Opinion : 予想できることに文句をいわれても… (2007/3/5)
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先日、税務署に行って 2006 年分の所得税確定申告書を提出してきた。昨年はあまり仕事が多くなくて、ピークと比べると収入が 60% ぐらいになってしまった。でも、フリーランスで商売していれば、収入が安定しないのは当然のこと。だから、最初からそのことは織り込み済みで、ピークの収入が常に続くなんて考えない。ボトムの数字を基準にして生活するようにしている。
フリーランスで収入が安定しないのは当然なのだから、ここで私が「フリーランスにも常に一定の年収を保証するように、法律で義務付けるべきだ」なんてわめいたら、物笑いのタネになってしまう。もちろん、そんな下らないことはしないし、そんなヒマがあったら仕事のネタを探すか、さもなくば滑りに行く (おい)。
とはいえ、独立した当初みたいに、仕事ばかりやっていて、その他のことを全部犠牲にするのもどうかと思うようになった今日この頃。仕事もちゃんとやる、でも日々の生活もちゃんと楽しむ、という観点からすれば、そう悪くない状況かなとも思う。収入が最高を記録した年に、それ以外のことが片っ端からお留守になっていたのも、また事実だから。
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つまり、「フリーランスの収入は安定しない」というのは十分に予測可能性の範囲内なのだから、最初からそのことを前提にした生活設計をするのが当然だということ。そんなわけで、「安定した仕事の人がいいです」なんて人には、私の嫁はつとまらないと思う (←予定もなにもないくせに、何をいっとるか)。
なんで「予測可能性」なんてことを引っ張り出したかというと、↓のニュースがあったから。
君が代伴奏命令は合憲、教諭の上告棄却…最高裁初判断
東京都日野市の市立小学校の入学式で、「君が代」のピアノ伴奏を拒否したことを理由に懲戒処分を受けた音楽科の女性教諭 (53) が、「伴奏を指示した校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」として、都教育委員会に処分の取り消しを求めた訴訟の上告審判決が 27 日、最高裁第 3 小法廷であった。
那須弘平裁判長は、職務命令を合憲と判断した上で、教諭の上告を棄却した。教諭の敗訴が確定した。
(2007 年 2 月 27 日 読売新聞)
思想・信条の自由を侵しているかどうか、あるいは日の丸・君が代と過去の侵略戦争の関連がどうか、とかいう話より前に、この件については、どうにも腑に落ちないことがある。
学校の入学式、卒業式、あるいはその他のイベントに際して、国旗掲揚や国歌斉唱が行われているのは、なにもここ数年に始まったことではない。だから、普通なら「そういうことが行われている」という話を承知していて当然ではないかと思われる。
さらに、地方公務員法をひもといてみると、第 6 節「服務」として、職務上の命令に従う義務であるとか、職務に専念する義務であるとか、そんなようなことが書かれている。これだって、なにもここ数年の間に書き加えられた規定というわけではない。
だから、公立学校の音楽教師という職に就けば、当然ながら地方公務員法の規定が適用されること、音楽教師というポジションにつきものの仕事として式典行事の際のピアノ伴奏が行われることは、十分に予測可能性の範囲内だったはず。
また、以前からこの件についてあちこちでもめていることも、その結果として強制力を伴う措置がとられるようになったことも、別に秘密でも何でもない。にもかかわらず、入学式で「君が代」の伴奏を命じられたときに拒否すれば、その結果としてどういうことになるかは、十分に予測されたはず。
原告はそもそも、そういった事柄を承知の上で、公立学校の音楽教師というポジションに就いたのではなかったのか、と問いたい。なにも、誰かに強制されたわけではなくて自らの意志で就いたポジションなのだから、それに付随する制約や周辺の状況についても、承知していて当然ではなかったのかと。承知していなかったのだとすれば、それは就業規則を読まずに会社と雇用契約を結ぶようなものじゃないかと。
制約が緩い環境で音楽を教えたいというのであれば、「日の丸・君が代」抜きで式典をやる私立の学校を探すとか (そういう学校があるのかどうかは知らないけど)、自分で音楽教室を開くとか、思想・信条に反しない形で両立させる選択肢はあったはず。そうすれば、思想侵害もヘッタクレもない。
ぶっちゃけ、公務員としての恩典や待遇、安定性といった利点についてはしっかり享受しておきながら、その公務員というポジションに付随する制約について文句をいうのは、予測可能性を承知の上で物言いをつける行為であり、ちょっとムシが良過ぎやしませんか。と思ってしまった。
それとも、最初から「日の丸・君が代」への反対闘争をする目的で今のポジションに就いたのだろうか ? それは「未必の故意」どころか、単なる「故意」で、処罰されても仕方ないと思うが。第一、「日の丸・君が代」を止めさせたければ、学校の現場でどうこうしたところで始まらない。それは政治レベルで動くのが筋というもの。
例の、「イラク派遣命令を拒否した日系の米軍士官」も同じこと。軍人は命令必謹、やれと命じられたことを部下がちゃんと実行しなければ、軍隊の根幹である「指揮・統制」が怪しくなる。軍人が命令の選り好みを始めたら、「文民政府の過ちは我々が正す」とかいってクーデターを起こすのと、何ら差はなくなってしまう。しかも、徴兵制ではなくて自ら志願したのだから、「良心的兵役拒否」とは話が違う。だから、件の士官が軍法会議にかけられるのも当然の話。
阪神淡路大震災をめぐる「阿部知子発言騒動」のときにもあちこちで指摘されたことだけれども、いくら「正しい」と思ったことをするのであっても、指揮・統制を乱すようなことをすれば処罰されるのが、軍隊という組織 (もちろん自衛隊も同じ)。それができなければ軍隊は、好き勝手に行動する、単なる狼藉者の集団になってしまう。
そのことを承知して志願したのに (いうまでもなく「予測可能性」の範囲内だ)、後から命令の選り好みをするなんてとんでもない話で、派遣を拒否したことを褒めるなんて大間違い。派遣を拒否して職を辞したのならともかく。
もちろん、人生には予測不可能な事柄もいろいろあるから、それについては保険をかけるとか、某かのリスクヘッジ策を講じるとか、可能な範囲で対策を講じることが必要。それでも自己責任の範囲、自分で対処できる範囲には限りがあるから、それは社会、ひいては国が責任を分担する形にならざるを得ない。
でも、最初から予測可能性の範囲内なのに文句をいうのは、いくらなんでも「それは違うだろう」といいたい。まるで、「イラクは戦争地帯だから自衛隊派遣反対」と主張した人がイラクにノコノコ出かけていって、「IED で吹っ飛ばされて怪我したじゃないか」といって政府を訴えるようなものじゃないかと。
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