Opinion : "いったもん勝ち" の法則 (2005/5/30)
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世の中、それが真実であるか否かに関係なく、最初に流布してしまった話が「事実」として定着してしまい、それを訂正するのにベラボウな時間がかかる、という類の話がいろいろある。
ちょうど、さる 5/27 は日本海海戦 100 周年ということで、横須賀などで記念行事をやったりしていたが、この日本海海戦でも「東郷ターンと丁字戦法」という話が長いこと流布されていた。「世界の艦船」誌の 2005/5 号で、中川務氏がこの点について検証する記事を書いておられたが、実際には丁字戦法というより同航戦に近く、これまで流布されていた話は大間違いだった、という "衝撃的な" 内容になっている。
もっとも、こうした「最初にいったもん勝ち」の話は、いろいろな分野で存在している。たとえば、戦史の分野では以下のような事例がある。
ミッドウェイ海戦における「運命の 5 分間」
グラマン F4F は零戦相手にボロ負けしてバタバタ墜とされた
朝鮮戦争では、米軍機が 1 機墜とされる間に敵機を 10 機以上墜としていた
湾岸戦争ではパトリオット PAC-2 がスカッドの要撃に成功して云々
etc, etc
どれをとっても、最初に流布した話が広く信じられてしまい、それを後になって訂正するのにものすごい時間や労力がかかったり、あるいは、当初の話を訂正する際の扱いがどうしようもないほど小さかったり、といったことになりやすい。
最近のニュースだと、「News Week」誌が "誤報" した、例の「コーランをトイレに流した」騒動だろうか。後になって訂正記事が出たものの、扱いはいたって小さいもので、「実は誤報でした」という話が出た後も反米デモがおさまらない始末。アメリカを悪者にする方がウケやすいものだから、どこのメディアも、訂正記事の扱いが小さいこと、小さいこと。
このような事態になる背景は、「単なる間違い」「間違いだが、その内容が人の心情に訴えかけやすい、あるいは受け入れられやすいものだった」「何らかの意図があって、間違っていようがなんだろうが関係なく、お構いなしに話を広めてしまった」の 3 パターンに大別できると思う。
たとえば、二番目の典型例が「運命の 5 分間」。ミッドウェイ海戦をめぐる「大逆転 !」モノの妄想戦記がいろいろ出回っていることで分かるとおり、この海戦に関して平均的日本人が抱く悔しさというのは相当なものがある。だからこそ、「あと 5 分あれば攻撃隊が飛び立って、米軍の空母をぶちのめしていたのに」という意味での「運命の 5 分間」というフレーズが、スッと受け入れられたのではないか。
ところが、澤地久枝氏などが検証されたところでは、「運命の 5 分間なんてものはなかった」という結論になっていたようだし、先日、私が買ってきた「やっぱり勝てない ? 太平洋戦争」でも同様の結論になっていた。さらに、後者の本では、すべて理想どおりに進んでも、やっぱり日本海軍の負け、という結論が導き出されている始末だ。戦後 60 年を経て、やっとこさ、こういう話をおおっぴらに語れるようになった。
先入観を持って意図的に広めてしまったという例では、「コーラン騒動」や「東郷ターン」がある。前者は、アメリカの不祥事を鵜の目鷹の目で探している人にとっては「それ見ろ」と食いつきたくなるような典型的燃料だし、後者は東郷元帥を担ぎ出して神格化するのに貢献した某提督の影がちらちらする。
パトリオット PAC-2 の一件が、比較的早期に化けの皮を剥がされたのも、あれがアメリカのミサイルに関する話だったからで、モノがソ聯製や中国製の SAM だったら、どうなったか分からない。実際、確か湾岸戦争中の話だったと思うが、「中国製 SAM でトマホークを撃墜した」というウソかホントか分からない話が、香港かどこかの新聞に出てなかったっけか ? 誰か、その件について検証したりフォローしたりしてたっけか ?
もっと始末が悪いのは、最初にいったことを引っ込めるのは面子が許さないとばかりに、しつこく言い訳を重ねるケース。最近の典型例が、朝日新聞の「天声人語」がやらかした大チョンボ。まず、最初にこういう記事が出た。
先日、JR の尼崎駅に降りた時、時刻表を見た。脱線した電車と同じく、この駅から大阪の北新地などへ向かう線の本数は、朝 8 時台で上りが 13 本だった。そして、大阪駅や京都駅へ向かう線の方には、40 本あった。東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思った。
JR 西日本は、今後の安全策の一つとして、過密と指摘されているダイヤを見直すという。主要路線で便数を減らすとすれば、民営化以来初めてである。重大事故が起きて、ようやく、増発と加速に歯止めがかかりそうだ。
しかし、いうまでもなく尼崎駅から京都・大阪方面に向かう東海道線は複々線なので、理論上は複線の 2 倍の列車密度まで許容できる。だから、毎時 40 本というのは大騒ぎするほどの数字ではない。ところが、件の記事は複々線だという事実を書かずにすませたことで、「過密ダイヤ」という印象を植え付けて、JR 西日本バッシングのお先棒を担ぐ内容になっている。
ところが、さすがにこの件では苦情が殺到したのか、はたまた各方面で叩かれたのか、数日後に、今度はこんな記事が載った。
先日、尼崎駅の時刻表に触れた。朝 8 時台に大阪駅や京都駅方面へ向かう電車が 40 本あり、東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思ったと書いた。山手線は複線だが、尼崎の方は複々線だ。従って、山手線ほど密とは言えない。
ただ、日頃から東京の通勤線については、「密」を通り越した「過密」という思いがある。それほどではないにしろ、尼崎の方も既に「かなり密」な状態と感じられた。
前回の記事で「かなり密だと思った」と書き、後の記事でも「かなり密な状態と感じられた」と書いているのだから、実のところ、まるで間違いを認めていない。一見したところでは、複々線という話が抜けていたが故の誤りを訂正する記事のように見えるが、よくよく読んでみると、「かなり密なダイヤの JR 西日本」という点では一貫している。つまり、本音の部分では、最初に書いたことを正当化しようとしているだけ。「複々線だろうがなんだろうが、とにかく "かなり密" なんだよ」と駄々をこねている。
なにせ、モノが「天声人語」なだけに、簡単に「間違えました、ごめんなさい」と書くのはプライドが許さないのかもしれないが、こんな姑息な言辞を弄していれば、ますます評判が悪くなるとは思わなかったのだろうか。
もっとも、似たようなことをやってる役所が某所にあることだし、こういうのは誇り高きエスタブリッシュメントならではの行動原理かもしれないけれど。
誰かさんのせいで、「定説」という言葉がギャグになってしまった部分、無きにしも非ず。ただ、真剣にいろいろな事例をみてみると、「定説」として流布している内容が、実はどうも違うらしいぞ ? という話がいろいろ出てくるのが現状のようだ。もちろん、全部が全部、そうだなんていわないにしても。
今回、いくつか例示したもの以外でも、「定説」として誰も疑いの目を持たずに信じている話はいろいろあるだろう。だが、その手のものの中には、実は再検討を必要とするものも少なくないのかもしれない。誰もがコロッと信じてしまいやすそうな内容のものほど危ない、なんてことはないんだろうか ?
そういえば、当の自分も「Computer World」誌で、「UNIX 系 OS は Windows よりセキュリティホールが少ない」という「定説」に対して、冷や水をぶっ掛けるような記事を書いた。最近の不正侵入事件に便乗して「国産 OS の開発」を焚き付けている誰かさんのところに、熨斗を付けて送ってあげた方がいいだろうか (ぉ
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