Opinion : 地震報道のズレっぷりに全米が泣いた (2005/7/25)
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「来る、来る」といわれている割に来ないのが東海大地震だが、これは地球の御機嫌に関わる問題だから、我々にはコントロールできない。その一方で、いきなり首都圏が地震に見舞われたりしている。
拙宅の場合、平素から地震のことを気にしているおかげで、モノが散乱したり家具が転倒したりということもなく、被害といっても本とぬいぐるみが倒れた程度で済んだ。もっとも、自宅にいたからこういえるので、外出していたら、また違った騒動に巻き込まれていたわけだが。
その「違った騒動」に関して、感じたことを書いてみたい。なにしろ、ピントがズレまくっている上に、ダブルスタンダード全開だ。
地震が発生した場合に、鉄道が止まるのは当然として、高速道路は通行止めになるし、空港も滑走路を点検するためにクローズされるのが常。安全確保のためには、施設に問題がないことを確認しなければならないのだから、このことに文句をいうべきではないと思う。
自分が電車に乗っていて、地震に関する運転停止に巻き込まれた経験というと、10 年以上前に北海道に行ったときぐらいしか記憶がない (参照)。
このときには、確か登別あたりで電車が止まってしまい、徐行と停止を繰り返しながらノソノソ進む羽目になったのだが、だだっ広い北海道で、それも地震の直撃を食らった地域でなければ、徐行運転しながら安全を確認する方法になるのも筋が通る。
ただ、地震の直撃を食らえば徒歩による目視点検が必須だし、高架橋やトンネルが多い都市部ではなおのこと。首都高速みたいにアクロバティックな構造の場所が多いと、ますます点検が大変になると思う。
だから、地震が発生したときに、点検のために交通機関の運行が止まるのは致し方ないのだが、そのことを暗に非難しているかのような記事を書く人がいるから困ったモノ。たとえば、23 日の讀賣新聞 (Web 版で確認)。
午後 8 時。JR 巣鴨駅では、ようやく動き出した満員の山手線の電車から降りてきた男性 (50) が「もううんざり」と話した。
「いつ電車に乗れるのか」。地震発生から 4 時間半たった午後 9 時過ぎ、新宿駅では中央線に乗り込もうとする人たちがホームにあふれ、階段から改札口まで行列を作っていた。立ったまま弁当を食べる人もいた。列の最後尾近くにいた男性 (56) は「天災だから仕方ないけど……」と疲れ切った表情だった。
JR 線は、運転再開には最も早い宇都宮線や埼京線でも 1 時間を要した。山手線など都心の主要路線は 3 時間近くかかった。
JR 東日本は、「作業員が徒歩で巡回してレールや高架橋を点検しなくてはならない。首都圏は線路が入り組んでおり、一斉に止まったため作業員が足りなかった」と説明する。
地下鉄の 8 路線を運行する東京メトロも最大約 4 時間、運転を見合わせた。しかし、東京都営地下鉄は、発生から 3〜15 分で徐行運転で再開しており、大きな差が出た。
(「首都圏地震で交通マヒ、エレベーター救出要請相次ぐ」より引用)
ちょっと待ってもらいたい。同じ「首都圏の鉄道である」という理由で、人的リソースも距離も線路の構造も違う路線や会社を、ひとからげに比較するのは無理がありすぎる。たとえば地下鉄ひとつとっても、東京メトロと都営地下鉄では路線延長が全然違うし、構造物の内容も比率も路線条件も違う。それを一緒くたに比較してどうする。
この記事の書きっぷりだと、「すぐに徐行で運転を再開した都営地下鉄はえらい、再開に時間がかかった東京メトロは無能だ」といわんばかりのニュアンスだが、結果的にどちらも被害がなく、問題なく運行できたからこそ、後知恵でこんなことを書ける。
だいたい、福知山線事故の時には「利益を重視して安全を軽視した JR 西日本」といって批判キャンペーンの嵐になり、あちこちで「スピードアップよりも安全を重視せよ」「利益を度外視してでも安全を重視せよ」の大合唱になった。なのに、今度の地震では「運行再開がのろい」と文句をつける。ダブルスタンダード以外の何者でもない。なによりも安全を重視せよというなら、徹底的に点検しろと主張するのが筋だろうに。
もし、駅に詰めかけた乗客の姿やマスコミ報道のプレッシャーに突き動かされて運転再開を急ぎ、その挙句に事故でもおこした日には、どうなったことか。多分、福知山線事故のときと同じように非難の大合唱になり、またぞろ、記者会見で罵倒しまくって関係者を吊し上げて、最後は社長の首を飛ばして満足する… そんな構図が目に浮かぶ。
だいたい、大雨でも地震でもなんでも、すぐに「交通機関の乱れ」に話をつなぎ、「○○人の足に影響が」「グッタリする乗客の声」といった内容に仕立てるのは新聞・TV のお約束だけれども、いささかワンパターンが過ぎやしないか。
なるほど、「イライラした乗客が駅員に詰め寄る」という図は "絵になる" かも知れないけれど、そもそもは地殻や大気の御機嫌に起因する問題なのに、目の前の駅員を吊し上げてどうする。JR でもどこでも、悪気があって運転を止めているわけじゃない。運転再開の見通しだって、そんな簡単に分かるものではない。軽々しく「すぐに復旧します」と宣言した後でトンネルや高架橋に亀裂でも発見されたら、洒落にならない。
目の前で発生している状況をセンセーショナルに騒ぎ立てるよりも、問題の本質がどこにあって、可能な範囲でどんな改善策を講じられるかを考える方が、ジャーナリズムとしてあるべき姿だと思うのだが、現状はかくのごとし。だから「社会の木鐸」じゃなくて「社会の木魚」だというのだ。
もっとも、安全のために運転を止めるのは仕方ないとしても、情報提供体制を改善する余地はあるかも知れない。IT 革命を標榜する御時世なのだから。
というと、すぐに「ネットを使った情報提供」とか「携帯電話に配信」といった主張をする IT 原理主義者が出てくるけれども、災害のときにインターネットが稼働し続けるという絶対的な保証はないし、バックボーンが生きていてもアクセス回線がこける可能性は常にある。携帯電話だって、持っていない人が数千万人はいるし、都心の繁華街で皆が一斉に発信すれば、あっという間に輻輳してつながらなくなる。
むしろ、駅や空港や高速の料金所なんかに、現在の状況がどうなっていて、何をやっているのか、事態の進展はどうなっているのか、といった情報をリアルタイムで知らせるシステムが、あってもいいと思う。有線の通信回線だけだと不安が残るから、無線によるバックアップも必要になりそうだけれど。徹底的に接続性を確保するのであれば、衛星携帯電話が必要か。
あと、千葉ディズニーランド 東京ディズニーランドみたいに多数の人が集まる施設がある場合には、平素から情報交換の体制や危機管理マニュアルを作っておくこと。そうすれば、電車が止まっているのに駅に押しかけて大混乱、なんて事態も、少しは軽減できるのでは。もし、そういう体制があったのにうまく機能しなかったのなら、それはそれで今後のために改善を図ればいいわけで。
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