Opinion : そもそも、企業の価値って… (2006/1/23)
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当サイトを以前から御覧いただいている皆さんは御存知のとおり、私はずっとライブドア、あるいは堀江社長に対して否定的な見解を通していた。だから、最近のライブドアをめぐる一連の報道ぶりには、正直な話「いわんこっちゃない」という心境。
さんざん持ち上げておいてズドンと落とすメディアのやり方にも、それはそれで辟易する。ただ、1 年前に「新聞・テレビを殺していく」と放言したライブドアが、その新聞・テレビに殺されそうになっているのは皮肉というしかない。
遡ると、この会社に不信感を持ったきっかけは Lindows だった。はっきりいってしまえばいい加減な取り組みで「Windows の独占状態をぶち壊します」とは冗談も程々にしてくれと思っていたら、案の定、大したシェアも獲得できずに壊滅してしまった。
本気で Windows のシェアをぶちこわそうというなら、それなりに入念な戦略を立てて、腰を据えて長期的な取り組みをやらなければ到底不可能だというのに、やってることは至っていい加減。「独占企業批判」を叫ぶことでメディアのウケはとったし、さらに WPC Expo の会場で Bill Gates をおちょくった「うまい棒」を配って話題作りには成功したけれども、そんなことで長期的にシェアが取れるものかと。そんなことに使うカネがあったら、もっと他に使い道はあったはず。
もっとも、Lindows に限らず、いつもこの会社のパターンは同じ。ウケ狙いの話題作りには熱心なのに、肝心の商売の方はどうにもパッとしない状況のものが目立つ。それでいて言動だけは派手だから、「信者」と呼ばれる株主がゾロゾロ現れて、企業というより新興宗教みたいだ。
そのライブドアが得意とするやり方は「時価総額経営」だという。つまり、株価を高めて時価総額を上げるのが目標だと。株式時価総額が企業の価値を意味するのだと。そうやって得られた資産を元手にして M&A を繰り返すのだと。それは、個人的にはおおいに異議ありだ。
そもそも、企業の本質的価値とは事業を通じて利益を出すことであり、そのための手段として優れた商品、あるいはサービスを世に出すことを目指す。優れた商品やサービスは (公序良俗に反したものでなければ) 世のため・人のためになるし、最終的な目的が利潤の追求であっても、そういう形で世の中に貢献できれば、それは何も非難すべきものではないハズ。
そして、得られた利潤を配当として株主に還元することで、その企業に価値を見いだして投資した人に報いることができる。このループがうまくいけば、「それなら自分も株主になろう」という人が増えて、株価が上がる。これが、資本主義社会における基本的な方程式ではないのだろうか。
もっとも、先週の記事で書いたように、商売のやり方が公序良俗に反していたり、あるいは詐欺的であったりする場合には事情が違ってくる。本来はきちんとやるべき強度設計や構造計算で意図的に手を抜いたヒューザーの事例など、さまざまな企業の不正は、そういう観点からみれば、当然のように非難されなければならない。
たまたま、何か特定の成長分野があり、そこで商売していれば、業績が急速に伸びて事業規模もどんどん拡大、そうした状況を受けて株価が上り調子、という事例は確かにある。ただし、事業規模も株価も、永遠に急成長するものではないことは念頭に置かなければならない。
たとえば、私は急成長中の時期にマイクロソフトにいたけれども、さすがに最近では過去のような猛烈な成長を当て込めるかというと無理があるわけで、株価の方も多少の上げ下げはあるものの、基本的には安定基調にある。利益はちゃんと出しているし、だからこそ、いろいろいわれるけれど。
そうなると、株価の連続上昇を前提にしたシステムは見直す必要がある。
その一環として、あの会社はストックオプションを止めてしまった。入社時期によって、権利行使によって得られる利益に差が出てしまい (古手ほど得をする)、社内で不公平感が強まったのが一因だという。だが、ストックオプションとはそもそも株価の上昇をアテにしたシステムだから、権利付与の目的がどうだろうが関係なく、株価の状況次第で紙屑になってしまう。となると、安定化している現状に合わなくなってきているのも確か。
