Opinion : 自作自演と尋問官と陰謀論と (2005/12/19)
 

コミュニケーション・ツールとしてのネットの世界で、旧くて新しい問題に「自作自演」がある。たいてい、何か議論になったり荒れたりした局面で、旗色の悪い側が形勢の一発逆転を目論んで、無関係の第三者を装った賛同発言などを行うパターン。

たいていの掲示板では発言者の名前を自由に設定できるし、いわゆる匿名掲示板ならみんな「名無しさん」だから、他人になりすますのは (見た目の上では) 比較的簡単そうに見える。

これが昔のパソコン通信ネットワークだと、有料サービスであるがゆえに固有のユーザー ID があり、それが投稿時に表示されてしまう。だから、このシステムでは自作自演は不可能… かというと、実はそうでもない。一人で複数の ID を取得してしまえばいいわけで、経済的負担さえ気にならなければ、一人で複数の ID を使い分けることで自作自演が可能になる。実際、そういう事例に遭遇したこともある。

ところが実際にはどうかというと、自作自演というのはよくバレる。笑っちゃうぐらいバレる。

2 ちゃんねるのように ID 制を導入していると、自作自演の発覚はしやすい。ID、つまり日付と IP アドレスから算出したハッシュ ? が投稿時に強制表示されてしまうので、単に同一人物が他人を装って連投しても、ID が同じになってしまい、たちまちめざとい人に発見されてしまう。(もっとも、いったん回線を切って再接続すれば IP アドレスが変わることが多いので、これで隠蔽を図れる場合もある)

ただ、そういう防止システムがなくても、自作自演というのは意外とバレやすい。自作自演するということは、架空のカバー・ストーリーに基づいて同一人物が複数のキャラクターを意図的に使い分ける行為だが、それがどこかで破綻して辻褄が合わなくなってしまったりするからだ。

また、投稿者の名前を変え忘れて自作自演が発覚するパターンもある。多くの電子掲示板サイトでは利用者の便宜を図って、Cookie を利用して投稿者の名前などを記憶している。だから、自動的に入力されている投稿者名を変え忘れると「他人のハズなのに投稿者が同じ名前」ということで、自作自演がバレる。もちろん、掲示板の管理者から見ると「他人のハズなのに IP アドレスが同じ」というパターンもあり得る。

だから、同一人物が複数のキャラクターを使い分けて、存在しない架空のストーリーを他人に信じ込ませるというのは、実はなかなか骨の折れる作業なのだ。事前に、よほど入念にシナリオを構成しておき、なおかつミスを注意深く回避しないと、どこかで自作自演が発覚して、ますます立場を悪くしてしまう。そんな類の事件は、これまでになんぼでも発生している。


こんなことを考えるきっかけになったのが、最近読んだ「陸軍尋問官」(扶桑社刊) という本。米陸軍の尋問官がアフガニスタンで体験した話を書いているのだが、実に面白かった。いや、面白いというと不謹慎かも知れない。興味深かった。

捕虜になった軍人などは、捕縛した側からすれば貴重な情報源だから、なるべく多くの情報を引き出そうとする。だが、捕縛された側からすれば真実をぺらぺらしゃべると利敵行為になってしまうから、当たり障りのない話で済ませようとする。「陸軍尋問官」の場合、相手は正規軍ではなくてタリバン関係者 (ないしは、そう疑われた人) などだが、その両者のせめぎ合いが興味深かった。デタラメばかりいう人もいれば、ダンマリを決め込む人もいる。

そういえば、アンディ・マクナブの「ブラヴォー・ツー・ゼロ」でも、イラクに入り込んだ SAS パトロール隊は「実は空軍の救難部隊で云々」というカバー・ストーリーを用意していたという。ただ、8 名のパトロール隊員全員がカバー・ストーリーを熟知して、矛盾のない供述をしないと厄介なことになる。いわば、集団で自作自演をするようなものだから。

戦争みたいな場面で、それも捕虜になった人が自作自演のカバー・ストーリーを相手に信じ込ませようとすると、多数の関係者が互いに矛盾のない供述をしないといけないから、そこが極めて難しい。それは正規軍でもタリバンなんかでも同じこと。逆に、尋問する側は最初からカバー・ストーリーの存在を疑ってかかるだろうから、矛盾点を突いたり、わざとガセネタを流して矛盾を引き出そうとしたりする。そういえば、「陸軍尋問官」には架空の新聞をでっち上げた話が出てきた。

これも「陸軍尋問官」にあった話だが、延々と長時間にわたって尋問を続けると、尋問される側はくたびれて頭が朦朧としてくる。尋問する側は別の人と交代することができるが、尋問される側に交代要員はいないから。そうなると、尋問される側が疲れてきたときに、当初にでっち上げたストーリーと違うことをポロッと漏らしてしまう、なんていう話もありそう。また、尋問にかける期間が長くなった場合も、同様に危ない。最初に話した内容をちゃんと覚えておいて、辻褄を合わせないといけないから。

そんなわけで、どんな局面であれ、架空のストーリーをでっち上げて相手に信じ込ませるのは難しいというお話になる。特に、関わる人間が多くなるほど、そして長い時間に渡るほどに、矛盾、あるいはボロが出やすくなる傾向があるのは確かだと思う。
やったことがないから推測になるけれど、浮気や不倫が露見する一因もそんなところなのだろうか ?


もっとも、カバー・ストーリーをでっち上げるにしても、国家情報機関のレベルで組織的にやれば、もっとマシな形でできるかもしれない。とはいっても、関わる人間が多くなれば、それだけ一貫性のあるカバー・ストーリーを維持するのは難しくなるという原則は変わらない。捕虜が尋問官を相手にするよりは、政府がマスコミを相手にして架空のストーリーを信じ込ませる方がやりやすいかも知れないが、それとて限度はある。

トム・クランシーの名作 (これを超える作品は、その後、一度も出てないと思う)「レッド・オクトーバーを追え」に出てくる台詞で、「秘密保持の第一の公式は君も知っているだろう。秘密の漏れる可能性は、それに関与する人数の二乗に比例するのだ」というのがある。本当に二乗かどうかはともかく、関わる人が増えるほどバレやすいのは確かなのでは。

そう考えると、さまざまな場面でお約束のように語られる「陰謀論の罠」みたいなのは、実際には実現困難なことが大半じゃないの ? と思う。
そもそも、本物の陰謀は素人が簡単に見抜けるようなものじゃないだろう。それに、陰謀をやるならやるで、一般市民の目が届かない場所でひっそりとやるのが筋。市民が自由に見られる場所を現場にしてしまったら、その分だけボロが出やすくなる。

だから、「911 はアメリカ政府の陰謀」みたいな話を聞くと、「あのねー」といいたくなってしまうわけだ。本物の陰謀は、誰も陰謀とは思わないような形でやるモノなんじゃないの、と。カバー・ストーリーを多くの人に信じ込ませるには、それはそれは並々ならぬ工夫と情報統制/情報操作が必要になるはずだから。

もっとも、陰謀、あるいは隠蔽された真実がまったく存在しない、というつもりもない。多分、近・現代史には、まだ真相が完全に明るみに出ていない類の話がいろいろあって、あと何十年か経過してから「実は…」ということになりそうな案件が、実はいろいろあるのかも知れない。その多くについては、公表されるときまで自分は生きてないだろうけれども。

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