Opinion : イメージリーダーとその他大勢 (2006/9/11)
 

今回で 300 回目かと思ったら、ファイルの数を数え間違えていて、実は 298 回目だった (屍) ちょうど 9 月 11 日だし、「911」に絡めて何か書く手もあったと思うけれど、すでに事件の直後にいいたいことは全部書いてしまったので、パス。


先日、讀賣新聞が「N700 系と入れ替わりに、500 系が東海道区間から引退する」と報じた。当該記事には居住性が不評で云々と書いてあったけれども、それが真実かどうかは知らない。それに、車体断面が小さい影響を受けているのは、窓側の A 席・E 席よりも、むしろ荷棚の方だろうに。と突っ込んでみたい。

ただ、多少のネガティブ要素も無しとはしないものの、500 系はそれを補ってあまりあるものを手に入れたと思う。それは、速さを突き詰める一方で、それと環境やデザインを、もっとも高い次元でバランスさせたデザイン力。内装にしても、JR 西日本に共通するシックでノーブルな仕上がりは、間違いなく JR 東海車を凌駕していると思う。主観丸出しだけれど。

正直、あの格好良さがなかったら、TGV から「世界最速」のタイトルを奪還した偉業があったにしても、あれほど注目されて、人気が出ることはなかったはず。だから、500 系は山陽新幹線の、否、日本鉄道界のイメージリーダーとして不朽の金字塔を打ち立てたと思う。

東海道新幹線から追い出されても、まだ 0 系が現役で残っている状況下ではおいそれと廃車にはできないだろうし、傷みが目立ってきている内装をリニューアルして、可能な限り走り続けてもらいたいところ。現実的に考えると、中間の 8 両を引っこ抜いて 8 連で山陽新幹線を行き来するのが現実的かと思うけれど、さて。

この 500 系、すべての <のぞみ> をこの車輌で走らせるには値段が高すぎるから、イメージリーダーとして看板列車として走らせるしかない。けれども、逆説的に考えると、数が少ないからこそイメージリーダーたり得るのかもしれない。イメージリーダーは、それが特別な存在だからこそイメージリーダーになれるわけで。あたりまえの存在になってしまったら、それはもはや「憧れの存在」にはならない。

実際に新幹線の屋台骨を支えているのは、100 系・300 系・700 系といった多数派のワークホース。でも、そういった「日常の車輌」がワークホースでいられるのは、上にイメージリーダーが陣取っていて「魅力的な交通機関としての新幹線」という雰囲気を振りまいているから。

小田急がノロノロ運転だの混雑だのでいろいろ文句をいわれつつも、それでも高いイメージを保っていられる一因には、VSE を初めとするロマンスカーの存在があるはず (30000 形 EXE だけは例外かもしれん)。それと同じような構図が、新幹線にも成り立つのでは。


これは他所の業界でも同じこと。自動車メーカーであれば、目立つ高級車やスポーツカー (という時代もあったよね) がイメージリーダーとして君臨して、そのメーカーの技術力を誇示する存在になる。でも、実際に数が出て安定した利益をもたらしているのは、その他大勢の量販車種ということが多い。日本メーカーのうちスバルだけは、ちょっと例外的かもしれないけれど。

自動車でも家電でも AV 機器でも、特に工業製品ではハイエンドからローエンドまでの商品ラインナップを揃えることが多い。技術力を誇示する存在で、かつ好き者や経済的に余裕のある人が買い支えることで成り立つハイエンドモデルと、数が出ることで屋台骨となるローエンドという組み合わせは、多くの業界に共通するもの。

アメリカ空軍の戦力を象徴するイメージリーダーは、F-15 であったり、F-22 であったり、あるいは B-2 であったりするけれども、実際に現場で働いている多数派のワークホースは F-16 だったりする (そういえば、Abu Musab al-Zarqawi の頭上に誘導爆弾を投下したのも F-16 だった)。ハイエンドたる最強の機体が「強い USAF」の象徴として露払いをやり、その後から「その他大勢」の F-16 なんかが仕事をしに行く構図。
あー、でも。アメリカ海軍の航空戦力はちょっと違うかも知れない。ワークホースたる F/A-18 一族しかいない。F-35C やーい。

野球の世界では、プロを目指してもプロ入りできる人はわずかだし、その中でも億単位のギャラを取る大スターになれるのは、本当にごくごく一部。でも、そういうイメージリーダーが業界を引っ張って夢を与えているからこそ、プロ入りを目指して努力する人が絶えないし、それによってプロ野球や高校野球といった一連の産業が存在できているわけで。サッカーでも、その他の種目でも同じこと。

つまり、イメージリーダーだけでは世の中成り立たないので、「イメージリーダーが牽引車になり」「その他大勢が実際の屋台骨となる」という構図。でも、その他大勢だけにしてしまうと、今度は牽引車がいなくなって、全体の勢いに影響が出てしまう。両者は持ちつ持たれつの関係にある。


そう考えると、先週のネタにした「白河コラム」が痛かった一因は、イメージリーダーたる少数派を、さも一般的な現象であるかのように捉えてしまったことにあるのかもしれない。

実際、世の中に「デキる女」と呼ばれる種類の人は存在するし、凄い人は本当に凄い。ただ、それが多数派かというと疑問。たまたま、自分はそういう種類の人が多い場所で仕事をしていたことがあるけれども、それを世間一般に共通する状況かというと、多分それは間違い。
つまり、バリバリ仕事をこなす才色兼備の女性達が「働く女性の憧れ」として存在することは重要だけれども、誰もがそういう風になれるかというと、おそらくそんなことはない。いや、男女に関係なく同じことだけれど。

それを無理やり一般化した上で、「進化した女性について来られないダメ男」という構図にしてしまったのが、そもそもの間違いの始まり。さらに、止せばいいのにトリュフとか牛丼とか母親世代の刷り込みとかいう余計な燃料を投下したから、あちこちの blog で叩かれたり、コメント欄が炎上したり、という事態を招いたのではなかろうか。なんて書いている自分も、せっせと薪をくべたうちの一人だけれど。

目立つ存在で、メディアに取り上げられる華やかな人がいると、ついつい「それが一般的なんだ」と勘違いしてしまう。でも、冷静に考えればそれは逆。一般的な存在ではないからこそ、メディアに取り上げられる価値がある。イメージリーダー (ときには逆イメージリーダーなこともあるが…) とは、そういうもの。あたりまえのことはニュースにならないし、牽引役にもならない。

イメージリーダーが存在していて、その他大勢の人がそれに憧れることは、向上心やモチベーションを維持する役に立つ。でも、イメージリーダーはその他大勢があってこその存在だし、逆もまた真なり、ということ。だから「その他大勢」も大事にしないとイカンし、適切に評価する必要があるはず。誰もがそんな、歴史に残る大偉業を達成できる訳じゃないんだから。

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