Opinion : リアリズムって何だろう (2007/1/15)
 

例のカナダの先生の blog で、コメント欄に私のことを「徹底的なリアリズムと…」と書き込んだ方がいらっしゃる。いや、非難するつもりはまったくなくて、「へえー、そんな風に思われてるのか」と興味深かった。

というのも、普段、あまり「リアリズム」という言葉を使っていないから。これを書くために Kojii.net の過去記事全部を検索してみたけれど、「リアリズム」という言葉はたったの 2 ヶ所しか出てこなかった。それも、自分の言葉として語ったものではなくて、リンク先のタイトルと他人の発言の引用がひとつずつ。
もっとも、こういうのは言葉よりも行動や日常的な言動に表れるもので、それを日頃から感じていた方が、前述のようなコメントに至ったのかもしれない。

ともあれ、改めて「リアリズム」って何だろう、と考えてみた。


私は芸術家ではないから、「写実主義」と訳される意味でのリアリズムとは無縁。割と近いかなと思うのは、政治学や国際関係学でいうところの「現実主義」だろうか。と思ったけれど、Wikipedia の記述を見ると、これもなんだか違う。

と思って、今度は Microsoft Bookshelf 3.0 を調べてみたら、こう書いてあった。

あるべき理想よりは実際的な△利害 (問題解決) を重視する考え

ああ、これならしっくり来る。

ところで「利害」の前の「△」って何 ?

もちろん、私にも理想や願望はいろいろあるけれど、それがいきなり実現するとは限らない。というか、大半は実現しない (苦笑)。

そこでヒステリーを起こしてしまうような人は、どう見てもリアリズムとは無縁。そして、現実が己の信じる理想から乖離しているからといって、急進的過激派になったり、さらにエスカレートして暴力的な手段に訴えてでも理想を実現しようとしたりすれば、ただの問題人物になってしまう。特に、政治が絡む問題で暴力的な手段に訴えると、世間一般にはテロリストと呼ばれる。

では、リアリズムに基づく対応はどんなものかというと、一般論としては、こんな感じになるのかなと考えた。

  1. まずは現実と向き合って、そういう状況があるのだという事実を受け入れる
  2. 次に、現実と理想の間のギャップを把握する
  3. 現実を理想に近づけるために何ができるかを考える
  4. その中から、できそうなことを選んで手を付ける
  5. あるいは、周囲の状況が変化するまで雌伏する

理想にばかりこだわる人は、まず、冒頭の「現実を受け入れる」ができない。どこのサイトだか忘れたけれど、Web を徘徊していたら「現実を受け入れるということは、現実を認めてしまうということだ。そんなのは認められない」という趣旨のことを書いている人がいた。そりゃまた短絡的な。そんなこといってるから、いつになっても理想を実現できないんだってば。

「現実を受け入れる = 現実を認める = 現状維持」とは限らない。まず目の前の現実と向き合うことができなければ、それを理想に向けて動かしていくこともできないだろうに。しかも現実の社会ではさまざまな人の利害や立場が入り乱れていて、それらは往々にして対立するものだから、ある人にとっての理想が、別の人にとっては理想でも何でもないのはよくある話。となれば、現実から一挙に理想を実現するのは、まんず不可能な相談。一般論としては、変化があるとしても漸進的なものになる可能性が大。

なのに「現実が理想と合わない」とヒステリーを起こしたところで、何の解決にもなりはしない。それは単なる思考停止。リアリズムの持ち主であれば、理想と現実の間にロードマップを作ることを考えるはず。

たとえば私は物書きだから、「こんな本を書きたい」とか「こんな記事を書きたい」とかいうアイデアをいろいろ出す。でも、出したアイデアの大半はボツになる。それは、どう見ても商売にならないとか、版元の社内事情があって出しづらいとか、その他いろいろと事情があってのこと。

そこで自分のアイデアを一方的にゴリ押しするのは、あまり賢明な対応とはいえない。私は「とりあえず全部ぶちまけてみて、その中から落としどころを探す」人だから、まずは自分の考えをガンガンいうけれど、相手の事情や考え方も聞いてみる。そして、分が悪いと思ったら引っ込めたり、内容を練り直したりする。
場合によっては、いったん引っ込めたアイデアをずっと暖めておいて、チャンスと見るとダボハゼのように食いついて売り込むこともある。実際、そうやって何年か雌伏した後で世に出た書籍もあるし。

物書きというローカルな話で書いたけれど、多分、どの世界でも同じことだと思う。ときには、「自分が属している組織をいい方向に動かしたい」と思っていたのに無理そうだと判断して、見切りをつけて組織を去る、なんてこともありそう。


だから、どんな世界であれ「何かを変えていこう」「何かを変えたい」と思ったら、上で書いたようなリアリズムに基づく対応ができないと駄目なのでは。単に己の理想を連呼するだけで、それが受け入れられないと「相手が馬鹿なんだ」と見下す、意見が合う仲間内だけで固まって異論・反論を受け付けなくなる、さらに度が過ぎるとヒステリー反応を起こす… そんな調子では、変えられるはずのものも変えられない。

理想を持つのは基本的にいいことだけれど (といっても、もちろん理想の内容にもよる)、単に理想を掲げるだけでは足りない。現実を理想に近づけるための具体的なロードマップを提示できなければ、それはただの 無装架 夢想家というんじゃないだろうか。「どうやって理想を実現するか」まで具体的・現実的な内容で提示できなければ、多くの人からの支持を得るのは難しいだろうから。

具体的に「どの運動」とか「どの政党」とかいうことまでは書かないけれど、こうしたリアリズムが欠如している人が目立つよなあ、と感じる今日この頃なのだった。単に声がでかいから目立つだけで、多数派ではないのかも知れないけれど。

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