Opinion : 100% でなければ要らない ? (2006/12/25)
 

よく "all or nothing" とか "いちぜろ" とかいう類の表現をするけれども、「中間」という選択肢を認められない人がいるから頭痛がする。

最近の例だと、カナダの先生が開陳した「飛来する弾道ミサイルを MD で要撃できる確率は 50% しかない。これではまったく使えないのだから、MD は不要」というやつ。これに限らず、ことに安全保障問題が絡むと「100% じゃないんですか、じゃあ要りません」と主張する人がやたらといる。

そもそも、飛来する弾道ミサイルを 50% の確率で要撃できるというのが根拠のある数字なら、半分も叩き落とせるって凄いことだと思うぞ… 山田先生がちゃんと根拠のある計算をしたのかどうかは存じ上げませんがネ (→参考)

こういう人達は、「万一への備え」とか「安全対策」とかいう言葉の意味が、ぜんぜん分かってない。だいたい、確率 100% ではないから不要、なんて両極端理論を適用したら、たいがいの安全対策は無用になってしまう。たとえば、こんな調子。

  • 衝突安全ボディによって、乗っている人の生命が守られる確率は 100% ではないのだから、衝突安全ボディなんて不要だよね ?
  • アンチウィルスソフトですべてのウィルスを検出できるとは限らないから、アンチウィルスソフトなんて入れなくていいよね ?
  • ファイアウォールですべての不正侵入を阻止できるとは限らないから、ファイアウォールなんて要らなくね ?
  • 玄関に鍵をかけてもピッキングやサムターン回しで破られちゃうかも知れないから、鍵なんて不要だよね ? これからは、どこにも鍵をかけない「無防備ハウス」の時代だよね ?
  • ○○党に投票したら必ず暮らしが良くなるなんて保証はないから、○○党なんて要らないよね ? (ん、これは「安全対策」じゃないな ?)
  • etc, etc

いや、それは絶対に間違ってるから。自分で書いておいてなんだけれど、最初のやつなんか、衝突安全ボディ GOA に救われた身としては癇癪おこりますね !


およそ安全対策というモノはみんなそうだけれど、過去の経験に基づいて、さまざまな視点から危険性を予測、それに合わせて対応策を積み上げていくもの。そして、新しい経験によって過去の対策に不備があれば、それを直すということを繰り返す。多分、このサイクルに終わりはない。って、前にもどこかで書いたような…

分かりやすいのは震災対策。以前にもどこかで書いたような気がするけれど、震災対策というと誰もが考える建物の倒壊対策以外にも、宮城県沖地震で露呈したブロック塀倒壊の問題、阪神淡路大震災で露呈した高架橋の橋脚破壊問題など、新たな経験を取り入れて対策を強化している。建物の耐震基準も見直されている (もっとも、構造計算を偽造しちゃったのでは無意味だけれど、それはまた別次元の問題)。

衝突安全ボディにしても、考え方は同じ。当初は単に前後にクラッシャブルゾーンを確保するところから始まって、フルラップ衝突対策、オフセット衝突対策と深度化している。基準となる速度域についても、高めていければその方がいい。

ただ、どんな対策にしても現実的な範囲というのはあるもので、無限に対応基準を引き上げるのは非現実的。この「リーズナブルな範囲で」というのも重要なポイント。
たとえば衝突安全ボディを作るのに、200km/h のオフセット衝突にも耐えられるようにしろ、なんてことになったら、M1 戦車みたいな車体が必要になりかねない。それはおカネがかかりすぎるし、重くなりすぎるし、そもそもそんな事態がどれだけあるのかという話になる。

冒頭で引き合いに出した MD の話もしかり。要撃できる確率が 100% じゃなくて 50% だからダメ、という考え方はあまりにも硬直化している。むしろ、飛来するミサイルの半分でも叩き落とせれば、それだけ被害を減らせるのだから利益になる、と考える方が理に適っている。それに、どっちみち SAM というやつは (MD 以外でも) ターゲットを要撃する確率を上げるために複数をつるべ撃ち (ripple-fire) するものだから、1 発だけの命中率を云々してみても、あまり意味はない。

つまり、100% を求め続けたらキリがないし、そんなものは永遠に実現不可能。となれば、「現実的な領域で対応する」「可能な限り 100% に近付ける努力をする」で良しとするのが現実的な考え方。発生頻度がそれなりに高いと思われる領域に対応できれば、犠牲者の大半は食い止められるだろうという割り切りがないと、話が成り立たない。「100% の対策を求める」と「何もしない」の両端にしがみついているのでは、まったく現実的ではない。


安全対策の話とは外れるけれど、政治体制の選択も同じ。

個人的には、中東やアフリカでは欧米型民主主義より王制の方がスムーズに機能するんじゃないかと思っているけれど、これには「王様の資質に依存する度合が高すぎる」という厄介な問題がある。優れた王様なら何も問題はないけれど、国を私物化するロクでもない王様も、また多数が存在している。
そうなったときに、王制では支配者を引きずり下ろして交代させる手段がないから、最悪のところまで突っ走るか、王様がお亡くなりになるのを待つか、クーデターを起こすか、という選択になってしまう。でもって、クーデターで作られた政権が腐敗して、また別のクーデターで倒されるのも、よくある話。

そうなると、ややマシな選択肢として欧米型民主主義、という選択肢もでてくる。これとて有権者の民度や意識のレベル、立候補する人のレベル、そして選挙制度が正常に機能するかという問題など、課題は山積。ただ、出来の悪い政治家を排除しうる可能性があるメカニズムだということはいえる。
そういえば、アメリカの大統領の悪口を言う人は多いけれど、選挙で落とすこともできるし、(FDR みたいな例外もあるとはいえ) 最長でも 4 年でいなくなるのだから、延々と君臨し続ける独裁者と一緒くたにするのは適切じゃないと思うよ ?

そういう意味では、欧米型民主主義というのは「100%」にも「0%」にもなりにくい、比較的、中庸を得た結果に落ち着きやすいシステムといえるのかも。周辺条件にもよるけれど。

以前から本コラムでは「両極端に突っ走るな」ということを何回か書いてきているけれど、そのことを改めて認識させられた今日この頃、なのだった。


御愛読ありがとうございました。今年はこれで最後です。来週は正月なのでお休みをいただき、次回は 2007/1/9 の予定です。

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