Opinion : 若さの特権というかなんというか (2005/8/29)
 

最近はどうだか知らないけれど、私が高校生の時分に「免許を取ったら乗りたい車」といえば、走りに振った車に決まっていた。なにしろ、今でも人気の AE86 が、まだバリバリの現役モデルだった時代のこと。ローエンドからハイエンドまで、さまざまな高性能クーペがカタログを賑わしていたものだ。今みたいに、クーペというと両手の指の数で納まってしまうぐらいしかない時代とは違う。

といっても、まだ免許はないし、18 歳になったからといって高校在学中に免許なんか取った日には、卒業するまで学校に没収されてしまうという状況 (首都圏ではありそうにない話ではある)。そうなると、空想の世界で盛り上がるしかないわけだ。

そんなわけで、走り屋さん御用達の改造系雑誌を片手に「やっぱり車種は○○で、サスペンションを固めてタイヤは△△、エンジンもインタークーラー付きのターボエンジンをバリバリにフルチューンして…」みたいな青臭い会話が飛び交っていたものだ。今にして思えば赤面の極みだけれど、当人は大真面目だったのだから勘弁してもらいたい (って、誰に ?)

当時は「扁平率 60% のタイヤが運輸省から認可された」「エアロパーツがメーカー純正でつけられるようになった」「ドアミラーの使用が解禁された」といったことがいちいちニュースになっていた時代。自分のクルマに扁平率 45% のタイヤを履かせている今から見れば大笑いだけれども、そういう時代もあったのだ。

でも、実際に自分のカネで車を買う段になると、そう夢ばかり見てもいられない。ただでさえ若年ドライバーは保険料が高いのに、さらに保険料率の高い車を買って改造のためにカネをつぎ込むなんて、ジャンボ宝くじにでも当たらないと実現不可能な話。そうなると、手持ちの資金と支出可能なランニングコストを横目に見ながら、自分の懐事情が許す範囲でできるだけ欲求を実現できそうな車種を探して、どこを優先して、どこを落とすか、必死になってプライオリティを考えることになる。現実とはそういうものだ。


このクルマの話に限らず、若いときには往々にして気宇広大な夢の翼を広げてみたり、自分が掲げる理想に向かって一本気に驀進を試みたりするもの。ところが、えてして現実の壁という奴にぶち当たって、妥協や方向転換を余儀なくされることになる。また、自分が信じていたのとはまったく違う考え方をする人に遭遇して、当惑させられることもある。

だいたい、学校で習うことには必ず正解があるから、正解を知っている、あるいは正解にたどり着くための方法を知っていればいい成績をとれることが大半だ。ところが、いざ社会に出てみると、必ずしも正解があるとは限らない状況に遭遇することがよくある。無論、教科書通りの理想とはかけ離れた状況に置かれている事例もたくさんある。

また、会社に入って何か商品開発をしようと思ったら、自分が作りたいと思っているものが周囲に受け入れられなかったり、要求事項をすべて実現するのは無理だといわれたりする。
たとえばノート PC を製品化しようとすると、重量、バッテリ寿命、CPU 性能、RAM や HDD の容量、その他のストレージデバイス、液晶のサイズと可読性、匡体の強度、キーボードの品質など、さまざまな要素や要求仕様の間でバランスを取り、妥協点を見つけなければならない。すべての分野で理想を追求するのは物理的に不可能だったり、価格面から許容されなかったりするからだ。そこで、どこに妥協点を置くかでメーカーごとの個性が出てくる。どんな商品でも、この手の話はつきもの。

なにも、この手の話はモノ作りの分野に限らない。さまざまな人間や利害が絡む政治の話になると、妥協やバランス取りといった作業はますます過酷になる。実際に政治の世界に関わった経験がある方なら、そのことはよくお分かりだと思う。
たいていの人は、こういった "理想とかけ離れた状況" に遭遇する経験を重ねるにつれて、理想ばかりにこだわらないで、ほどほどのところで現実と折り合いをつける、あるいは最善の妥協点を探す術を身につけていく。ところが、それができない人がたまにいる。

特に政治の世界では、理想と現実のギャップ、あるいは自分と相手との意見の相違に憤り、自分の理想や信条を性急に実現しようとして熱くなってしまった人が、往々にして過激派になったりテロリストになったりする。そして、さらに宗教が絡むと手に負えなくなる。もっとも、こんな "純" な過激派やテロリストばかりでもなかろうけれど。

"American lawyer" 阿川尚之氏が学生の時分には、「若いときに左翼思想に染まらない奴はハートがない」なんてことをいわれたらしい (それでは、私はハートがないことになるなぁ)。多分、この言葉の裏には「人生経験を積んで現実と向き合わなければならなくなるにつれて、現実と折り合いを付けることを覚える」という意味も含まれているんじゃないかと推測するのだが、実際のところはどうだろう。

この推測が正しいとすると、ときどきニュースを賑わしている中高年左翼の皆さんは、若いときの熱血左翼スピリットを引きずったままで、理想を実現しようともがき続けて年を取ってしまったことになるんだろうか。


いろいろと好き勝手なことを書いたけれども、壮大な理想を掲げて口角泡を飛ばすことができるのは、若さの特権ともいえる。左翼思想に染まるかどうかはともかく、若いときに壮大な理想を掲げた挙句、理想と現実のギャップにぶち当たって悩んだり苦しんだり… そんな経験がまったくない人は、確かにハートがないといえるかも知れない。若いうちから小さくまとまってしまってどうするの、と。

だから、何か特定の思想などを一途に信じ込んでしまい、それに反対する、あるいは水を差すような意見をいう人に対して「なんだこの野郎」と毛嫌いしてしまうようなことがあっても、若いうちなら無理もないかなと思う。そんな思い込みの激しさも、若気の至りというか、若さの特権というか、そういうものだ。今でこそ「なんだこの野郎」といわれる立場に回っていることがあるらしい私も、過去にはそういう経験があったから、気持ちは分からなくもない。

もっとも、そういう傾向があるからこそ、左翼も右翼も、若者を巧妙に煽って、あの手この手で味方につけようとするわけだ。たとえば、中国の大学生は 1989 年に政府を相手に民主化デモを起こしたが、最近では政府の煽りに乗せられて反日デモをやっている。デモの対象や内容こそ正反対だけれども、若さゆえの一直線さという点では共通性が感じられる。(もっとも、ああいう国家体制だと、年を食ってもあまり変わらんかもしれないけど)


念を押しておきたいのは、若い頃から理想を持つのがいけないといっているのではない、ということ。確か平賀譲だったと思うが「理想は高きに掲げ、実践は低きに始めよ」という言葉がある。前にもどこかで書いたかも知れないが、私はこの言葉が好きだ。

高邁な理想を持つのはおおいに結構。でも、それを性急に実現しようとするだけが正解とは限らない。急いで突っ走らなければならないこともあれば、じっくりと腰を据えて長期的に取り組まなければならないこともある。その過程で妥協せざるを得ないこともある。そこのところの見極めがちゃんとできないと、当人が道を踏み外したり、周囲に要らぬ迷惑を撒き散らしたりする。
だから、人生経験を積むにつれて、理想だけに拘泥せず最良の妥協点を探す術、理想と現実をバランスさせる術、あるいは自分が信じてきたのとは異なる視点で物事を見る余裕を身につけていってくれないと、と思う。

そういう観点から見ると、最近、妥協とかバランスとか多様な視点とかいった言葉を知らずに、極論に走った行動を取る人が増えてきているような気がするのだが、気のせいだろうか。

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