Opinion : 耐震強度偽装問題に関する雑感 (2005/12/5)
 

例の、姉歯設計建築事務所がやらかした、耐震性に関する構造計算書の偽造事件について、思ったことをつらつらと書いてみたい。思いつくままに書いているので、話のまとまりは良くないかもしれない。


この件に限らず、欠陥住宅問題というのはときどき話題になる。ただ、今回の件ほど大騒ぎになった事例は多くないかも知れない。だからといって、国が全面的に面倒を見るべきなのかというと、やや疑問に思う部分もある。国に「公的資金による支援」を求めたマンション販売会社の社長は論外だとしても。

もっとも、この件に限らず、この国では何かあるとすぐに「国が、国が」という人が出てくるのがお約束。国の責任で生じたことなら、なるほど、国に経済的な支援などを求めるのは筋が通っているけれども、国が直接関与していないことまで面倒を見るのは、どこまで許容されるだろう。過去に、欠陥住宅事件で国が今回と同様の対応をしたかどうかは、ひとつの判断基準になると思う。

根本的には、たかだか震度 5 で倒壊する怖れがあるとされる出来損ない物件を、造って売った奴が悪い。だから、設計・建設・販売に携わった関係者の連帯責任で、補償から何から面倒を見るべきだ、というのは筋論。ただ、こういう悪い奴らに限って、補償しようとしてもできなかったりするもので、そうなると国に頼るしかないのか、とも思う。ただ、何かというと「国が、国が」という人に限って、その原資となる税金を増税しようとすると文句いうんじゃないの ? という感じもする。

なんにしても、たとえ全額が無理だとしても、可能な範囲で建設・販売側にも償いをさせることは必要だと思う。全部を国がかぶることはあるまい。というか、不正行為を働いたときのペナルティをしっかり課すことは、ひとつの抑止力として機能しないだろうか。


検査態勢についてはどうか。一部でいわれているように、国が検査態勢を作れば、こういう事件は防げるのだろうか。多分、それはないと思う。同じ人間のやることで、国がやろうが民間企業がやろうが、必ずどこかに悪徳業者がつけいる隙はできる。むしろ、「国が、国が」という声に便乗して、またぞろ妙な特殊法人がいくつもできてしまったら、それはそれで新たな腐敗の温床になりかねない。

とどのつまり、設計図を書いて、それを基にブツを作って、できあがったもの、あるいは建設中のものを検査するという一連の過程で、不正が入り込みにくいように、それぞれ異なる担当者が多重チェックをかけるしかないのだろう、と思う。

今回の一件にしても、建設・販売サイドが、設計側の姉歯事務所に責任をおっかぶせようという発言をしている様子。だけど、その言い分を信用すると今度は、出来損ないの図面や計算書を出図してきたときに、それを見抜ける体制がなかったと認めることになる。それはそれで問題がある。


では、購入者には責任はあったのか。これは難しい。
自分も含めて、マンションを買おうという人は建築の素人であることが多い。たまたま、自分の身内には建築関係を専攻していた従姉妹がいたような気がするが。だからといってマンションを買うのに設計図を出させたり、コンクリをひっぺがして内部を調べたり、建設現場でブツを現場検証したり… そんな買い方をしようとは思わなかったし、他の人も似たようなものだろう。普通、業者が作るものを信頼して買っている。

似たような話は、捜せばなんぼでもある。たとえば自動車でも電車でも飛行機でも、はたまた橋でも高速道路でも線路でも、事情は似たようなもの。みんな、利用者、あるいは購入者は「専門家が作ったものだから」といって、性善説に基づいて信頼している。だからこそ、三菱自動車や三菱ふそうみたいなことが起こると盛大に糾弾される。今回の件でも、信頼をぶち壊しにしたことの罪は大きい。

ただ、同じようなものを同じような場所で、同じような材料と工法で同じ基準に基づいて作れば、極端な価格差は出にくい、という考え方はできる。となると、近隣の他の類似物件と比べて極端に安いマンションが出回ったら、その時点で「ちょっと待てよ ?」と思うぐらいの頭を働かせられなかったのだろうか、とやるせない気持ちになる。安いのには、必ず安いなりの理由があるのだから。

他所の業界でも、ときどき「激安価格」を売り物にして急成長して、マスコミの話題になる会社がある。なるほど、「激安」というのは人目をひきやすいキャッチフレーズではあるけれども、よくよく見てみると、安いなりの理由があることが多い。そして結局のところ、安さだけを売り物にしていると、いつか限界が来て行き詰まる。
おまけに、最初に「安売り屋」というイメージが染みついてしまうと、高付加価値路線、あるいは高級品路線に転換しようとしても苦戦させられる。結果として、ますます安売りに走って泥沼化しないだろうか。安売りとは麻薬みたいなもので、いったん味わってしまうと「もっともっと」ということになりやすい。


あと、騒動の根本原因である「耐震性」の問題。

日本は地震が多い国だから、耐震設計の基準になるデータを豊富に持っている。といっても、これも過去の経験を受けて発展してきた経緯があるので、最初から現行の耐震性基準が固まっていたとはいえない。今回、問題になっている出来損ない物件も、時計の針を何十年か繰り上げれば「問題なし」と判断されるかも知れない。

前に、宮城県で発生した地震の後でコンクリートブロック塀の倒壊対策が講じられるようになった話をどこかで書いたような気がするが、阪神淡路大震災では高架橋の橋脚が問題になった。それを受けて鋼板巻きなどの対策を施したからこそ、新潟中越地震では新幹線の高架橋が倒壊するようなことは起きなかった。阪神淡路大震災の経験がなかったら、例の 325C なんか脱線では済まなかったかもしれない。

航空機事故も似たようなもので、ある事故によって、それまで予想されていなかったような問題点が明らかになり、対策を講じるということの積み重ねでここまで来ている。多分、飛行機というモノがある限りは、今後もエンドレスで同じ作業を続けることになる。安全確保とはそういうもの。IT 業界のセキュリティ問題だって同じ。

それに、この手の強度計算モノでは、無制限に強度を高める対策を施すのは非現実的だから、過去の経験から導き出した「妥当な値」に耐えられることを条件とせざるを得ない。地震対策なら、「○○ガルまでは OK」という基準にしていたら、それを上回る地震に遭遇して基準が書き換えられて、今度は「△△ガルまでは OK」という基準に強化される… そういうサイクルの繰り返しになっている。

自動車の衝突安全ボディも同様。「正面衝突は○○km/h まで、側面衝突は△△km/h まで、オフセット衝突は×× km/h まで」というように基準を作ったりしているけれども、現実にはそれを超えるスピードで事故ることだってある。自分のときだって、雨でスピードが出ていなかったから助かったので、もっと速いスピードで走っていたら、下手すると墓の下だったかもしれない。

災害対策や事故対策は、こうやって経験を積み重ねて基準値を変えていきながら、漸進的に発展するものだということは念頭に置いておきたい。


出来損ないの物件を掴まされてしまった皆さんは、本当に気の毒なことだと思う。ただ、非難すべき対象を間違えたり、不必要にヒステリックになってしまったり、関係ないところまで当たり散らしてしまったり… そんな対応は避けられたら、と思う。そんなことをしてみても、本質的な問題の解決にならないだろうから。

ところで。倒壊の怖れがある建物ばかりが話題になっているけれども、その周辺の建物はどうするんだろう。そっちも巻き添えを食う可能性があると思うのだけれど。

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