとてつもないアドバンテージだというほどのものかどうか。

もちろん、以前ならば、新聞やテレビといったメディアに取り上げられなければ世間に知られることがなかった話題や情報が、インターネットの普及によって誰でも情報発信が可能になったことで、個人の手で世に出る機会が得られたのは事実だ。

これについては他人事ではなく、ストックオプション税務訴訟の一件で納税者側からの主張を開陳しているから、十分に理解している。以前なら、国税はメディアを通じて都合のいい情報だけリークしていればよかったが、納税者が自分で声を上げるようになってしまったので、ルールが少し変わってきた。
また、アメリカで発覚した大統領がらみの文書偽造事件のように、メディアが流した情報に対する疑義が提示され、それに対して関連する知識や情報を持っている人が関わりを持つことで欺瞞を暴いた、なんていう事例もある。

そのほか、さまざまな事故や事件、その他の話題に際して、大手メディアに取り上げられることがなかった話題が、個人の手になる Web サイト、あるいは blog によって知られるようになった事例はいろいろある。同好の士が何人いるか怪しいようなマイナーな趣味が、世間に知られるようになる、あるいは仲間同士を結びつける状況に発展するのも、ネットによる情報公開あればこそ。こうした、さまざまな成功事例が存在することまで否定するつもりはない。

ただ、こうした事例はあくまで、Web サイトや blog の開設者が、世間に向けて発信するに足る情報を持っていたからこそ成立したもの。誰も彼もがそうした情報を持っているかというと、それはまた別の問題。身の回りで起きた日常的な出来事、あるいはニュースサイトに対するリンクに一言コメントを添えた程度の Web サイト、あるいは blog が多数を占めているであろうと思われる状況下で、それが世界を動かし、既存メディアの枠組みを潰すことになるかといえば、そんなことはあるまい。

それどころか、blog を介した流言飛語が世情を惑わすケースが発生する可能性も考えられる。特に、トラックバックを通じて「リンクの輪」が簡単に広がってしまう blog では、このような事態を惹起しやすいかもしれない。
たとえば最近、中国や韓国で反日運動が煽られているが、言論統制がそれなりに機能している中国はともかく、韓国あたりで「トラックバックで広がった反日 blog の輪」なんてものができているかもしれない。その過程で、あることないこと書きたてられた挙句、それがあたかも真実であるかのように流布する可能性だってあるわけだ。(逆に、日本で「反中国・反韓国 blog の輪」ができる可能性だってある)


インターネットが既存メディアにとらわれない情報伝達を可能にしているのは事実だと思うが、そのことが何らかの影響力につながるかどうかは、書き手が、世間に向けて発信するに足る情報を持っているかどうかに左右される。もちろん、「ネタもないのに Web や blog に手を出すな」なんて暴言はいわないけれども、この根本原理を無視して「blog が世の中を変える」なんてことを能天気に語るのは、ただのネット過信、買いかぶりだということはいいたい。

結局、Web だろうが blog だろうが、それによって何らかの影響力を行使することができる、あるいはまとまった数のアクセスを集めることができるのは、独自の情報源を持っている人か、あるいは既存のモノの見方に影響されない程度の知識や識見を持っている人に限られるのではないか。

だから、大して実のある内容を書いているわけでもないのに、アフィリエイトのリンクばかりが鬼のように貼ってあったり、本文中に「blog ランキングに投票お願いします」なんてリンクをこれ見よがしに突っ込んでいる強欲なサイトを見ると、激しく嫌悪感を催してしまう。そんなことをする前に、自分が書く文章の中身をどうにかしろと。

そもそも、大手マスコミの記事だろうが、個人が書いている記事だろうが、内容の真贋を判断するのは受け手の責任だし、何らかの形で書き手のバイアスがかかっているという点でも、両者の間に本質的な違いはない。大手マスコミならバイアスがかかっているが、個人ならバイアスがかかっていないなんていう考え方は、それ自体が一種のバイアスというべきだろう。
(もちろん、ここで私が書いていることも、私なりのバイアスがかかっているのはいうまでもない)

そういうことを考えずに、ブロガーなら世の中を変える資格があるとか、(大手マスコミに属さない) "市民の" 書き手だから内容に価値があるとか、そんな「中身ではなく、書き手の属性で価値を判断する」ような意見には、どうしても同意できない。
大事なのは、書き手の属性ではなくて、書くものの中身。伝達手段がなんだろうが、それは問題の本質とは関係ないのではないか。どうしようもない内容の駄文が、ネットを通じて流通する、あるいは blog になった途端に世の中をひっくり返す、なんて事態はあり得ない。

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