また、株主に対しても、過去のように株価上昇で利益をもたらす図式が成り立たなくなったから、代わりに利益の中から配当を出すようにした。それだけ「成熟企業」になったということだろう。(社風やビジネスの手法が成熟しているかどうかは知らんけど)
では、ライブドアはどうか。
そもそも時価総額なんてものは、企業がきちんと本業でビジネスをやって利潤を上げていれば、それが株主に評価されることで、結果として後からついてくるもの。逆に、肝心のビジネスの方が怪しいのに「将来の発展性」だけを当て込んで株を買いたがる人がゾロゾロ現れて、それが原因で株価がどんどん上昇するというのは、健全な姿とはいえない。
本当に、ちゃんと事業が発展して利益が上がる状況になっているなら、もちろん話は別。でも、それは正統な意味での「企業価値上昇」の方程式だから問題ない。トップの派手な言動や、怪しげな「話題性」「将来性」とやらだけに立脚して株価が上がり続けるのが問題という意味なので、念のため。
身も蓋もないことを書いてしまえば、投資家が株式の売買で稼ぐ手法は「自分が買った株を、他人にもっと高い値段で買わせる」ことで成り立っている。だから、全員が得をするためには、株価は永遠に上がり続けないといけない。そして、その状況が続くことこそが、「時価総額 = 企業価値」という価値観の目指すところではないのだろうか。
しかし、それは無茶というもの。永遠に株価が上がり続けた会社なんてものは存在しないし、どこかで株価上昇の方程式が破綻して株価が下げに転じれば、ババを引く人が出る。つまりこれは、一種のチキン・レース状態だという見方もできる。バブル崩壊のときに、土地についても同じような現象が起きた。
ただし、株式分割で小細工して、延命を図れる可能性はある。ライブドアに関してよくいわれている「分割の発表と、実際にそれが実現するまでの関係が云々で株価が上昇しやすい」というのもあるのだが、分割によって 1 株あたりのお値段を引き下げれば、その分だけ株価の変動が総額に影響しやすいというファクターもある。
たとえば、(あり得ない話だが) 現時点の価格を基にライブドア株を 300 分割して、1 株 1 円にしてしまう。株価は 1 円単位で動くから、1 円が 2 円になれば時価総額は倍になる。馬鹿馬鹿しい話だけれど、1 株 1 万円と 1 株 1 円では、株価の変動がもたらす影響も違うという極端な例として書いてみた。
つまりは、設定次第でこんな感じにコロッと変わってしまう時価総額を「企業の価値」として普遍化するのは無理があるということ。
それに、ライブドアのやり方は「買い物依存症」と揶揄されるとおり、自社でゼロからコツコツと種をまいて育てる、ということをあまりやらない。既存のサービスを買収して、サービスとユーザーをまるごと手に入れるパターンが主流と見受けられる。
その際に株式交換で買収するとなると、株価を高く維持しなければ不利になるという問題がある。そのことを目立たせずに、ひたすら株価を上げ続けるための手法を正当化しようとすると、「時価総額経営」という言葉に行き着くのかも知れない。
自分は経営の専門家ではないから、ここで書いたことの中には突っ込みどころ満載なものも含まれているかも知れない。ただ、株主の評価 (= 株価) はきちんと事業を成り立たせて、顧客や従業員、株主を満足させる結果としてついてくるものであり、最初からそれを目指すのは目的と手段の取り違えだ、と考えている点だけでも知っていただければ。
「ライブドア・ショックで日本経済に水を差す気か」とか「今回の一件が原因で外国人投資家が逃げる」とブー垂れているライブドア株主がゾロゾロいるらしい。でも、本音の部分では「株価の爆上げ」で大儲けしたかっただけで、それがパーになりそうなので八つ当たりしているのが実態では ?
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