Opinion : 本当に "話せば分かる" と思ってるの ? (2006/5/15)
 

今日は五・一五事件の日。この事件については「話せば分かる」「問答無用」のやりとりが有名だけれども、実際にこういうやりとりがあったのかどうか疑問視する意見もある。ただ、そのやりとりの有無を論じるのが本題ではなくて。

しばらく前に別館の方で書きかけて、なんとなく話が続かなくて塩漬けにしていたネタに「結論は最初から決まっている」というものがあった。そこから発展した話題を。


たとえば、何か新しいモノや制度を導入する話でも、あるいは反対に撤回したり壊したりする話でも、それに反対する声として、お約束のように「議論を尽くしていない」「もっと時間をかけて議論すべきだ」「なぜ、今○○なのか」といった類の台詞が出てくる。TV ニュースなんかでも、この手の台詞がよく出てくる。
ところが、そうやって反対する人に限って、「どんなに時間をかけて議論したところで、結局は自分が気に入る結論以外は受け付けないんじゃないの ?」と思わされることが多い。

細々と事例を挙げ始めるとキリがないけれども、例の白燐弾デマゴーグなんかも含めて、最初から結論が決まっていて、議論なんかするつもりないんじゃないの、ということ。実際、「話せば分かる」「議論を尽くせ」と主張する人に限って、まともに議論しようとしないものだったりする。

代わりにどうするかといえば、多人数で大声を上げて威圧的な態度をとってみたり、数にモノをいわせて電話・FAX・電子メールの類で集中攻撃をかけたりする。例のホワイトバンドで「メールアクション」と称して小泉総理にメール攻撃をかけるよう煽ったのも、杉原 "タフブック" 浩司氏が「松下電器に Toughbook の回収を求めよう」と煽ったのも、根本的なメンタリティは同じ。マハン風にいうならば「数と大声は力なり」というところか。

私が以前に批判しまくっていた「小田急高架複々線反対運動」の件にしても、TV で放映された説明会の模様を見ると、反対派が何人も最前列に陣取って喧嘩腰で食ってかかり、怒鳴り声を上げていた。あまり「話せば分かる」という感じの態度ではない。

もっとも、白熱した風景の方が "画になる" から、それを選んで TV で放映したということなのかも知れない。しかし、そういう状況が発生したという事実は残るわけで。

こういう態度をとる人に限って、「議論を尽くせ」「話せば分かる」と主張するのだけれど、個人的な主張のレベルからしてすでに、真正面から議論することを避けて力任せに押し切ろうとしているのに。主張と行動が正反対。


あちこちで持ち上げられたり叩かれたりしている「無防備都市宣言」もそう。そもそも、この運動自体がジュネーブ条約の規定を都合よく曲解した、字面のイメージを適当につまみ食いしたモノに過ぎないのだが、それはそれとして。

この運動を宣伝する際に「無防備宣言をすれば誰も攻めてこない」と主張する人がいる。いわゆる護憲派の人で「9 条があるから誰も日本には攻めてこない」と主張する人もいる。それだったら、まずは自分の行動でそのことを証明してみればいいのに、と思うわけだ。
つまり、「家に鍵なんかかけるからピッキングやサムターン回しの被害に遭うので、鍵をなくしてしまえばよい」とか「blog や Web サイトも無防備宣言すれば、誰も荒らしに来たりしないはず」とかいった具合に。

いっそのこと、blog や Web サイトについては、コンテンツを管理・更新するためのパスワードまで公開してしまうと、これはもう "究極の無防備宣言" といえる。でも、無防備宣言や非武装宣言をしていれば誰も攻めてこない、という論理を敷衍すれば、何も問題ないはずでは ?

そこで、ふと気になったので、「無防備都市宣言ブログサイト」に登録している各地の blog について調べてみた。

名称コメント欄トラックバック
無防備地域宣言運動全国ネット blog××
無防備地域宣言をめざす荒川区民の会ブログ×
戦争非協力・無防備条例をめざす藤沢の会ブログ×
非戦のまち・くにたちの会ブログ×
平和・無防備条例 (戦争非協力) を実現する奈良市民の会ブログ×
西宮市に平和・無防備条例を実現する会ブログ××
戦争拒否の街大阪をつくろう ! 無防備地域宣言をめざす大阪市民の会ブログ×
無防備地域宣言をめざす大津市民の会ブログ××
品川無防備平和条例の会ブログ××
高槻市無防備地域宣言を実現する会××

ふーむ。「無防備」を掲げる運動を取り上げているにしては、皆さん、ずいぶんと防備を固めていらっしゃる。

サンプル数がちと少ないかも知れないが、コメント欄は全滅、トラックバックを受け付けているところも半分しかない。トラックバックを受け付けているところでも、気に入らないサイトからのトラックバックだと消してしまう、という可能性はあるが、そこまで疑い始めるとキリがないので追求しない。それにしても。

「無防備宣言すれば攻められない」と主張するなら、まずは自分たちのところで「無防備 blog 宣言」をして、主張の正当性を実証してみればいいと思うのだが。それで実績が上がれば、(ジュネーブ条約を曲解している問題は残るにしても) 根本の主張の部分では、みんな納得してくれるのではないか。

現実問題としては、特にコメント欄を開放したり掲示板を設置したりすると、"炎上" する可能性はある。実際、そういう事例があったという話も聞いている。しかし、平素に「議論を尽くしていない」「話せば分かる」と主張している人達なのだろうから、それを実践して「とことん議論を尽くし」「話すことで分かってもらう」という実績をつくってみせれば、もうグウの音も出ないだろうに。

それとも、他人に対しては「話せば分かる」「議論を尽くせ」というのに、自分達は「問答無用」でコメント欄を封鎖しているのだろうか。それで五・一五事件なんかのことをどうこういえた義理だろうか。

あるいは、「Web や blog は炎上するから徹底的に護りを固める。でも、国家は別」と主張するのだろうか。それであれば、その違いが生じる論拠を示さなければ。Web サイトひとつ、blog ひとつ平和にできないのに、はるかに状況が複雑な国家レベルで「無防備宣言で平和になる」と主張するのは、ちと説得力に欠けると思うのだが。

現実には、無防備都市宣言をしていたのに徹底した焼夷弾爆撃に見舞われて、数万人だか十数万人だか (諸説紛々、真相は闇の中) の犠牲者を出した、ドレスデンのような事例もある。これだけでも説得力ゼロじゃないの、といいたくなるのだけれど。
この空襲のときに、英空軍爆撃機に乗っていた Master Bomber が無防備宣言のことを斟酌したとは考えられない。


先に鍵のことを書いたけれども、実際、日本の田舎では「いちいち鍵なんかかけずに外出していた」というのどかな時代もあった。だが、現時点では都市部はおろか、田舎であっても鍵をかけずに外出して安心していられる人は少ないだろう。安心できるかどうかは周辺状況で決まるので、自分が何を宣言しているかではない。国家の安全とて同じことだろうに。

なんというかこう、主張している内容に実際の行動が伴っていないというか、そんなネガティブな印象が拭えない。これでは説得力はなかろう。だからこそ、「無防備都市宣言は、無防備 blog 宣言から」。誰かやってみない ?

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