Opinion : "ジャーナリスト" という言葉の魔術 (2006/5/29)
 

「jour・nal・ist」
【名】ジャーナリスト; 新聞雑誌記者 [寄稿家, 業者] ; 報道関係者.
New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998

上の内容は、Microsoft Bookshelf から引用させていただいた。

最近、朝日新聞社が「ジャーナリスト宣言。」という広告を張っている。となると、中には「じゃあ、今まではジャーナリストじゃなかったんかいっ !」と突っ込む人も出てくる。
ところが、上の内容を見る限り、わざわざ宣言しなくても、はなから「ジャーナリスト」なんじゃないの、という解釈が成り立つ。新聞社といえば、まんま報道関係者なんだから。それをわざわざ、創立から 100 年以上も経過した今になって宣言するとはこれいかに。

辞書的な意味からいえば、「ジャーナリスト」とは職業を示す言葉であって、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。ところが、妙に神聖視されることの多いのが「ジャーナリスト」という言葉。「ジャーナリスト」と名乗ると、世の中の悪や不正と雄々しく戦う稼業」という、どえらくポジティブなイメージがある。だからこそ、朝日新聞もああいうキャンペーンを張っているのではないか。

それと対照的 (?) なのが「ライター」という言葉。いや、一式陸攻ではなくて、私みたいな稼業のこと。
辞書的には、フリーランスのライターだったら「フリーライター」で間違っていないけれども、この言葉は世間的に、あまりいい受け止め方をされない。往々にして、芸能ネタや下ネタが大好きな三流週刊誌なんかに怪しげな記事を書く「トップ屋」と同列扱いされる。「ザ・ハングマン」(いつの話だよ) なんかに、そんな登場人物がよく出てきた。

結局のところ、「ライター」だろうが「ジャーナリスト」だろうが、「取材して書く」という部分において大差はないのだけれど、これだけイメージが違う言葉の組み合わせも珍しい。そこで、個人的営業施策 (?) として、わざわざ頭に「テクニカル」とつけて「自分は技術系のネタがメインです」とアピールしている。

それで思い出した。2000 年 9 月に中央道で事故に見舞われた後で、改めて小淵沢まで調書を取られに行ったとき、その調書には肩書として「フリーライター」と書かれてしまったぞ。どうしてくれるんだ山梨県警 (ぉ

実のところ、雑誌にならたくさん寄稿しているから、Microsoft Bookshelf に書かれた内容を敷衍すれば「ジャーナリスト」でも間違っていないのだけれど、それも違和感を感じる。理由は上手く説明できないが、「技術解説」「ノウハウ解説」をメインとする商売に「ジャーナリズム」という言葉は似合わないから、というのが、もっとも近い考え方かも知れない。

ちなみに新聞の方は、取材されたことはあるけれども、寄稿したことはない。普段、ここでは新聞や TV の悪口ばかり書いてるから、もともとお呼びでないだろうけど。


そういえば、昨今ではさっぱり話題にならなくなったけれど、ライブドア PJ (Public Journalist) なんてものもあった。(おっと、現存しているから過去形で書いたら怒られるだろうか ?)

全員が全員、そうだというつもりはないけれども、一部のライブドア PJ に「ジャーナリスト」という名称に対する過度の思い入れというか、「ジャーナリストを名乗ることの特権意識」というか、要は「自分が特別な存在なんだ」と思っている節を感じることがあった。誰のこととはいわないけれど。

特に初期のライブドア PJ の場合、もともとライブドアという会社 (または、それを率いていた堀江元社長) にシンパシーを感じている人が少なくなかったように見受けられる。それが、「既存マスコミは駄目だ。ライブドア PJ は正しい」的な言動につながっている様子。もちろん、最近になってライブドアに批判的になったマスメディアへの八つ当たりもあるのだろうし。
そして往々にして、「既得権益側の抵抗勢力 vs 改革派ライブドア」という図式に話を持っていくことになる。それは近鉄買収騒動で撒き散らされた幻想だっちゅーの。

結局、意識の根底には朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」と似たものがあるのではないか。つまり、「ジャーナリスト」という言葉に対する神聖視というか特別視というか、そんな意識が感じられるという意味。すべてのライブドア PJ がそうだなんていわないにしても、こういう目立つ言動をする人は注目されやすい。


現実問題としては、怪しげな記事を書きまくっている「ジャーナリスト」は何人もいる。具体的な名前を挙げるのは差し控えるけれども、特定の勢力にウケそうなことばかり書いているせいか、やたらとそっち方面の人がソースに挙げていたりする人が実際にいる。実際に、その「ソース」を見てみると、書いてある内容はバイアスかかりまくりだったりするのだが。

そういう盲信的態度も、メディア リテラシーの観点からするとどうかと思う。でも、例の「パソコン兵器」の一件で改めて浮き彫りにされたように、「結論が最初から決まっていて、自分が見たい種類の情報しか目に入らない」という種類の人は、思想信条の違いを問わずたくさんいる。だからこそ、そこに阿って商売する「ジャーナリスト」が出現してもおかしくない。

私が常々書いている「市民」という言葉に対する扱いもそう。「市民」というだけで「正義の味方」と決まっているとは限らない。それと同じことが「ジャーナリスト」という言葉に対してもいえる。この 2 つの言葉をワンセットにすると… それはライブドア PJ だ (まてこら)。

月並みな結論だけれども、肩書じゃなくて個別の仕事の内容、記事の内容によって、是々非々で評価・判断しましょうね、という話。さんざ悪口を書いてしまったけれど、ライブドア PJ にだって、地味にまともな記事を書く人はいるだろうから。
この「是々非々」という言葉、往々にして忘れられてしまい、内容を無視して立ち位置や属性で色分けしてしまいやすい。自戒を込めて。

んー、なんかつまらない終わり方になっちゃったな。

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